そうそう結局略歴。
茨城県 常磐大学コミュニティ振興学部ヒューマンサービス学科ボランティアマネジメントコース卒業・・・(いや、ながっ!!)
日本青年奉仕協会のボランティア365プログラムに参加。
ざっくり言ったら、海外青年協力隊の国内バージョン。1年間、全国の福祉、教育、地域振興 などなどいろいろな施設へ、
住み込みでボランティアをしたい若者を派遣してくれる会社。
ここに申し込んで、富山県富山市にある
NPO法人北陸青少年自立援助センターはぐれ雲へ派遣され、
この寮で1年間住み込みでボランティアをすることとなる。
動機は、一つは、教員志望で大卒で教壇にたてるイメージがわかなかったこと、まあ自信がなかったこと。
二つ目は、自分のことを誰も知らない土地で、何ができるか、試したかった事。ここまで、親の兄の影響力が地域で大きくて、ずっとレールの上をたどってきた感じだった。自分を知りたかった。
はぐれ雲は、ニート、ひきこもり、不登校とよばれる若者が共同生活を通して、自立を目指す という施設だ。
僕が大卒の23歳の年にきたときに、寮生のほとんどがぼくより年上だった。
きた当初、いろんな境遇の子たちがいると思うと、自分の友達はおもろくて、自分の兄弟はイケててだとか、自分の紹介をハッピーなおもろい感じでしたら、傷づく子もいるのかなと考えたら、必要最低限のことしか言えなかった。それでは 周りとの距離は縮まらない。
そんなときスタッフE氏から、「言ってみて、言いすぎたり、間違ったら、ごめんなさいだ」と言われた。
そうそう、彼らを特別視することなく、人対人の関係づくり。「おはよう、ありがとう、ごめんなさい」当たり前のことを当たり前にする。
1年目の当時、ボランティアというわけだが、報酬というか、おこづかいがあった。
それは月3万円。
有償ボランティアってやつだ。
労働して、3万って。
えぇーーーー!!ってなるかと思う。。。
ただ、そこに対してぼくはどってことなかった。
なんなら休日も 働いていたスタッフよりも少なかったように思う。
代表の川又氏の言葉は「遊んでりゃいい」
それだけだった気がする。
自分なりだが、自分の良心のもと、がむしゃらにやってた。
今思えば、
大学時代、なんとなく中途半端でプラプラしてて、
遊んでばっかで、
やりたいことも特になく、
就活からも逃げて、
そんなダメな自分を肯定したくて、認めたくて、
周りに認めてもらおうと必死だったのかもしれない。
実際、1年目は、来年の今日は、自分はここにはいない と思い、
経験できることは経験しておこうって思って、
地域の行事なんかもなんでも参加していたと思う。
それが、来年の今日はここにいない自分から、来年ここにいない自分が想像できなくなっていた。
何が変わったかというと、
はぐれのみんなが、
地域のみなさんがぼくの居場所をつくってくれたのだと思う。
ぼくは残って2年目から新スタッフになることになった。
1年やってみて振り返ると、ぼくは「教育イコール先生」「教育イコール学校」って概念があったけども、そこが取っ払われた感じ。
実際、不登校と呼ばれ、ぼくよりも年下の寮生は、ぼくよりも仕事ができて、土方バイトへ呼ばれ、
駐車場作ってきた なんてこともざらだ。
とにかく、ここの寮生らは、日々、地域のつながりある企業から、アルバイトによばれ、実践を積み重ねているのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?