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用心棒、ビルバオをゆく
髪がばしばしじゃないか。
それもそのはずだ。
ボディシャンプーで髪を洗っていた。
やれやれ。
ここ数週間ほどの間に起こったことを振り返る。
そりゃ間違えてボディシャンプーも使ってしまうはずだ。
改めて、自分にお疲れ様を言う。
◆
これは、中学・高校生の付き添いで、突然も突然、ビルバオに赴くことになった話。とにかく長い、自分のためだけの記録だ。
事の始まりは、その1週間ほど前だったろうか。
ビルバオで開催される、とある国際大会に向けて、夫は学校から7名の学生代表を引率することになっていた。夫の学校からの参加は今回が初めてのこと。
中学生から高校生の学生が7人。
Seven Samuraiならぬ7人の学生。
旅行ではなく大会だ。
大人がもう1人いた方がいいんじゃないだろうか。
そう思ったものの、学校側は、夫が企画したプロジェクトやし、7人やし、夫1人で大丈夫やろ!
そんな風に思っていたらしい。
しかし、出発数日前になって、学校のリスクマネジメント担当が言った。
「Safeguardingとして、もう1名つけてください」
それを聞いた校長が夫のところにやってきた。
「君、唐草をビルバオに連れていってはどうだい。彼女にSafeguardingをお願いできないだろうか。交通費や日当はもちろんお支払いする」
その日の夕方、夫は私にかくかくしかじかの事情で、一緒に来てもらえないかと言った。
主な仕事内容は、次のようなものだった。
・アンダルシア田舎に戻ってくるまで、学生たちがいい子にしているか、忘れ物がないか、体調面含めてみている(昼間、大会会場には行かなくてよい)。
・体調不良の学生がいる場合、状況により病院に連れて行く。
・緊急時の対応
断る。
私は博士課程の研究計画やら、先行研究の読み進めやら、参加しなければならないセミナーやら、日本語クラスやら、博士課程学生向けのコース課題やら、いろいろとやることがある。未見の地ビルバオに、会ったこともない学生を引率し、冴羽獠のような用心棒を務めるなど、責任が重すぎる。私にシティハンターができるとは思えない。無論、三船敏郎などもってのほかだ。
軽々しく引き受けるべきではない。
2回、はっきりと断った。
しかし、夫は諦めない。
この人はなかなかしつこいところがある。
最終的に泣き落としに出てきた。
優しい優しい私は、3日後、首を縦にふった。
その2日後。つまり、出発前日、私はスーツケースを準備した。南から北の土地へ行くため防寒に最大限の注意を払いたい。とはいえ、南のアンダルシア田舎に、そんな重装備は売っていない。
結局、ユニクロのダウンと、レギンス重ね履き作戦で対応することとなった。
出発当日、アンダルシア田舎はざあざあと雨が降っていた。
夕方、待ち合わせ場所にタクシーで向かう。
書いていなかったが、
ビルバオまではバスで移動する。
片道14時間かけて。
飛行機で日本まで行けてしまう時間だ。
想像するだけで気が遠くなるので、考えないことにした。
待ち合わせ場所に着くと、緊張の面持ちの学生さんたちがいる。
やあ、どうも!唐草です!あなたはどなたかな?
そう言いながら、ベシート(スペインの挨拶。お互いの頬をくっつけてちゅっちゅっとする)をする。
3人の男子高校生たちが自己紹介してくれる。アメリカ、オランダ、イタリアと皆の出身地もいろいろだ。
その後、後ろにいた男子高校生と女子高校生に挨拶しようとしたら、2人が固まった。
夫がやってきた。
…あの、うちは英国学校ですからスペイン流の挨拶はしません。そして、教師が学生の体に触れることは、通常ないんです。ごめんなさい、最初にあなたに伝えておくべきでした。
私ときたら、用心棒のイメージが強すぎた。また、ここアンダルシア田舎では初対面でもベシートをすることが多いため、普通にやってしまった。確かに学校の作法を事前にしっかり聞いておくべきだった。反省する。
一方で、私はこの学校の教師ではない。用心棒だ。
見送りに来た保護者達は他の学生さんたちと私にしっかりとベシートしている。
自分の立ち位置がよくわからない。用心棒用のプロトコルはどこにある?
皆さんを不快な気持ちにさせて大変申し訳ない。
そう言って謝ると、先ほど戸惑いを見せた男子高校生が、大丈夫ですと笑って答えてくれた。ロシア人のアレクセイくんだった。
皆で写真を撮り(撮影は用心棒の仕事のうち)、バスに乗り込む。
バスはなかなかに挑戦的だった。
足をほとんど伸ばせないのだ。
この体勢で14時間か。
寝て過ごすしかない。
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後部座席に座った高校生男子たちは、恋愛話で盛り上がっている。誰がかわいい、誰に告白したらこうなった、俺はモテる、などなど。ちょっとこの話、先生たちに聞こえてないよな?!
