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ラテン・リズムと見るアメリカ音楽史とロカビリーの誕生

Ed Sheeranの『Shape of You』は「タッ・タッ・タッ」というリズムが特徴ですが、これはラテン・アメリカからアメリカに持ち込まれ、ポピュラー音楽のメイン・ストリームに取り入れられたラテンのリズムです。

当時の録音は残っていないので、正確にいつ頃このリズムがアメリカに持ち込まれたかは不明ですが、19世紀から第二次世界大戦までの数十年間、ラテン・リズムはアメリカのポピュラー音楽のレパートリーに広まっていきました。

これは主にアフリカ系音楽に顕著で、ラグタイム、ブルース、ジャズ、R&Bとラテンのリズムは代々受け継がれてきました。ラテン音楽を模したポップ・ソングを除くと、白人の音楽にラテン・リズムが取り入れられることは稀でしたが、1950年代になるとこの状況は変わりました。カントリー系ミュージシャンがラテン・リズムを取り入れて、ロカビリーというジャンルが誕生したのです。これはロックンロール旋風の一端を担い、アメリカ音楽のみならず世界の音楽に多大な影響を与えました。

この記事ではラテンのリズムと共に、1950年代頃までのアフリカ系アメリカ音楽の発展と、それがカントリー系音楽に影響を与えてロカビリーが誕生した様を見ていきたいと思います。


代表的なラテンのリズム

ハバネラとトレシージョ

ハバネラとは下の図1ような「タッ・タタッ・タッ」のリズムで、2拍目をなくしてシンコペーションにした図2のようなものをトレシージョと呼んで区別することがあります。トレシージョは初めに見たEd Sheeranの『Shape of You』のリズム・パターンでもあります。

図1: ハバネラ
出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Contradanza (リンク先に音源あり)
図2: トレシージョ
出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Tresillo_(rhythm) (リンク先に音源あり)

クラーベ

ハバネラやトレシージョと関連した重要なラテン・リズムに、クラーベと呼ばれるものがあります。3-2ソン・クラーベはトレシージョの「タッ・タッ・タッ」に「タッ・タッ」を付け加えたもので、2-3ソン・クラーベはその逆で、「タッ・タッ」にトレシージョを加えたものです。

図3: クラーベ
https://en.wikipedia.org/wiki/Clave_(rhythm)#3–2/2–3_clave_concept_and_terminology (リンク先に音源あり)

ラテン・リズムと見るブラック・アメリカのポピュラー音楽小史

リング・シャウト

1860年代の南北戦争以前アフリカ系の奴隷は、西アフリカから持ち込まれた宗教儀式であるリング・シャウトの伝統を持っていました。これは輪になって踊り、段々とトランス状態になって人が倒れていくというものでしたが、音楽も伴っていて、コール・アンド・レスポンス形式で歌が歌われました。当時、ドラムは禁止されていましたので、手拍子でリズムを補っていました。

リング・シャウトはその後、スピリチュアルズ、ゴスペル、ドゥーワップ、ソウル、ディスコ、ファンク、ヒップホップと発展していく流れの始まりに位置付けられます。

この伝統は現在でもジョージア州沿岸部で受け継がれており、録音も残されています。2017年にリリースされたThe McIntosh County Shoutersのアルバム『Spirituals and Shout Songs from the Georgia Coast』に収録されている『Jubilee』を聞くと、この手拍子のリズムにトレシージョが使われていることが分かります。

ラグタイム

ジャズの源流は、次に見るヴォードヴィル・ブルースとラグタイムだと言われていますが、そのラグタイムにもラテンのリズムは登場します。

ラグタイムは主にピアノで演奏される器楽で、シンコペーションを特徴としています。19世紀末から20世紀初頭に大流行し、当時ポップスのメイン・ストリームであったティン・パン・アレーにも影響を与えました。

その流行の1893年にシカゴで開催された万国博覧会でしたが、その時にラグタイムのパイオニアであるJesse Pickettは『The Dream』という曲を演奏したと言われています。

本人の録音は残っていませんが、のちにストライド・ピアニストのJames P. Johnsonによって録音されたものを聞くと、左手のベースにラテン・リズムが使われていることがわかります。

ブルース

ブルースには、Robert Johnsonなどギターの弾き語りスタイルに代表されるカントリー・ブルースとW. C. Handyに代表されるアンサンブル・スタイルのヴォードヴィル・ブルース (もしくはクラシック・ブルース)の2種類があります。

