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人間を知るすゝめ

はじめに

私は20歳の頃から自己分析を何度も繰り返してきました。
私は私自身のことを全く知らなかったからです。

仕事はミスばかりで無能と呼ばれ、人の話を聞けず、大事な資料や鍵財布その他諸々までをよく忘れていました。
忘れたくないのでメモを取って覚えようと試みましたが、メモそのものを無くしてしまうことも日常茶飯事でした。

生活に支障をきたし心を病んでしまったこともあります。
そんなになってもまだ私は、私自身の全容を知るに至っていません。

自己分析のやり方を間違っているのか、それともまだ深掘りが足りないだけなのか、その両方なのかはおそらく全容を見つけてから出ないとわからないでしょう。

あなたも自己分析をしたことはあるのではないでしょうか?
やった事があるのであればその難しさをよく知っているはずです。

今回は人間を知ることの難しさと知る意味について語っていきたいと思います。

人間知という学問

個人心理学では人間知という学問があります。
言葉のまま、人間を知るという学問です。

アドラーは人間は人間のことを全く知らないと言っています。

時には知らない人と電車で隣同士になることもあるくらい、人間とは我々に取って身近な存在です。
しかし、そんな身近な存在のことを我々は何一つ知らないまま日常を送っています。

先入観なく人間のことを調べて見ると、多くの発見を見出します。
年齢を重ねても有名な自己啓発やエッセイを見て、人生観が変わる人は多いでしょう。
そのくらい我々は人間に対して無知であると言えます。

人間知を極めたものは世界を見てもおそらくごく僅かな知者のみでしょう。
我々は、これからの時代をより良く生きるために、人間のことを理解しなければなりません。

孤立して生きている不自然な世界

人間知は孤立して生きる事がないようにするために必要不可欠です。
アドラーの時代からすでに人は孤立して生きていると言われていましたが、今日ほど人間が、ここでは日本人が孤立して生きている日はないでしょう。

スマートフォンを一日中いじっている人、SNSでのみ繋がりを持っている人、心を病んで引きこもっている人、他人が危険な状態に陥っている時に動画撮って目立とうとする人。

現代では、人は他人に無関心であろうとします。
他人の揉め事に巻き込まれないように、犯罪者と言われのない誹謗中傷を受けないために。

SNSの発達でこの考えは非常に強くなったと思います。
匿名性というものが人の正義を誇張させ、犯罪者(と思った人)を皆で一丸となって徹底的に嬲り犯す世界がSNSにはみられます。

他人と一緒にいるメリットよりもデメリットの方が多く見せるので、知らない誰かを助けるということもしづらいのでしょう。

我々は幼い頃から人間知に関する教育を受けていません。
学校でもほとんど学ぶ機会はありません。
道徳の授業の中に、ほんの僅かにあるかもしれないくらいです。

人間知を知らないまま育った我々は、我々の子供に同じように教えるでしょう。
子供も人間知を知らないまま、正義の拳を振りかざして育つのです。

そうして、人間は孤立して今を生きています。
希薄な人間関係はありますが、他人のことを知らないまま生きているのでしょう。
中には本当に孤立して、つまり誰とも関わらないまま生きている人もいるかもしれません。

社会全体を見ると、孤立して生きることは大きなデメリットである事がわかります。

まずは少子化問題です。
女性や男性の悪い面のみが伝聞され、結婚のデメリットばかり表面化して、若者は結婚する意義を見出せなくなっています。

特に若者はSNSを使いこなし1人で生きて行けるかのように見せるのが上手いので、まるで生涯に渡って幸せであるかのように振る舞います。

しかし、人間は個人である前に共同体という社会があります、個人単体で見ると非力であり無力なので、他者を必要とする動物です。

ですから、いつまでも孤独に生きて行くことはできないでしょう。

また、少子化が進むに連れて人材不足にも陥ります。
これは今まさに表面化している問題でもあります。

希少な技術が失われていき日本の価値が下がり、それが必要となった時はすでにロストテクノロジーとなって、誰もが後悔をする時がやってきます。

人材不足になると次は経済にまで問題が発展していきます。
生産者がいなくなり物流も停滞すると物の価値が暴騰します。
今まで100円で買えていたものが150円に、そして200円に上がります。