そんな風に言いながら彼らが話している内容は、前方に座っている夫にも私
にも120%筒抜けだった。
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出発して数時間後。
ぎゃあ!
スペイン人中学生男子エミリオくんがコーラをこぼした。服がコーラで濡れている。
ティッシュを渡す夫。
バスがアンダルシアを抜けた頃、後部座席はだんだん静かになった。
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深夜、2度目のトイレ休憩となった。
ラ・マンチャ地方に入ったのだろうか。
キホーテのマグネットやらキーホルダーが売っている。
アンダルシア田舎を出たのが夜の7時ごろ。既に真夜中の今、ラ・マンチャあたりの休憩所カウンターで、マグネットを見つめて一人嬉しそうに笑う日本人。それを見たオランダ人の高校生レオくんがびくっとしたのを目の端で捉えた。
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しばらくすると、ロシア人のアレクセイくんが私の隣に立った。
数年前にスペインにやってきた彼は寄宿舎に住んでいる。非常に物静かな学生だそうだ。
軽い咳をしているのが気になっていたが、最初のベシートで失敗している私は、軽々しく話しかけるのはやめておいた。
あの、水を。水を少しもらってもいいですか。このコップに足してください。
風邪気味の彼は、薬を飲もうとしているようだ。ただ、注文したお茶が熱すぎてとても飲めないという。
もちろん。そそぐから、いいところでストップって言って。
ありがとうございます。
軽く190センチはあろうかという体に孤高の詩人のような雰囲気を漂わせた高校生は、薬を飲み終えたようだ。その後、特に移動する様子はない。私の隣に立ったままだ。
彼の体調を確認し、ビルバオに着いたらゆっくり休むよう勧める。
そのマグネット、どこで見つけたんですか。
かわいいです。
そう言って鼻声のアレクセイくんがふふと小さく笑った。
マグネットが置いてあった場所を示すと、私の目を見て微笑む。
その後も何度かこちらを見てうふふと恥ずかしそうに微笑んでは、少しずつ話をしてくれる。
そうか、君は話すのが嫌いなわけじゃないんだなあ。
ビルバオまでゆっくり寝られますように。
そう思いながら、携帯電話を充電している他の学生さんたちに声をかけ、皆でバスに戻る。
それにしてもだ。
長距離バス移動は昭和生まれには結構こたえる。
足がゆっくり伸ばせないため、体勢の変更が難しい。
そして、何より足がぱんぱんだ。
寒いだろうとブーツを履いてきたことを猛烈に後悔した。
そんな私の気持ちなど知ってか知らないでか、バスは北へとむんむん進む。
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疲れた体を癒してくれた
休憩の度に、バスから降りてストレッチをした。
北に向かっているからだろう。途中、雪が降っているところもあった。
運転手が何度か交代した。
荒々しい運転のときは、目を閉じていても気持ちがなかなか休まらない。
あたりが真っ暗で周りが見えないことで、こわさが余計に増すのかもしれない。
あるとき、女性の運転手がハンドルを握った。
座席への振動が急に小さくなった。
ああ、ありがたいこと!
次の休憩地まで私はぐっすりと眠った。
休憩の時、この感動を運転手に伝えるべく挨拶に行った。
あなたの運転にどれだけ助けられたかわかりません。こんなに穏やかに運転してくださると、皆安心して休めます。
ははは!どうやら違いがわかったようね。
あんたどこから来たの。
日本です。
あっちには女性の運転手なんざいないだろうよ。
いえ、そうでもありませんよ!女性の運転手も少しずつ増えています。
それはいいことね!さあ、もう一走りいくわよ!
アンダルシア田舎を乗せたバスは再び北へ向かって進んでいった。
◆
14時間後、我々はビルバオに到着した。
外は嵐だった。
ホテルへ向かうことにしたが、誰も傘を持っていない。
アンダルシア田舎を出る時点で雨が降っていたじゃないか!
君たちは何をやっとるのだ。
そう言いたいのを必死にこらえ、用心棒の私はしんがりを務める。
皆、コートやジャケットのフードをかぶっている。
荷物もあるから、お互い助け合うようにとの夫の声をしっかりと無視して、濡れたくない学生さんたちは我先にと歩みを進める。
まあ、そんなもんだよな。
そう思いながら一番後ろを歩いていると、階段が現れた。大きいスーツケースとバックパックとエコバッグ(夫の荷物も含む。例によって荷物量がおかしい)と傘を持っている私は苦戦した。
さあ、この苦境をどうやって乗り越えようか。
突然、アメリカ人のアレックスくんがこちらにやってきた。
何も言わずに私のスーツケースをさっと抱えてゆく。
あら。
用心棒としたことが、こちらが助けられているではないか!