ヴォードヴィル・ブルースはラグタイムと並んでジャズの源流とされていますが、これにもハバネラのリズムが見られます。W. C. Handy作曲の『Saint Louis Blues』(1914年)にはイントロをはじめとする随所にハバネラのリズムを聞くことが出来ます。

当時のブルースはダンス音楽で、『St. Louis Blues』もこれを意識してタンゴのリズム (ハバネラ)が取り入れられたとのことですが、いずれにせよこのリズムの広まりを示す例です。

ニューオーリンズ・ジャズ

ラグタイムとブルースが源流となって20世紀初頭にニューオーリンズでジャズが誕生します。ニューオーリンズはそもそもラテン・アメリカ世界との結びつきが強い土地柄で、当然ラテン・リズムも見られます。

20世紀初頭に活躍したジャズのパイオニアの一人であるJelly Roll Mortonは「スペイン的な色合いがなければジャズではない」と言っており、スペイン/ラテン・アメリカのリズムはニューオーリンズ・ジャズの重要な要素となっています。

そのJelly Roll Mortonが1926年に録音した『Black Bottom Stomp』にはハバネラやこの後に見る『Charleston』を思わせるリズムが使われています。

『Charleston』は、1923年にJames P. Johnsonによって作曲され、ダンスと共に大流行しました。この曲には3-2クラーベの前半部分のリズムが使われています。

スウィング・ジャズ

ニューオーリンズ・ジャズは1920年代にシカゴ・ジャズへと発展します。その後、ヨーロッパ風のダンス・バンドの影響を受けて1930年代にはスウィング・ジャズが成立しました。スウィング・ジャズは比較的シンコペーションの少ない均等なリズムが特徴ですが、それでもラテンの影響は伺えます。

1936年にLouis Primaが作詞作曲し、1937年にBenny Goodman Orchestraが録音した『Sing Sing Sing』のイントロのドラムには3-2クラーベが使われています。ちなみに、このドラムを叩いているのはGene Crupaです。

1940年代のスウィング・シーンでは、ブギ・ウギを使った曲が流行します。ブギ・ウギは元は1920年代にシカゴのブルース・シーンで流行したものでしたが、スウィングを通じてR&B、カントリーにも取り入れられ、その後のロックンロール等に大きな影響を与えます。

そうした曲の中でも、Bob Zurkeの『Rhumboogie』(1940年)ではタイトルに「ルンバ」と入っているように「タッ・タッ・タッ」のリズムが使われています。

R&B

ジャズにブルースが深く関係していることはすでに見ましたが、1940年代になるとLouis Jordanに代表される、ブルース色の強いジャズ、ジャンプ・ブルースが登場します。これは第二次世界大戦後にはR&Bとなりました。

R&Bにおけるラテン・リズムは特にニューオーリンズで聞くことができ、Dave Bartholomewの『Carnival Day』(1950年)とProfessor Longhairの『Mardi Gras In New Orleans』(1950年)ではクラーベが使われています。

Dave Bartholomewは『Ain't That a Shame』などを作曲したFats Dominoのパートナーとしても知られる人です。

その他のR&B/ロックンロール曲ですと、Bo Diddleyの『Bo Diddley』(1955)は3-2クラーベを大々的にフィーチャーしていることで有名です。

ここまでのまとめ

さて、ここまで1900年代初頭から1950年代のアフリカ系音楽とラテン・リズムについて見てきました。ラテン・リズムはアフリカ系音楽に深く入り込んでおり、これが「アフリカっぽさ」の一端を担っていることが分かったかと思います。

では、もう一方の白人の音楽 (カントリー)とラテン・リズムの関係はどのようなものなのでしょうか?次のセクションで詳しく見ていくように、実はロックンロールのサブジャンルであるロカビリーは、このラテン・リズムを大々的に取り入れたカントリー・ミュージックだったのです。

この記事ではロカビリーまでしか扱いませんが、こうして白人に受容されたラテン・リズムはこの後、ロック、ファンク、ヒップ・ホップを通してEd Sheeranなど現代の音楽へと繋がっていきます。

ロカビリーとラテンのリズム (Brewer 1999の翻訳)

John Storm Robertsはハバネラの定義の中でラテンアメリカのリズムがアメリカのポピュラー音楽に流れ込んだことを以下のように記述している:

"Cuban dance of Spanish origin, the first major Latin influence on U.S. music around the time of the Spanish-American War. Provided the rhythmic basis of the modern tango, which makes its influence in 20th century American music difficult to trace."

