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スタックストーバケットとの長い付き合い【フランスLife plastic社との出会い 後編】

不良の原因は組成にあり

ハンドルが切れてしまう要因は「組成」、すなわち樹脂素材の配合率が原因でした。
やり取りの際は、Compostionという言葉を使っていました。

バケットは、PE(ポリエチレン)という素材を使っていて、
生活用品でよく使われているPP(ポリプロピレン)との大きな違いは、素材自体が非常に柔らかいことです。

スタッカブルストレージ、というコンセプトを成立させるために、
バケット専用のフタ、onbaquet(オンバケット)を作りました。
目隠しにもなるし、積み重ねの補助にもなるこのフタは絶対便利だからと一緒にお金出しあって作ろうよと持ち掛けましたが、Life Plasticでは必要性がわからない、と言って、当社だけで金型投資をすることになりました。おおよそ3サイズのonbaquetで1,000万円くらいだったと思います。

onbaquet の金型
onbaquet grey

このフタをつけることで、上に積み重ねることは思惑通りできるようになったのですが、柔らかいバケットの素材が上からの荷重にしっかり耐えられるのか、という疑念が湧き、僕からLife plasticに対し、少し硬さというかコシを持たせることができないか、と相談しました。ただ、製品の特長であり、使いやすさの源泉である、PE特有の柔らかさは残したい。

それで、3種類か送られてきたサンプルの硬さを確認し、
この硬さと柔らかさのバランスが一番良い、と思ったものをチョイス。
これでお願いします、と伝えてフランスでの生産が始まりました。

PE+PP=スルメイカ

画像はイメージです

トラブルが起こってから、事前に送られてきていた色見本サンプルを引っ張るが、ハンドルはびくともしない。
ではなぜ、生産品が裂けてしまうのか。
硬度を上げたい、と言ったこちらの要求に沿うため、Life Plastic側でしたことを質問したら、「PPを混ぜた」と。

僕もその時に違和感を感じるほど、樹脂について詳しくなかったので、
ふーん、そうなんだ、くらいだったんですけど、後から名張にお住いの樹脂の専門家の先生に聞くと、
「それはあかん、完全にスルメイカやな!」とのこと。

PEとPPとでは、分子構造が違うので物理的に繋がらない。
それを聞いて、もうこれが問題だと理解しましたが、
いやいや、Made in Franceでしょ?
洗練された欧州の樹脂成型品の専門工場が、そんな樹脂に関することで凡ミスします?しかもPPとPEって、死ぬほど汎用性の高い樹脂だけど。

予想外のことがもう一つ。
Life Plasticが、過失を一切認めないこと。
お前らが硬くしろとかよくわからないこと言ったからだ、と。
その前に作ってたものや、日本に送ったもの以外の商品はどれも問題がない、と。実際、欧州のホームセンターに売られているものもハンドルキレていましたけどね。
あ、これはもう終わったな、と思いましたね。
先に支払いも済ませていたので、これはもうスルメイカ倒産だと。

黄金比を探す

Life Plasticの本国はイスラエルにあり、そちらから専門のトラブルシューティングチームが渡仏。
状況確認を早々に済ませると、最終製品でのゴールは硬度と軟度のバランス、且つ、ハンドルが容易に裂けないことを前提に、いくつかの樹脂の組成バランスが提案され、それをテストしていく。

1週間目、今回はダメだったと連絡。
2週間目以降はぷっつりとテスト経過の連絡が途絶える。
3週目、しびれを切らせて電話をする。いや、ダメだった。できたら連絡するから待ってくれ、と。

恐ろしく長く感じたテスト期間は、今振り返ると約4週間ほど。
資金が底をつくのも時間の問題だし、もう地獄に向かってひたすら落ちていく自分を感じながら、過度なストレスで声は出なくなり、舌先には激痛が走る。しゃがれた声で、森進一です、などと言っている余裕はもう1ミクロンもなかった。そもそもしゃがれ声じゃなく、空気が出るだけで音がしなくなった。
会社どうこうの前に、自分の命の心配すらし始めていました。

会社が飛躍できる大きなチャンスと思った6月から、たったの半年で倒産の恐怖に襲われるとは。自社商品を作るって、どれだけ難しく、責任が重く、大変なことか。思い知らされました。

2011年12月16日 新組成のバケットが完成

失意のどん底にいるところに、一本の電話が来る。
「良いのができたから、確認に来てくれ。」

ちょっとそこの島忠まで買い物来てくれみたいに軽く言いやがってと思いながらも、ほんの少しの期待を持って飛行機に乗りパリへ。
いつもはシャルルドゴールの空港に車で迎えに来てもらうのだが、工場までの2時間の道中を車の中で一緒に過ごすこともできないほどに毎日ケンカだったので、今回は電車で近くまでいくから来ないでくれと伝えた。

Cambraiの駅までは迎えに来てもらって工場入り。
本当にできていた。どれだけ引っ張っても、変な方向に力を掛けても、
100人乗っても大丈夫そうなバケツ、できていました。

バケツからチタマに出てきたわけではありません。
この時食べたフォアグラは久しぶりに味がしました

この後、年末にLife Plasticの社長が日本へ来て、求償についての商談がありました。朝スタートした商談は、結局夜中の2時に終わり、お互いの言い分を伝えたうえで、決して納得できるような内容ではなかったけど、どうにか新しい商品が入ってきて、お客さんが逃げずにまた買ってくれたら、
倒産だけはなんとか、、、というところで終了。
このまま逃げることもできたこのタイミングで、逃げずに求償話に応じてくれたことは今でも感謝しています。
そして、もうダメだというタイミングの中、ざわつく僕らの横ではOEMチームが集中力切らさず仕事に注力してくれて、たくさんの注文を取ってきてくれて、これが決め手となり、本当に最後の最後、崖っぷちの半歩手前でスルメイカを免れました。

地獄の中で出会った人たち

当時、この地獄の中で出会った人たちのことを、今でも思い出したりしています。
中でも、印象に深く残った人が2人いまして、
1人は福岡のWeeksさんの常務。
そしてもう一人は、モモナチュラルさんのバイヤーさんです。

常務は、「いろんな会社のいろんなトラブルのケースがあったけど、最後まで本当に逃げずに対応した。この対応が、今後に必ず生きると思う。」
と言ってくれました。

そして、モモナチュラルの方。うちが商品をリコールして、返品を受け始めたときに行ってくれた言葉。
「戻ってくるのを待っています。」と言ってくれました。

バケツができるようになったときには出なかった涙も、この時ばかりは出ました。未だに、新しい社員が入ってくるときに、この話をしています。

そして、2012年3月中頃、新しい組成で作られたバケットが日本に到着。
検品後、長らく停止していた出荷の解禁。
あっという間に売り切れとの連絡を、シカゴのハウスウェアショー視察中に受ける。
そこに出展していたLife Plasticのメンバーとも共有。
もう本当に憎しみ、こいつらとは一生付き合わない、と思っていたLife Plasticと私たちが、10年もの間取引を継続したまさに序章が、この2011年には詰まっています。思い出したらまたちょっと腹立ってきたわ笑

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