N研向け 不登校の考察①〜コロナ禍の影響を考える
これまで、筆者の勤務する某市教育相談センターでは、学年別の不登校を主訴とする相談件数グラフ化すると、中2を頂点とするやや尖った山形を示していた。
しかし、コロナ禍の一斉休校や陽性あるいは濃厚接触による登校停止、外出の自粛、三密を避けたソーシャルディスタンス等を経た令和4年は、相談件数の頂点こそ変わらないが小5〜中3まで一様に件数が増加した。
もちろん、コロナ禍が直接の不登校の増加につながったと言うつもりはない。
令和元年の文科省通知(「不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)」令和元年10月25日付文部科学省初等中等教育局長通知)で 『不登校児童生徒への支援は,「学校に登校する」という結果のみを目標にするのではなく,児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて,社会的に自立することを目指す必要がある』と、学校への登校が全てではないと明言している。
また、同通知で不登校児童生徒の一人一人の状況に応じて,教育支援センター,不登校特例校,フリースクールなどの民間施設,ICTを活用した学習支援など,多様な教育機会を確保する必要がある』と、ICTを活用したリモート授業の活用を示唆する記載もある。
そのような流れの中での〝コロナ禍〟である。
コロナ禍の1番の功罪はリモートによる学習や就労が一定数可能であると全国民に気づかせてしまったことではないだろうか。
令和元年の通知があったにせよ、コロナ禍までは「学校に戻らなければ学習ができない」「不登校で学習が遅れるとは、進路選択で不利になる」という半ば強迫に似た固定観念が、保護者にも児童生徒本人にもあったのではないだろうか。
学校という存在から、学習というイデオロギーが失われてしまった。
もちろんこれは、学習が自体が不要であるという事ではなく、知識を伝える役割としての教員の必要性を否定するものではない。いわば、学校という場所、教室という場所に対するアイデンティティの問いである。
教室での授業がリモートで代用可能と衆目の知るところとなってしまった今、不登校になった児童生徒に何を呼びかける事で、再登校を促せるのだろうか。
小学校高学年からの不登校相談の増加の理由を考えたときに、やはり、コロナ禍というファクターは外せないように思う。
言い換えれば、ICTの活用や給食の黙食、学校行事の自粛等により、直接対面して活動を共にする機会が減少したことの影響であろうか。
これは筆者の業務を通しての所感であるが、「クラス替えや進学で仲の良い子と離れてしまった」事を端緒に、不登校のきっかけとなるような対人トラブルや無気力、身体症状の表出につながっていくケースが増えたように思う。
不登校となる直接のきっかけの前には、新たに人間関係を築かなければならない環境に身を置かれている。しかし、クラス替えや進学はコロナ禍以前にも同じように行われていた。それでもやはり、コロナ禍が明けた学校現場では、それに対処し切れない児童生徒が増えたと感じる。
では、このコロナ禍の間になにが起きたのか?
そう突き詰めて行くと、やはり冒頭のリモートの功罪、直接対面の機会の減少というキーワードに戻っていく。
COVID‑19が5類感染症に位置付けられた今こそ、リモートと対面という課題について、真剣に考えるべき時なのではないかと感じている。