「スペイン発祥のキューバ舞踊であり、米西戦争の頃に持ち込まれた、アメリカのポピュラー音楽に影響を与えた最初のラテン音楽。現代のタンゴのリズムの基礎となり、それが20世紀のアメリカ音楽に与えた影響を追跡するのは困難である。」

その後、1920年から第二次世界大戦までの数十年間、ラテン・シンコペーション、特にハバネラのパターンに見られるものが、ポピュラー音楽のレパートリーに広まっていった。

南部の若い白人ミュージシャンたちは、録音やライブ演奏を通じて、ハバネラなどのラテン・リズムに触れた。Robert Finkが示唆したように、多くのロカビリー・ミュージシャンは、ハバネラがアフロ・キューバンの伝統であることも、その正しい定義も知らず、むしろエキゾチックでエロティックなストリップ劇と結びつけていたと考えていいだろう。さらに、ロカビリー・ミュージシャンがハバネラのパターンを自曲に採用した時、ラテン音楽を演奏しようとしていたという考えを裏付ける証拠はほとんどない。

Robertsが示唆したように、ラテン音楽のシンコペーション・リズム・パターンとその固有用語は、すぐにアメリカのポピュラー音楽に広まった。したがって、この研究にとってラテン・リズムの発展や分類について深く掘り下げたり、アメリカのポピュラー音楽におけるその変容の歴史をたどったりする必要はない。この研究ではラテン・アメリカ音楽そのものではなく、アメリカのポピュラー音楽において発展した特定のリズムのみを扱う。

New Grove Dictionary of Jazzはハバネラを以下のように規定している。ハバネラは、これらのグループ分けの中で最も単純かつ一般的なものである。本稿では、例1のリズムパターンをハバネラリズムとして引用する。

"Latin jazz rhythms are constructed from multiples of a basic durational unit, grouped unequally so that the accents fall irregularly in a one-or two-bar pattern. The Habanera is the simplest and most common of these groupings"

「ラテン・ジャズのリズムは、基本的なデュレーション・ユニットの倍数から構成され、アクセントが1小節または2小節のパターンで不規則に落ちるように、不均等にグループ化される」

例1: ハバネラの代表例2つ

1956年以前から、ロックンロールの初期のヒット曲の多くに見られ、ヨーロッパ系アメリカ人とアフリカ系アメリカ人のミュージシャンの両方によって使用されていた。3拍子の遅いバラードや速いブギウギの曲とともに、ハバネラは様々な楽器の組み合わせで演奏される標準的なリズムとなった。

例えば、ハバネラはピアニストの左手や、ストリング・ベースやサックスで演奏されることが多く、長三和音を用いるのが一般的だ。Bill Haleyが1954年に録音した『Shake Rattle and Roll』のように、サックス・セクションのリズム・モチーフとして使われたり、Fats Dominoが1955年に録音した『Blue Monday』のように、よりリラックスした形で使われたりした (例2、3参照)。しかし、楽器編成やオーケストレーションに関係なく、ハバネラは曲全体で繰り返されるドライブ・パターンである。

例2: Bill Haley and his Cometsの『Shake Rattle and Roll』(1954年)のサックス・ライン
例3: Fats Dominoの『Blue Monday』(1955年)のサックス・ライン

もう1つの例は、1956年3月にBillboardのR&Bチャートで2位を記録したLittle Richardの『Slippin' 'n' Slidin'』に見られる (例4参照)。バンドのサックス・セクションは、8分音符のスウィングするハバネラのフル・パターンに忠実で、途切れることなく演奏されている。

一方、ベース (おそらくエレクトリック)はシンコペーションを用いてハバネラ・リズムを演奏している。両者が絡み合うことで、エキサイティングなポリリズムのホケットが生まれる。とはいえ、初期のロックンロール・レコーディングにおけるこのハバネラの使い方は、従来のアフロ・キューバン音楽のそれである。しかし、比較のために言っておくと、これらのポピュラー・バンドによるハバネラの演奏は、1930年代から1940年代のダンス・バンドに至るまで、世紀の変わり目からニューオリンズで発展してきた伝統の中に、まだ大いに残っていたのである。

