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Made in Franceの記憶

忘れていた18秒

iPhoneが昔撮った写真や動画を出してきてくれるあれ、いいですよね。
ふっとその時の自分に戻れて、情景や当時の感情が浮かんできます。

ちょっと前に出てきた動画が、
フランスでバケットを作り始めたころのもので、
日付を見たら2011年7月6日のものでした。

最後コケてるけど。。

18秒のバケット生産動画は、
成型機の音が鳴り響くフランスの工場、
充満する熱を帯びた樹脂のにおい、
山のように積み重なったバケットの不良品。
そして苦々しく辛かったあのリコール事件の記憶。
僕にとってのMade in Franceは、今思い返しても辛く、そして厳しいものでした。

商社出身の僕が初めて自社商品を出展したのは、
この動画のちょうど1か月くらい前。
インテリアライフスタイル展という展示会で、
今は社名でもあるスタックストーという名で世に出た初めての機会でした。

インテリアライフスタイル2011①
インテリアライフスタイル2011②
インテリアライフスタイル展③
インテリアライフスタイル2011④

全国の雑貨屋さん、家具屋さんからたくさんのポジティブな反応をいただけて、今後大きく飛躍できるのでは、と未来に一筋の光が見えた展示会から、
程なくして、とんでもない数の不良品がフランスから届きました。少し触っただけで、ハンドルが切れてしまう。

ストレスで声が出なくなったり、
朝起きたら「また起きてしまった」と後悔するほど。
ある朝、目覚めと同時に舌に強烈な痛み。
それまで知らなかったんですけど、ストレスが過度になると舌が理由なく痛むそうです。
舌痛症というやつだったみたいですね。
たくさんのお客さんに迷惑をかけてしまい、
本当に大変な経験でしたが、それでも実際、動画見るまで結構忘れていました。

46歳、Noteとることにしました。


若いころの抜群の記憶力とのギャップが老いを感じさせてくれます。
30代の途中くらいまでは、商談中でもお客さんが不安そうだからノートとるフリだけしてたんですけど、大抵のことは記憶していたので、ノートを後から見直すこともほとんどなかった。なのでほんと書くだけ。
そんな自分が、あんな苦しかった思い出をiphoneに動画見せられるまで忘れてるなんて。
これも誰にでも訪れるステップだと最近は受け容れています。が、できれば自分の身に遭ったこと、会社であったことは忘れてしまいたくない。またいつか振り返って懐かしみたいと思って、何か方法がないか考えていました。

まだ脳みそをひねれば出てくるうちに、
写真や動画を見て、またいろんなこと思い出すであろういつかのために、
遅まきながらNoteに書き込んでみることにしました。

大阪から東京へ

初めての投稿なので、ここからは少し自己紹介的なところを。

生まれ故郷の大阪から東京へ引っ越したのは、
3月生まれの僕が28歳になったばかりのころで、
バンクーバーに9ヶ月いた以外は大阪から出たことなかったものの、毎週出張できていたしすぐ慣れるだろうと思っていました。
実際に慣れたと感じれたのはその10年もあとの話です。意外と時間かかりました。

家族

家族は妻と子供が三人。こどもは全員男の子です。

僕には娘が授からなくてよかったかもしれないです。心配が過ぎて厳しくなってしまいそうで。
夫婦ともに大阪弁なので、子供達も家では大阪弁で、学校や幼稚園ではバイリンガルっぷりを発揮してくれているようです。
しらんけど。

それぞれの得意なこと、苦手なこと、進学や教育のこと、人となりを作っていくこと、家族での思い出をつくること、アレルギー、食べること、旅すること、なんでもない時間を共に過ごすこと。
本当に3人見事なまでにタイプが違うので、いい感じに悩ませてもらっています。みんな巣立ってしまったあとが今から心配です。

たくさん売れる=喜んでもらえた、ご支持いただけた、っていう価値観で仕事してきたんですけど、最近は子供たちから受ける影響が大きいのか、
自分のやるべきことは、次の世代へ何かを引き継いでいくフェーズへと入ってきている、と感じています。

趣味

家族がいるおかげで、最近はものづくりを自分事で考えられるところがとてもいいなと思っています。

生活の中で感じた不便、妻の家事の助けになりそうなものは、自分が作らなくったってたくさん良い物があるし、これが生活にハマればめちゃくちゃ楽しい。
趣味といえばうまいもん探しと、家事グッズ探しですかね。
ここって良いのがないなー、と気が付くのも家事グッズ探しをしているときなので、仕事にもつながっているように思います。

仕事


返す返すも自分がラッキーだったのは、
若い頃からいろんな国のいろんなメーカーさんとお仕事させてもらったことや、担当のお客さんを持たせてもらったことだと思います。
当時の上司、そして自分の強運にも感謝。

大学に行っていないので学歴は高卒です。
カナダから戻って21歳で世に出てから、海外の工場さんとモノを作る、ということを生業にさせてもらえています。

新しいところでは、コロナがあって海外へ行けなくなってしまったことがきっかけで、日本の工場さんとのお付き合いが始まりました。
なんだ、海外で見つけられないものは日本に全部あるやん、と、気づくのが遅すぎましたが、
一方で日本人同士で意思疎通を図るのって想像以上に難しいんですね 笑 
海外で慣れてしまってる自分の熱量が高めで、少々めんどくさいのかも、と感じております。少し抑え気味に行くと、伝わってない気がして勝手に心をギクシャク、ドキをムネムネさせております。

製造元さんと直接商品についてやり取りができる仕事こそ、僕の天職だと感じるところ。
一応も二応も「収納製品メーカー」を標榜している当社ですが、この辺りをもう少し「暮らし」「困りごと」へと拡大解釈させながら、家族生活を豊かに、子育てシーンを楽しいものに、家事、育児という言葉から忍耐要素が減っていくようなことができないかなと考えています。

生まれながらの不器用で、自分の手ではプラモデルひとつ作れないのですが、これまで通り、製造元の皆さんとモノに携わりながら少し広げていきたいです。
それが、今後の日本、次の世代に何か良い影響、きっかけが作れるようなお仕事になれば最高ですね。

余白

子どもがいると、どうしても未来のことを考えます。
今自分がいるこの社会が、子どもたちが大きくなっても存在しているか。
はたまたどう変わっていくのか。
未来のために、自分が今できることは何なのか。
子どもに何を与え、何を与えないことが良いのか。
今世界、日本が抱えている問題は、将来解決されているか、それとももっとひどくなってしまうのか、

ここ数年だけでも、戦争、疫病など、身の回りにたくさんのことが起こりました。
少子化や経済力低下のニュースはやはり気になります。
生活全体に「余白」が減り、無駄を楽しんだり、どうでもいいことを考えるゆとりがなくなりそうで。

3人の子供を連れて歩いているときに、見知らぬおばあさんから掛けてもらった言葉が心に残っています。
「3人もいたら大変ねー。子育ての期間は余裕も無くて一番大変だったけど、今振り返ると人生の中で一番輝いた私の青春だった。」

もちろん、良い想い出として振り返られる人生も素敵だと思うけど、
できれば、子育て世帯の当事者が楽しめるような社会になって欲しい。

少し家事の負担が減って、経済が少し良くなって、家族全体に無駄を愉しむ余裕、忙しい中にも一定ある余白の意義、そんなものを創出するために、
僕たちは汗をかきたいと思っています。

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