そのくせ、お金が回らないので手にするお金も少なくなります。
こうなっては日本という国に住めなくなるのも近いのかもしれません。

他の国に住めばいいと思う人もいるかも知れませんが、この後に及んでも日本に残った人が他の国に無事に移り住む事ができるでしょうか。

全てを他者に任せ自分は安全なところで不満を垂れ流しながら蜜を吸い続ける
それを繰り返してきた人が困難を目の前にした時、それに直面できるとは到底思えません。

そうならないためにも自分を知り他者を知る事が大事なのです。

他者を知るということ

今を真剣に生きる上で、相手のことを知ることはとても重要なことです。
相手のことを信じるようになることで、巡り巡って自分自身の価値を感じるようになるからです。

他者があなたを信じるようになるととても嬉しいはずです。
同じことを相手は思っているかも知れません。

あなたが人間としてかけ離れた存在でない限り、多くの人は基本的にあなたと同じように笑ったり怒ったり悲しんだり楽しんだりしているのです。

あなたと他者は人間として対等であるわけですから、臆することはありません。
仲良くなりたい人と仲良くなろうとすればいいのだと私は考えています。

もしも、お互いがお互いのことを理解しようとする関係が築ければ騙し合う必要がなくなりますから、2人の関係はより良いものになります。

どのようにして他者を知るのか。
ますば、他者が関心するものに関心してみましょう。

好きなもの、興味のあるものには必ず理由があります。
それを知り、あなたも興味が持てれば共通点が生まれます。

どうしても好きになれないこともあるでしょう。それで構いません。
むしろ全てのことに関心を持っている人の方が稀なのです。

好きなものというのは必ず複数あります。
1つのことにのみ関心を持っているように見えても、よく観察をすると小さな分岐点を発見することでしょう。

その分岐点は全て1つのことに収束していくので、まるでそのことにしか興味がないように見えるということです。

始めに相手のことを知ろうとするのは重要なことです。
そして共感して共通点を作り我々は仲間であるということを示す、ということをここに提案します。

己を知る

他者を知るメリットと知る方法はなんとなくわかりましたでしょうか。

他人のことに興味を持つ前に自己分析をしたい人もいるでしょう。
しかし、勘違いをしてはなりません。

他者を知ろうとすることよりも、自分自身を知ることの方が何倍も難しいのです。

我々は、「わたし」という存在を一番知っている人間です。
これは客観的にみた事実です。
「わたし」の歴史は「わたし」だけが細かに覚えており、今の「わたし」の考えを一番理解できるのは「わたし」自身でしょう。

ですが、今あなたはあなた自身のことを本当に理解をしているでしょうか。
己のことを一番理解できるのは己自身だと言いましたが、だからといって己のことを理解しているとは限りません。

我々は今まで様々な経験をしています。
幼かった頃の自分と成長した自分を比べると、かなり変化したように見えるでしょうし事実知識はたくさんつけているのは間違いありません。

だからと言って、「わたしはあの頃とは違う、変わったのだ。」と思ってしまったのであれば、あなたはまだ己のことを理解していないと言わざるを得ません。

人間にはライフスタイルというものと備えています。

ライフスタイルとは、個人の生き方や根本的な考え方、自分という存在そのものの根源となる柱のようなものだとイメージしてください。

人間はライフスタイルを幼い頃、3-4歳の頃にはすでに完全に確立しそれは生涯にわたって持ち続けます。
そして基本的にライフスタイルはその形を変えることはありません。

こんな話をしましょう。
アドラーが実際に診た患者のお話です。

その人は30歳になった男性で、並外れた野心の持ち主でした。
困難な子供時代を送ったにも関わらず、成功を掴み取り名声を得ました。
しかしその人は極度の鬱状態になり、働く気力どころか、生きる気力まで失ってしまったというのです。
婚約をしているのだが将来に不安を持っている、とその人は言います。
とても強い嫉妬に悩まされて婚約がいずれ解消されるかもしれない、と彼は言いました。

そこで、アドラーは婚約者を調べたところ、彼女に悪いところは何一つないという結論に至りました。
一見すると、彼は自分を好いてくれる人に近づくが、その人に攻撃的に接し、そうなると不信感で心がいっぱいになり、今まで築いたものを壊すような人たちのうちの1人であるかのように感じるかもしれません。

他に何をみるべきでしょうか。

アドラーはここで、彼の幼い頃に焦点を当てました。
彼が覚えている幼い頃の回想を聞くと、このような記憶があったと話しました。

曰く、
「彼は母親と弟と市場にいた。市場は混んでいたため母親は兄である彼を抱き上げた。しかし彼女は弟を抱き上げたかった。そこで彼を下ろして弟を抱き上げた。彼はしょんぼりして母親の脇を歩いた。」
と。

この時、彼はまだ4歳でした。
結局のところ、彼は自分が気に入られているということに確信がもてず、また誰か別の人が自分よりも気に入られていることに耐えられなかったということです。
だから彼は嫉妬心が強く、自分が気に入られている証明をするために婚約者を問い詰め、おそらく喧嘩をしたのでしょう。
婚約が破棄される危機に晒されているのです。

人間の乳児期はまだ未成熟な時期ですが、そのときにはすでに自身の世界像をぼんやりとですが思い描いています。
今我々が生きている目標はそのときに築かれた世界像が元になっていると言えるでしょう。

先ほども書きましたが、ライフスタイルは基本的に変わりません。
しかし、個人心理学者はこう言います。

人は今直ぐに変わることのできる生き物だ。

己を知るということは自身のライフスタイルを知ることと同じです。
自分の中にある形がどのようなものなのかを把握することが変わるための第一歩でしょう。

そこで私は、自分が記憶している中で一番古い記憶を思い出すことを提案します。
4歳の頃でもいいですしもっと小さい頃でも構いません。
そのころの記憶はおそらくほとんど形骸化しているでしょう。
我々はそこに何かしらの意味を持たせるために装飾を施しているはずです。

自分の記憶を観察して、その記憶が今の自分にとってどのような意味を持たせているのかを考えてみてください。
きっとライフスタイルを知る手掛かりになるはずです。

さいごに

人間知はとても奥が深くまた難しい学問です。
私も人間知の本を何度も読み返しているのですがなかなか頭に入ってきません。

また、知るだけで人間は変わることはできません。
私の記事にちょこちょこ出ている「貢献」が変わるためには必須です。

また機会があれば、人間知について触れていきたいと思います。

では、また次回。

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