例4: Little Richardの『Slippin' 'n' Slidin'』(1956年)のサックスとベース

新しいアイデアを求めるカントリー・ミュージック

戦後のダンス・バンドやニューオーリンズのR&Bバンドと同じようにハバネラを演奏するのではなく、むしろ文化的な特異性や微細な影響をシンコペーションやパターンの目的に反映させていた。戦後、カントリー・ミュージシャンが使用したこれらのリズム・パターンに関する用語の混乱にも関わらず、白人のカントリー・ミュージックは、アップビートとダウンビートがきちんと区別されていることが特徴であった。簡単に言えば、1950年代初期から中期にかけてのカントリー・レコードでは、楽器の伴奏に繰り返されるアンティシペーションやシンコペーションは、使われたとしてもごくわずかだった。

一部のロカビリー・ミュージシャンは黒人ミュージシャンと直接接触していたし、R&Bのレコードを聴いていた者もいたが、一般的にはHank Williamsに代表される音楽に慣れ親しんでいた。1950年代前半のホンキー・トンクの録音は、少数のプロのセッション・プレイヤーによって演奏されることが多く、通常、似たような楽器編成が維持され、音楽アレンジの暗黙のルールに従っていた。例えば、アコースティック・ベースが演奏するパターンはシンプルに保たれ、1小節に2音か4音を演奏するか、3/4拍子の場合は1小節に1音しか演奏しない。同様に、カントリー・レコーディングではドラムがまだ新しかったため、エレキ・ギターはリズムとハーモニーの補強として、低音弦で消音された単音のリズム・パターンを演奏することが多かった。

1956年にElvis Presleyの演奏スタイルが全米で人気を博した後、彼の型破りなスタイルの成功は、カントリー・ミュージック業界の多くの人々の羨望の的となった。新しいサウンドを探し求めるアーティストの多くのアウトテイク (現在はコンピレーションで入手可能)を見ると、カントリー・ミュージックの規範に慣れ親しんだ多くのプロのレコーディング・セッション・ベーシストが、1958年の時点でも、クライアントの楽曲にスパイスを加えるために、普通とは違うエネルギッシュなパターンを発見することを市場から強いられていたことがわかる (例5から7参照)。

これらのベース・ラインのいくつかは、シカゴ・ブルースの録音に見られる同時代のロカビリー・ミュージシャンのパターンに似ているが、ハバネラのような連続的なシンコペーションの推進力には欠けている。しかし、1950年代半ばのカントリー・レコードにはない、珍しいベース・パターンへの革新的な挑戦は、ロカビリーの創始者Elvis Presleyが大成功を収めた後も、カントリー・ミュージシャンがいかに新しいアイデンティティを模索していたかを示している。

例5: Ric Cartney『Heart Throb』(1957年)のベース・ライン
例6: Ric Cartney『Mellow Down Easy』(1957年)のベース・ライン
例7: Morgan Twins『Let's Get Going』(1957年)のベース・ライン

Elvis Presleyとハバネラ

調査のために分析した約300曲のうち、商業的な成功を収めなかった曲はほとんどなかったが、Elvis Presleyの『Hound Dog』(1956年)のリリース以降、全米各地のロカビリー・レコーディングでハバネラやそのバリエーションが広く使われるようになったことは明らかである。このセクションでは、いくつかの地域で録音された、様々なアーティストによるロカビリー曲を取り上げる。

1940年代のブギウギ・ブームは、ゴスペルに至るまで、ほとんどすべてのポピュラー音楽に影響を与えた。白人カントリー・アーティストの中には、1946年という早い時期にカントリー・ブギーを録音した者も少なくないが (例えば、Arthur "Guitar Boogie" SmithやDelmore Brothersなど)、Elvis Presleyがサン・スタジオで録音した初期の音源が、現在ではロカビリーの出発点と一般的に考えられている。

不思議なことに、特にこの研究では、有名なサン・スタジオで録音された曲の中でハバネラのパターンが使われているのはわずか2曲しかない: 1955年に録音された『Trying to Get to You』と『I'm Left, You're Right, She's Gone』のスローでブルース風のアウトテイクだ。

どちらもエレクトリック・ギタリストのScotty Mooreが低音弦でハバネラ風のパターンを弾き、ベースは伝統的なカントリーの2拍子のままである (例8と9参照)。これらの例が重要なのは、Sun Studioでギターがこのように使われた唯一の例だからである。

