島本理生さん『2020年の恋人たち』を読んで

読み終わったあと、これはまずいと思った。

noteに読書感想文を綴るようになってから決めている約束事がある。
「読み終わったあと、感想文を書き終わるまで解説もネットの意見も何も見ない」
最近だが、三宅香帆さんの『「好き」を言語化する技術』を読んだ。
その本では先に感想を書いてしまうという手法が推奨されていた。
「やってるやってる」と納得した。
当たり前だよね。
他人の言葉を先に自分の頭に入れたら、それに追随するか反発するかの要素が大きくなりすぎる。
自分が悩み苦しみ、そして楽しみながら言語化することに何かしらの価値があるのだ。

で、冒頭の何がまずいか。
この『2020年の恋人たち』を読んだ自分の重苦しい脳内をどう言語化すればよいか分からんのです。
書いては「うーん、この表現は自分じゃない。」
書いては「これは誰かを貶める表現だ。相応しくない。」
書いては「あれ、何が言いたいんだ。分からん。」
こうなるのが目に見えているので困った。

それぐらいハードでヘヴィな本なのでした。


島本理生さんとの出会いはたぶん10年前で大学生の頃。
『アンダースタンド・メイビー』で出会いました。
確認したら文庫本を初版で購入していたので、忘れかけていた時期を推定できました。

衝動買いだったのですが、どうして選んだかというと、帯で村山由佳さんが絶賛していたから。
村山由佳さんの作品とは高校生の頃からの付き合いで、私を読書の世界に引き戻してくれた大切な人です。
村山由佳さんについて語りだすと本筋から逸れてしまうのでストップ。
帯に村山由佳さんがいなかったら、たぶん読んでないんだろうなぁ。

『アンダースタンド・メイビー』を読んだのは随分昔なので、当時の私の気持ちどころか話の内容もあまり覚えていないのですが、「重くて苦しい恋愛小説だった」ということだけは心に刻まれています。
決して嫌いなのではなく、むしろ好物なジャンルなのですが、ちょっと読むのに"覚悟"が必要なんですよね。
『アンダースタンド・メイビー』は私にとって島本理生1作目だったので、覚悟のないまま読んでしまったのですが、『ナラタージュ』は覚悟ができないまま積本になってしまっています。


「好きな作家のはずなのに読めない」という矛盾を抱えている中、1年前に『2020年の恋人たち』に出会いました。
コロナに見舞われ、東京オリンピックイヤーのはずだった2020年の大人の恋愛小説。
気になる。とてもすごく。
しかも作者は信頼できる島本理生。
買うしかないなぁと思って買いましたが、結局覚悟できたのは1年後の今なんですけどね。


途中何度も閉じました。
嫌で嫌で。出てくる登場人物がどの人も嫌で。

主人公の葵には情が湧いてきます。
だって主人公だし。
でも嫌です。
葵の周りはどいつもこいつも私が嫌なタイプの男ばかり。
こんなやつらに葵が傷つけられるのは嫌だと思っても、葵は何度も火傷をするし、そんな葵を見ていて葵のことも嫌になる。
おいおい。なんだこれは。

嫌(いや)という言葉を使って、
嫌い(きらい)は使いませんでした。

直感ですが、登場人物たちの行動そのものや、行動の裏に見え隠れする思いが、私のもっている行動指針やプライド、アイデンティティと相容れないものなのでしょう。
人間なので、多種多様いろんな人がいていいと思いますが、それを見ていたいか、あるいは近くにいて許せるかは別です。
それは嫌と表現するのが正しいと思います。

明確に私に対して悪意がある人、悪意をもった行動をしてくる人は嫌いです。
悪意なく行動をして、結果的に一緒にいたくなくなる人は苦手です。

この表現が正しいかは知りませんが、私はきっとこうやって使い分けています。

『嫌』と思うからには、具体的に言語化しなくては失礼です。
何がそんなに嫌なんだろう。
何なら嫌ではないんだろう。

この本においては、恋愛についてのスタンス
私とは分かり合えないとはっきり思えます。
私は恋愛を神聖なものとして扱っていると自覚してます。
「恋愛結婚しか認めない!」とは思いませんが、
「そこに愛はあるんか?」は大切だと思ってる。
愛は大切で、真っ直ぐで嘘偽りのなく、相手を慈しみ、見返りなく与えるべきものであって欲しいと願ってしまう。
要するにピュアなんです。

ドロドロでぐちゃぐちゃの恋愛模様は私の肌に合うはずもなく、ピュアで純情な私の心に土色の足跡を残しまくってきいました。

大人の恋愛ってこういうものなのかな?
私個人の歪んだ認識かもしれませんが、
甘い言葉を巧みに使って
スキンシップまでのハードルが低くて
自分の欲望を満たすために行動をして

あー、これは悪口。
でも私は、「賢いやり方」「勝ち抜く作戦」より「血生臭い獣」に見えてしまう。
自分の価値観とは違う生き方なんだな。
ならこんな大人な恋愛はいらないや。

「好き」というより、「友達になれそう」と思うのは松尾くんと瑠衣さん。
たまに会って、近況報告しながら雑談して、悩み事について少しだけ愚痴を言って。
終わりには約束もなく「またね。」と言って、約束がなくてもちゃんとまた会う。
私とそんな関係性を築けるだろうなとなんとなく想像できました。

私の中でそれはすごく大切なこと。
一緒に遊ばなくても、趣味が合わなくても、頻繁に連絡を取らなくても、それよりも大事だと思うな。
友達ってより戦友かな?
困難で長い道のりをそれぞれ歩む友って感じ。


好きだなと思う本は、話の設定や展開、出てくる人物が好き。
好きだなと思う作家さんは、語り口や言葉の使い方、表現が好き。

そう考えると島本理生さんはやっぱり私の好きな作家さんだ。
『2020年の恋人たち』の話自体はあまり好きじゃない。
嫌な人、嫌な展開がたくさんあるし。
でも島本理生さんの文章は、自然なことを自然に読ませてくれる。
葵が「頭が痛い」と言っていたら、そりゃ頭が痛いだろうなぁとしっかり想像させてくれる。
文章を読むことを、こんなにも軽やかに楽しませてくれる。
だから好きな作家さんなんだな。

最後に好きな、というより書き留めておきたい文章の引用をして終わります。
たぶん私は、読書感想文で本から直接引用はあんまりしてこなかったはずなんですが。
こういう表現というか、こういう文章をぽんと投げ込んでくるから、さらに島本理生さんのことを好きだなと思える。

 電話を切ると、私は道の脇の植え込みの煉瓦壁に腰掛けた。イヤホンを耳に押し込んで、アマゾンミュージックで流行った曲をランダムに再生した。今年の新入社員の一人に、今どんな音楽が流行っているか訊いたら、「最近は動画ばかりでそもそも音楽が流行ってないですよ」と言われた。
 それなら彼らはまぶたを閉じたときに広がる世界を知らずに、目を開け続けているのだろうか。
 それはそれで、しんどい気がして、もうじき雨が来る空気の匂いを吸い込んだ。

島本理生『2020年の恋人たち』P.145,146より


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?