どうもありがとう!
アレックスくんの背中にお礼を言った。
ホテルでのチェックインを済ませる。
14時間のバス移動は長かった。さすがに皆疲れている。そして、外は雨だ。
風邪ひきのアレクセイくんを含め、ホテルで休みたい学生さんもいるため、夕方まで一旦解散となった。
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夫と私は打ち合わせもかねて、雨降る中、近所の中華料理店へ。
深夜バスでの疲れだろうか。2人もひどい顔をしている。
メニューを見ながら、体があたたまりそうなものを探す。
Sopa agripicanteと書いてある。酸っぱくて辛いスープということだ。
ひょっとすると酸辣湯か?
よくわからないのとお腹が空きすぎているため、頭が働かない。
麻婆豆腐と炒飯とそのスープを頼んだ。
数分後、スープが出てきた。どう見ても、1リットルぐらいある。その後に来た麻婆豆腐と炒飯もどちらも3人前はある。
疲れているときにはアジア料理に限る。
半分は持ち帰りにしようかと話していたはずが、結局完食した。
めちゃくちゃおいしかったからだ。
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どう表現していいかわからないが、
「スペインで食べる炒飯の味」としか言えない
会計時、あのスープは中国語で酸辣湯と言うのか聞いてみた。
店員さんの表情が変わる。
やっぱり酸辣湯か!
中国語での正しい発音を教えてほしいとお願いした。
タンの言い方がちょっと違って聞こえる。
サンラータン!
違う!
スアンラータン!
おしい!
酸辣湯!
そうだ!
何回か練習させてもらい、中国語での酸辣湯をマスターした私だった。
ああ、お腹も心もあたたまった。
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夕方、夫と学生さんたちはカクテルパーティー(ノンアルコール)に出かけた。
微熱のあるアレクセイくんには、明日からの大会に備えてホテルで休んでもらった。
用心棒は、皆を送り出してからホテルに戻る。
帰り道、アレクセイくんにアクエリアスを買う。とりあえずこれを飲んでおいてもらおう。
アメリカ人の高校生の女の子は、バス移動中に一滴も水を飲まなかったと言う。彼女とはこの日からいろいろあったが、残念ながら最終日まで会話は一方通行だった。
長い一日が終わった。
個性豊かな学生さんたちとの旅は、まだ始まったばかりだ。
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かなりどっしりしたビールだったようだ
◆
金曜日
朝8時。ホテルでの朝食後、ロビーに集まる。
そこには、慣れないスーツ姿の学生さんたちがいた。皆さんあっちをきょろきょろ、こっちをきょろきょろしている。
その中で、1人だけ余裕の表情の学生さんがいる。イタリアに長く住んでいたポーランド人のドミトリーくんだ。この日のために新調したスーツをばりっと着こなしている。髪を整え、ネクタイをしめる姿もきまっている。きまりすぎているところが逆におもしろい。
完璧だね。
ふふふ、ありがとう、このネクタイはおじいさんが誕生日に買ってくれたものだよ。
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残りの学生さんたちはというと、ネクタイと格闘している人、スーツのパンツをなぜか胸のあたりまでたくしあげてしまい、足首全見せのつんつるてんになっている人、ワイシャツの首の後ろからネクタイが全部出ている人、なぜか半袖の人などいろいろだった。
ちょっとなおしてもいいかな?
そう確認した後、数人のネクタイの位置をなおす。
皆、まだ十代だ。スーツなんて着慣れていないよなあ。
「緊張しています」と顔にかいてあるのに、必死に余裕を装っている。
皆さん、最高にきまってますよ!