例8: Elvis Presleyの『Trying to Get to You』(1956年、アウトテイク・バージョン)のエレキ・ギター
例9: Elvis Presleyの『I'm Left, You're Right, She's Gone』(1956年)のエレキ・ギター

Elvis Presleyのリリースの中心的なビート・パターンとして採用されたのは、彼がナッシュビルでRCAのために録音してから、特に『Hound Dog』以降である。Presleyと旅に疲れたトリオは、1956年の夏にニューヨークでRCAにレコーディングするまでの数ヶ月間、『Hound Dog』をコミカルな寸劇として披露していた。その過酷なセッションの中で、彼らはこの曲を30回演奏した。その繰り返しが、リズム感や楽器アレンジの変化を促し、この曲はコミカルで皮肉たっぷりの寸劇から、よくプロデュースされ、入念にアレンジされたヒット・レコードへと成長した。

例えば、エレキ・ギターは、ハバネラの輪郭をなす8分音符をストレートに弾き、1、4、7番目の8分音符にアクセントをつける。これに対してJordanairesは、ハバネラのパターンを手拍子で演奏している。ハバネラの応用と、ベーシストのBill Blackによる微妙な解釈は、ロカビリーに見られるスタイルの融合をよく表している。厳格なハバネラ・パターンに固執する代わりに、Blackはシンコペーション・パターンに四分音符のストレートを滑り込ませる (例10、11参照)。

例10: Elvis Presleyの『Hound Dog』(1956年)の手拍子とエレキ・ギター
例11: Elvis Presleyの『Hound Dog』(1956年)の最初のギター・ソロ中のベース

上昇するとき (8小節目)と、サブドミナントからトニックへ下降するとき (10小節目)、Blackは決まって4分音符のストレート・ビートに戻っている。このような4分音符の挿入は、Blackがヒルビリーやウェスタン・スウィングを演奏していた頃の名残であり、Robert Finkが指摘しているように、ロカビリー・ミュージシャンが「弱いアップビートのフレーズ全体を、重く強調されたダウンビートに不可避的に導くことによって、厳格なリズムの階層を強制する」手段として、アップビートとダウンビートの直線的な区切りを用いていたことを例証している。12小節のフレーズが繰り返される間、このマクロ的なベース・ラインは、激しいスネア・ドラムのフィルへときちんとつながる。

Blackのシンコペーション (または3拍目の先取り)は、真のハバネラを思わせる完全な8分音符ではなく、16分音符に近い。これらのロカビリーの屈折の例は、カントリー・ミュージックに見られるリズムの制約とシンコペーションのハバネラの融合を示している。Bill BlackとScotty Mooreは、ハバネラのシンコペーション・スウィングから遠ざかっただけでなく、作曲におけるビート・パターンの全体的な役割も変えた。

1956年7月にグループが『Hound Dog』をレコーディングする前、ギタリストのMooreはBlackとハバネラのラインをダブル (1オクターブ上)にしていたが、1956年6月にPresleyが『The Milton Berle Show』に出演した際、彼らのアンサンブルは、例えば『Slippin 'n Slidin』でのLittle Richardのサックス・セクションのように、リズム的に正確でスウィングしていなかったことは明らかである。

ロカビリーにおけるハバネラの目的は、アフリカ系アメリカ人アーティストによるレコーディングほど明確には定義されていなかった。とはいえ、MooreとBlackの魅力的なリズムのぶつかり合いは、物議を醸したPresleyのパフォーマンスとは対照的だった。実際、年配の視聴者の多くを激怒させたのは、スローで挑発的なテンポの2つのヴァースだった。その演奏では、遅いテンポの間、Scotty Mooreはハバネラを単弦で、より大きなシンコペーションで演奏した (例12参照)。

例12: 1956年6月5日の『The Milton Berle Show』で演奏された『Hound Dog』のエレキ・ギター

おそらく、物議を醸したテレビ出演のため、プロデューサーたちは『Hound Dog』の圧倒的な成功にもかかわらず、Presleyのその後のリリースではハバネラのパターンを活用しなかった。ナッシュビルとニューヨークで行われた最初のRCAセッションからの他の2曲だけが、そのエキゾチックなビートをほのめかしている。

『Don't Be Cruel』のイントロでは、Scotty Mooreが (弦のピッチを下げて)ハバネラを演奏したが、録音の残りの部分のリズムの推進力は、ピアノとバックアップボーカリストが支配するシャッフルビートに変わる (例13参照)。ドラマーのD. J. Fontanaは、Presleyの革で覆われたアコースティックギターをドラムマレットで叩くことでバックビートの重要性を低減し、Bill Blackは干渉しない半音符を演奏しているように見える。

