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勇気の心理学

心に傷を負ってしまった人。
家から出ようとしても過去の経験がフラッシュバックして出られない人。
人生に絶望している人。
先の見えない未来を考えて途方に暮れている人。
自分の体を傷つけて自分自身を罰している人。

日本では近年、SNSが発達してきた影響かこのような方々が表面化しており、ニュースに取り上げられ多くの人々に認知されてきています。

日本には上記のような方々がたくさんいる事実が明らかになってきているのはとても良いことです。
そのおかげで、心の病も認知され始め思いやりを持って接することが当たり前になってきています。

しかし、それでこの人たちの症状はよくなることはなく、またSNS発達の悪影響の面も表面化しています。

匿名性が高く、だれもが仮面をかぶることができるこの時代に己の欲望が抑えきれず、誰かに言葉の暴力を加えるということがたびたび起きています。
言葉の暴力にさらされた人は悩み苦しみ、ついには自殺をしてしまう悲劇が1年の間に数多くニュースで流れています。

私たちは、自分自身を律し、謙虚で健やかに生きるべきなのです。

そこで私は心理学の巨頭の中でも、100年先の心理学を追求したとされる「アドラー心理学」を語ろうと思います。

私も昔は謙虚とはいいがたく、常に周りの人間を敵視していました。
自分には本当の意味での仲間がおらず、常に孤独なのだと嘆いていました。

アドラー心理学は私のこのような考えに一石を投じ、心に波紋を呼び起こした本です。

世の中のすべての心理学を読破したわけではないので、もしかしたらこの学問よりも優れた心理学があるのかもしれません。
しかし、私が実際に挑戦しそして成果を得た学問はアドラー心理学でした。

ですので、私は私が知っているすべてを、私が実際に行ったすべてを発信していきたいと思っています。

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アドラー心理学の正式名称は「個人心理学」といいます。

この学問は、基礎に「すべての問題は対人関係の中にある」と説いています。
己の力だけで生きていく分には問題は絶対に起こりえないと言っているのです。

例えば、もうすぐ中間試験なのになぜか勉強が進まない。
このままだとよい成績が取れないことに悩んでいるとします。

なぜ良い成績で悩む必要があるのでしょうか?

理由は様々です。
親にいい成績を見せることができない、競争相手がいてライバルに勝てない、悪い成績を見ると自分がみじめに思えてくるからなど・・・。

さて、この人は根本的に何に悩んでいるのか。
それは親との関係性であったり、ライバルとの力関係であったり、周囲と比較した自分の評価だったりといえます。

アドラーはこのように説明しています。
「宇宙の中にただ一人生きるのであれば悩みは起こりえない」

すべての悩みは、だれかとの関係性を起源としているものです。
今この記事を読んでくれているあなたが何かに悩んでいるとしたら、それは他の誰かとの間にある悩みなのでしょう。

アドラーは個人心理学のことを「使用の心理学」「勇気の心理学」としています。
心理学とは、そこにあるものではなく何かに成るために使われるべきであり、勇気をもって困難に直面することを推奨しています。

何かに悩み、一歩を踏み出せない人は勇気が足りないのです。
しかし、アドラーは言います、「あらゆる人はあらゆることを成し遂げることができる」と。

勇気が足りなければ勇気を持てばいい。
知らないのであれば知ればいい。
行動できないのであれば簡単なことを少しだけやってみればいい。

始めの一歩を踏み出すことができれば、あなたの前には無限の可能性がやってくるでしょう。

しかし、勇気が出せないから勇気がないんだということも聞きます。

勇気とは、幼いころからよく訓練され、困難に直面する技能だと思っています。
勇気がない人たちは、家庭環境や友人関係に恵まれず、暴力を振るわれたり過度に愛されることで勇気が挫け、困難を回避しようと努めます。
彼ら彼女らはそうすることでそれ以上傷つくことのないように楽な立ち回りをしているのです。

しかし彼ら彼女は野心がないわけではありません。
むしろ、人一倍野心が強いからこそ、困難を回避しているのです。

自分に勇気を持てないと思う人は、ほかの人を頼るべきです。
ただ、ほかの人を頼った結果「わたし」が傷つくかもしれないと思っていると、いつまでたっても一歩を踏み出すことができません。

勇気を持てない人が勇気を持つにはどうすればいいでしょうか?

私なりの回答としては以下になります。

「傷つくことを恐れるな。嫌われることを恐れるな。」


誰からも好かれるなんてことはできません。
個人心理学を勉強し続けている私も同様です。
人には好き嫌いがあり、だれもを好きになることはできないでしょう。
それは仕方のないことです。

ですが、今この記事を読んでいるあなたは別です。
相手のことを好きであろうとしてください。

相手があなたのことを好きにならなくても関係ありません。
最終的には相手のことがどうしても好きになれなくても構いません。
あなたが他者に関心を持つのです。

アドラーの言葉を引用しましょう。

「あなたが始めるのです。ほかの誰でもない、あなた自身が」


人は変わることができます。
1年後とか、1カ月後とかではなく、今この瞬間から変わることができるのです。

この記事を読んでくださっている人の中に悩んでいる方がいるのであればお力添えができればと思っています。
私も未熟者ではありますが、貢献はできるでしょう。
私の持っている情報を共有し、誰かの人生に助力することができればこの上ない幸せです。

個人心理学を学んでいて一つ思うことがあります。
人の人生とはかくも尊いものであるということです。

10人の人の中に流れている運動の線は同じものはなく、それぞれがユニークです。
地球にはこんなに多くの人がいるというのに、彼ら彼女が知覚している世界には共通点があったとしても、全く同じということはないでしょう。

彼ら彼女らと共同体を築き、援助し合い高め合うことのできる関係ができれば、世の中に起きている悲劇も少なくなるに違いありません。

人は個人では生きることのできない生き物です。
必ず社会の共同体に属して生きています。

誰かと関係を持たなければならない以上、それを否定していては幸せになることはできません。
相手に貢献してこそ、自分の価値が上がるのです。

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勇気の心理学といったのに、なんだかあっちこっちに話題がそれてしまった気がします。
プロットも何も考えてないので思ったことをそのままアウトプットしているだけなんですよ・・・。
そもそも私がやりたいようにやらせていただいているだけなのでそれでもいいのかもしれませんが。

次回は「幸せと何か」について、個人的な見解を吐き出したいと思います。
人それぞれ幸せの形はあるでしょうが、共通しそうなことだと思います。

ここまで読んでくださり本当に有難うございました。

では、また次回。

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