驚いて振り返った学生さんたちの顔が、ぱあと明るくなった。
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アレクセイくんがやってきた。
昨日のうちにアクエリアスを全部飲んだこと。ゆっくり休んだこと。今日は参加できることを小さい声で伝えてくれる。
まだ鼻声だが、風邪はだいぶんましになったようで、安心する。
集合写真を撮った後、皆を送っていく。
用心棒の仕事は、夕方までない。
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さて。
やっと晴れたので、外に出てみるか。
コートをひっかけて、ぶらぶらすることにした。
会場に行かないとはいえ、もし学生さんに何かあったら、いつでも出動できるようにしておく必要がある。
いつ呼び出しがかかってもいいように、ホテル近くを散策することにした。
とりあえず、お昼ご飯をどこかで調達しよう。
自分が方向音痴なことを毎回忘れるので、結果的にこの日の私は1時間で帰ってくる予定が3時間かかった。
足の向くまま歩いていると、雰囲気のよいカフェが見えた。
ここでお昼ご飯を食べようか。気分はちょっとだけ「孤独のグルメ」の五郎さんだ。
満席だった。
ここはビルバオ。アンダルシア田舎ではなかった。
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人気のお店に来るときは、もっと早く来なければならない。
空席ができるかとしばらく待ってみたが、皆さん朝のひとときを楽しんでいらっしゃる。
持ち帰りはできるかお姉さんに聞いた後、
アボカドとトマトがのったオープンサンドのようなものを買った。
せっかくだからどこかに座って食べようか。
少し歩くと、大きなラウンドアバウトがあった。中は、まるで小さな公園のようだ。ベンチがたくさんあり、憩いの場所になっている。
これはいい。
一休みを兼ねて、ベンチに腰を掛ける。
小腹も空いてきたことだしと、オープンサンドの入った箱を開ける。
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いや、この方はずっとここにいらっしゃるので、私が現れたのだ
スライスされたパンの上にアボカドとトマトが載っており、その上にはオリーブオイルとバルサミコ酢とスパイスがかかっている。アボカドは今にも落ちそうだ。紙ナプキンは1枚。
ホテルでゆっくり頂くことにし、箱を閉じた。
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この写真では全く伝わらないが、とってもおいしかった
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そういえば、博士課程の先輩ダンテから、ビルバオに行くならとおすすめされた箇所がいくつかあった。
地図解読能力のない私だが、今回はGoogle mapに力を借りることにした。
しかし、そもそも東西南北の設定が違うのか(このあたりからも、いかに使いこなせていないかがわかる)、私の目標としたミュージアムにはひとつもたどりつかない。さっきから何度も同じところをまわっている。
長時間のバス移動で、曜日感覚がおかしくなっていたからだろう。信号待ちをしているとき、ところで今日は土曜日ですかと隣に立っていた人にもう少しで聞きそうになった。
アンダルシア田舎では多くの人が日常的にやっていることだが、ここはアンダルシアではなかった。危なかった。
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たまたま見つけたお菓子屋さんに入る。
アンダルシアになくて日持ちがするものを買いたいんですが、相談に乗って頂けますか。
アンダルシアにないものはこれとこれだけど、日持ちはしないわ。今日中だもの。
それならと、アンダルシアでも買えるが、日持ちのするビスケットを買うことにした。
二つの袋を手に取って迷う。
どっちがおすすめですか。
私はこっち。あなたはどう思う?
隣にいたお客さんに聞いてくれる。
うーん、そうねこっちかな!
じゃあこっちにします!
ありがとう!
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Google mapが使いこなせない。
道に迷うことにもそろそろ飽きてきた。
いい加減諦めて帰ろうとしたら、目の前にミュージアムが現れた。
どうやら、私の探していたミュージアムではなさそうだが、向こうから現れてくれたことに感動した私は、入ってみることにした。
失礼を承知でお伺いします。今、私は何というミュージアムにお邪魔しているのでしょうか。
最低な質問をした私に、受付のお姉さんは優しい。
あなたどこから来たの。
日本とアンダルシア田舎です。
そう言うと、この美術館は無料で、チケットがいらないのよと教えてくれた。でも、記念に、と日付の入ったチケットをくれた。
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ピカソの絵を含め、気になる作品がいくつもあった。
お土産コーナーのお姉さんと話す。
今、展示はしていないそうだが、日本の作品も何点かあるようだ。
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ミュージアムを出てまっすぐ進むと、目の前に丘や川が見えた。
日本のような風景に感動する。
スペインも大きい。同じ国でもアンダルシアとは全然違うのだなあ。
改めて、私がスペインについて考えるとき、そのベースがアンダルシア田舎になっていることに気づく。
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まっすぐ歩き続けていると、グッゲンハイム美術館が右手に見えた。
これがかの有名な!