図13: Elvis Presleyの『Don't Be Cruel』(1956年)のエレキ・ギターによるイントロ

もう一つの例である『Treat Me Nice』では、イントロでピアニストがハバネラのような和音を1小節弾いてから、ストレートなブギ・ウギのフィーリングに戻る。各短いコーラスの間、ピアノ (とおそらくベース)によって2小節のハバネラ・パターンが演奏されるが、これは『Hound Dog』のBill Blackの演奏に見られるようなシンコペーションの抑制を示している。『Treat Me Nice』で唯一繰り返されるハバネラのビートは、Presleyがアコースティック・ギターの後ろでドラムを叩くことによって供給される。

Craig Morrisonはロカビリーとホワイト・ロックンロールを正しく区別し、Elvis Presleyが両方のジャンルを成立させたと評価している。Little RichardやBig Mama Thortonの録音とPresleyの録音を比較すると、リズムの解釈とハバネラ・パターンの新しい機能が、その成立に一役買ったか、少なくともそれを際立たせたことも明らかである。ロカビリーは、黒人のR&B、白人のカントリー、ジャズ、ポップ・ミュージックの要素が、商業的な実験を通して合成され、新しく市場性のある音楽製品を作り上げる、漠然とした中間段階であった。

『Hound Dog』以降のロカビリー

Elvis Presleyは1954年に画期的で企業を震撼させるレコーディングを行ったが、1956年までには他の何人かのシンガーが新しいロカビリー・スタイルを広げていた。ハバネラのバリエーションは、Presley以外にも何人かのアーティストによって使われた。

例えば、元カントリー・シンガーのEddie Cochranが録音した『Twenty Flight Rock』は、ラテンのリズムを一定のリズムとしてではなく、飛び道具として使っている。イントロとヴァースでは弦ベースとエレキ・ギターがゆるやかなユニゾンでリズムを刻み、サビとソロでは不遜にもリズムのグルーヴがドライヴ感のある4ビート・パターンに変わる。

RCAからリリースされたPresleyの『Hound Dog』がハバネラを連続的なパターンとして使い、微妙なロカビリー風味を加えていたとすれば、Liberty RecordsからリリースされたCochranの録音では、よりロック的で手に負えない部分とのコントラストとしてハバネラが使われている。

『Twenty Flight Rock』では、ラテン風味のリズムは新しい世代の音楽 (特にロカビリー)がそこから出発できる、なじみのある、ほとんど伝統的なリズム・パターンとして使われた。ニューオーリンズの録音によって広まったハバネラの連続パターンの安定性と親しみやすさが、リズム的に衝動的なロカビリー・スタイルと対比するために使われるようになったのだ。

『Twenty Flight Rock』は、この研究の重要なポイントである、ベーシストとエレキ・ギタリストが見せるリズムの焦りを例証している。Bill Blackがそうであったように、彼らはハバネラのリズムで予想される3拍目を完全にシンコペートすることをはばかっている。特にエレキ・ギタリストは、小節の最初と最後の拍にアクセントをつけ、3拍目のシンコペーションを省略している。この制限された解釈に加え、パターンを繰り返すたびに最初のダウンビートを予期している。

確かに、これらは微妙なニュアンスだが、それにもかかわらず、ミュージシャンがシンコペーションに精通しているかどうかにかかわらず、ロカビリー作曲におけるハバネラ・パターンの重要性がわかる。例えば、ハバネラの3拍子は、伝統的な3/4拍子になりかけている (例14を参照、例1と比較)。

例14: Eddie Cochranの『Twenty Flight Rock』(1956年)のエレキ・ギターによるイントロ

1956年には、もう一つハバネラを取り込み解釈した優れた例が存在する。例えばGene Vincent and the Blue Capsが録音した『Teen Age Partner』は、Cochranの『Twenty Flight Rock』と同じタイプのアレンジを踏襲している。

ギターとベースは詩の間だけハバネラのリズムを弾き、サビとソロの部分ではストレート・ウォーキング・ブギ・パターンに戻る。『Hound Dog』のBill Blackのベース・ラインとは異なり、Jack Neilはハバネラを控えめに使っており (例15、9、10参照)、6小節目と10小節目にパッシング・トーンがある。ロカビリーのエッセンスは、ハバネラの風味を他のノンシンコペーテッドなスタイルに同化させることによってもたらされている。

例15: Gene Vincent and the Blue Capsの『Teen Age Partner』(1956年)のベースとスネア・ドラム

ハバネラのロカビリー的解釈

ハバネラの独自の解釈だけが、ロカビリーの特徴ではない。もう1つの特徴的な側面は、ブギウギの文脈の中で3拍子にアクセントをつけることによって形成されるハイブリッドなギター・ラインの使用である。ブギ・ラインの特定の音にアクセントをつけることで、ブギ・ウギのドライブ感とコードの充実感を保ちつつ、ハバネラ・パターンに近づけたり、少なくともラテン風味を提供することができる (例16と17を参照)。同様に、特にエレクトリック・ギターでは、拍子を予測する際に半音階的 (または時にはブルーノート的)な変化がしばしば用いられた (例18を参照)。

図16: Edwin Bruceの『Rock Boppin' Baby』(1956年)のエレキ・ギターとベース
例17: Jimmy Dell with the Jimmy Wilcox Orchestra『Rainbow Doll』(1958年)
例18: The Rock and Roll Trioの『Drnkin' Wine Spo-Dee-O-Dee』(1956年)のエレキ・ギターによるイントロ

ここまでは、ロカビリーがハバネラを抑制的に解釈することで、ロカビリー独特の風味が増した録音についてだけ述べてきた。南部の白人ミュージシャンにとって、ブギーのパターンにこのシンコペーションのアクセントを加えることは、より伝統的なカントリー&ウェスタン・スウィング・グループで演奏することに慣れていたビートの直線的な描写に、意図的に、音楽的にエキゾチックで悪魔的なアクセントを加えることだったに違いない。

しかし、アフロ・キューバン・シンコペーション・パターンの使用は、ロカビリー・レコードのスタジオ制作には必ずしも役立たなかった。ロカビリー化されたハバネラとその応用は、時には災難に見舞われることもあった。

作曲と演奏の両方の問題は、Carl Perkinsがサン・スタジオで最後に録音した『Lend Me Your Comb』(1957年12月)に見られる。この録音は、1950年代のロカビリーと1960年代の白人ロックンロールの過渡期を明確に示している。

この曲はロカビリーでもホワイト・ロックンロールでもなく、また、R&Bやポップにも分類できないため、この奇妙なレコーディングとその粗末な出来上がりは特筆に値する。実際、『Lend Me Your Comb』は1つのレコーディングに様々なリズムとコードのアイデアが混在している。

そのリズムとハーモニーのコンセプトは、明らかに『Wake Up Little Susie』(Carl PerkinsとJay Perkinsが『Lend Me Your Comb』をレコーディングする2ヵ月前にポップ・チャートで1位を獲得)に見られるものから派生したものだ。

イントロは、リズムのフックをユニゾンで演奏しようという中途半端な試みのように見えるが、ギター、ベース、ピアノはリズムもピッチも統一できず、ハバネラのシンコペーションに不安を感じているようだ (例19参照)。

例19: Carl Perkinsの『Lend Me Your Comb』(1957年)のイントロのエレキ・ギターとベース

曲が進むにつれ、アレンジはさらに乱雑で混沌としてくる。ハバネラは最初のヴァースではベースで演奏され、最初のコーラスでは突然シンプルな4分音符パターンに変わり、リフレインでは任意にハバネラに戻る。エレキ・ギターのソロ・セクションの後、2コーラス目とリフレインではベースが不規則にラテン風のテイストに戻る。エレキギターと、おそらくピアノ (この録音では両者の区別が難しい)が、ブギウギのようなスウィング感のあるシンプルなハバネラ・ラインを第1ヴァースで演奏する (例20参照)。

例20: Carl Perkinsの『Lend Me Your Comb』(1957年)の第1ヴァースのギター

最後のコーラスでは、ピアニストとギタリストがより複雑なラインを弾いており、ハバネラの名残とブギ・ウギのフレージングが組み合わされている (例21参照)。

例21: Carl Perkinsの『Lend Me Your Comb』(1957年)の最後のコーラスのギター

結び

ロカビリーにおけるハバネラの変遷を参考にすれば、ロカビリーがアメリカのポピュラー音楽の過渡期であったことは否定できない。白人のロカビリーは、ラテンのリズム・パターンを再現し変化させることで、アフロ・キューバン・シンコペーションの風味を残しながら、同時にそれを土着の音楽演奏スタイルと融合させた。ロカビリーにおけるハバネラ・リズムの使用は、現在のロカビリーという言葉の定義にしばしば引用される、スタイルのハイブリッド化の詳細な例である。

1950年代末、ロックンロールがひとつのジャンルとして固まり、ブギーやハバネラのようなスウィングやシンコペーションがなくなり、8分音符のストレートなリズムが好まれるようになると、ロカビリーのエッセンスがアメリカのポピュラー音楽シーンに広まった。Jerry Lee Lewisの2枚目のNo.1レコード『Great Balls of Fire』(1957年)やElvis Presleyの『Jailhouse Rock』(1957年)が、ブギウギやラテンのリズムではなく、8分音符のストレートな分節に支えられていたのは皮肉なことだ。

大衆の嗜好の変化には商業的、社会的要因も一役買ったが、1960年のChubby Checkerの『The Twist』や8分音符をストレートに細分化した他のヒット曲の成功は、ロカビリー時代の第3期を終わらせるのに一役買った。元ロカビリー・シンガーのRoy Orbisonでさえ1960年代前半のヒット・レコードはラテン風味を保ちつつも、インストゥルメンテーションにスウィングするようなシンコペーションはない。ロカビリー時代のパフォーマンスへの熱狂的なアプローチや、スタイルの行き当たりばったりの適用は、大手レコード会社がスポンサーとなった、より音楽的に慎重なティーン・アイドルの新種に徐々に取って代わられた。

技術革新もまた、メインストリームのポップ市場をラテン的なシンコペーションから遠ざけた。例えば、エレクトリック・ベースの登場は、アンサンブルにおけるこの楽器の役割を永久に変えた。おそらく、その音色の良さと音量の増加により、ロカビリー・レコーディングに見られたパターンのバリエーションや抑揚は放棄され、ベーシストは、ダンス・バンドのサックス・セクションのように、ある曲を通して単一のリズム・アイデアに固執するようになった。実際、Bill Blackにとってエレクトリック・ベースへの変更は非常に困難で苛立たしいものであり、映画Jailhouse Rockのサウンドトラック・セッション中に、Blackは新しいフェンダーのエレクトリック・ベースをスタジオの床に投げつけてしまった。1950年代に新しいレコーディング技術が開発されたことも、1960年代の音楽のレコーディング方法に一役買った。大型のミキシング・ボードと高精細マイクの登場により、スタジオはテープに何を収めるかをより慎重に考えるようになった。

1950年代のロカビリーやR&Bにラテンのリズムが多用されていたことを考えると、1980年代のロカビリー・リバイバルで失われた要素のひとつがハバネラの使用だったのは皮肉なことだ。その歴史的妥当性はともかく、今ではノスタルジアのためにテレビCMでよく使われるこのパターンは、ロカビリーよりもアフリカ系アメリカ人アーティストとの結びつきが強い。1970年代後半のロカビリー・リバイバリストたちは、意図的に、あるいは無意識のうちに「伝統を内面化しようとして、ロカビリーを生み出した1950年代のヨーロッパ系アメリカ人カントリー・ミュージシャンの制限されたリズムの抑揚を理解し取り入れることができなかった。

さらに、リバイバリストたちがロカビリーをサブカルチャーとしてアンバランスに再発明したため (音楽的な模倣というよりは、誇張されたヘアスタイルや複数のタトゥー)、ロカビリーの本質的な要素の多くは、現在では避けられない音楽的戒律によって濾過されてしまっている。その最たるものが、全米を席巻しているスウィング・バンドのダンス・ブームである。かつてのロカビリー・リバイバリスト、Brian Setzerに率いられたアメリカの若者たちは、ジャンプ・バンドの楽器編成とロカビリー・リバイバルのハイ・エナジーな演奏スタイルという新しい組み合わせで夜を踊り明かしている。

おわりに

さて、ここまでブラック・アメリカにおけるラテン・リズムの伝統と、それがホワイト・アメリカの音楽に与えた影響を見てきました。ロックンロールは様々な点でこの2つのアメリカの融合の産物とされますが、本稿を通じて、そこには近年特に存在感を増しているラテン・アメリカ (ブラウン・アメリカ)の存在が重要であったことが分かったかと思います。

参考文献

Brewer, R. (1999). The use of Habanera rhythm in rockabilly music. American Music, 300-317.

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