しかし、今回は用心棒と自分の仕事がある。
コーヒーとビルバオ名物だというBollos de Mantequilla(バタークリームのコッペパン、菓子パンのようなもの)をお土産に買って、昼過ぎにホテルに無事戻った。
仕事を終えた頃、皆がホテルに戻ってきた。
アレクセイくんも元気そうで安心する。
夜は門限まで自由行動らしい。
スペイン人中学生男子2名は、私たち大人と夕食をともにすることになった。
2人とも疲れていたので、ホテルのレストランで食事をする。
エミリオくんはピザを頼んだ。
しかし、彼がナイフで切ろうとした瞬間、芸術的な速さでピザが丸ごとお皿から消えた。
ピザは丸ごと床に落ちていた。
エミリオくんは言葉を失っている。
かわいそうに思ったのか、ウエイターさんは新しいものをすぐに持ってきてくれると言う。
あの、ハンバーガーにかえてもいいですか…。
エミリオくんがおそるおそる聞く。
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快諾したウェイターさんにお礼を言い、よかったねえと皆で話していると、エミリオくんの隣にいるマヌエルくんは笑いが止まらない。
エミリオのピザ、エミリオのピザが…!まだ一口も食べていないのに、一瞬で床に…。ひいー!
マヌエルくんはほんの少しだけ体の動きがゆっくりで、エミリオくんがいつも気にかけている。そのマヌエルくんは、まだ14歳だというのに、その話し方とジェスチャーたるや完全にアンダルシア田舎おじさんそのものだ。鋭い突っ込みをしたかと思えば、1人でえんえんと漫談のようなことをやってのける。英国学校のため、基本的に皆英語で話すのだが、マヌエルくんは、突っ込みをするときなど実に鮮やかにスペイン語でシュートを決める。
今は、エミリオくんのピザ落としを、何度も何度も再現しては1人でおかしくなっている。それを見て、私たち3人はまた笑い、エミリオくんは、マヌエルくんによる笑いへの消化により、「恥ずかしい気持ち」が消えたようだ。
そういえば、エミリオお前は行きのバスでコーラもこぼしてたじゃないか!
マヌエルくんが思い出した。
「ピザとコーラは鬼門」
そう言って、エミリオくんは、この旅でのピザとコーラを封印した。
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そういえば、
アンダルシア田舎のがやがやがない
エミリオくんは言う。
ねえ聞いて、マヌエルったらエムバペにインスタでメッセージを送ったんだよ。今度僕の家に遊びにきてくださいって!
そうだよ!
マヌエルくんは自慢げだ。
返事は来たのかと聞くと、
いやまだだね。さすがに彼も忙しいだろうから、返事するのに数日は必要だろうからね。
マヌエルくんはあくまでも真剣だ。返事が来る前提で話している。
その様子に今度はエミリオくんの笑いが止まらない。
お前はどうかしていると言いあいながら、2人ともハンバーガーのソースで手をどろどろにして笑いあっている。
2人を見て、にこにこが止まらない私だった。
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◆
土曜日
学生さんたちは、スーツにも少し慣れてきたようだ。
リラックスした表情の人が増えた。
朝食後の集合時、少し険悪な雰囲気がロビー全体を包んでいた。
昨夜門限を破ったオランダ人レオくんとポーランド人のドミトリーくんが、今夜の外出禁止を言い渡されたからだ。2人とも大層機嫌が悪い。夫の機嫌も悪い。
相変わらずネクタイが結べていないアメリカ人のアレックスくんは、昨日の大会で外国の学校から来た女子たちから大層な人気だったらしい。
美に対する捉え方が私は昔から少しずれているようで、世間が何をもってかっこいい、かっこよくないと見なすのかがいまひとつよくわからないのだが、世の中って何なのさという人類学的なことは置いておくと、アレックスくんは、世の中のいわゆるかっこいいを具現化した男子のようなのだ。
だまっていても、女子学生が次から次へと挨拶にやってくるらしい。昨日などは、あまりに大勢来るので、彼は夫に助けを求めたという。
ネクタイの結び方がわかっていないアレックスくんは、夫に助けを求め、人のネクタイが結べない夫は、自分の首に一度かけて結んだネクタイをわっかにしたままアレックスくんにかけていた。それでもいまひとつきまっていないのだが、「かっこいい」は「ネクタイ変」で相殺されるどころか大いに上回るのだろう。
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皆を送り出すと、私は再び町へ繰り出した。
この日は皆遅くに帰るので、呼び出しがなければ私はほぼ1日自由になる。
とはいえ、自分の仕事もあるのでお昼過ぎにはホテルに戻りたい。
あてもなく歩いていると、シティセンターにたどり着いた。
こ、これがビルバオのシティセンターか!
アンダルシア田舎完敗の大きさと優雅さだった。
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この日も迷いに迷う。
でも、迷ったおかげで、お菓子屋さんを見つけた。
お店の前にはスペイン人たちが並んでいる。
これはいいサインだ。
アンダルシアにないお菓子はどれでしょうか?
お店の人たちは一瞬びっくりしたようだったが、すぐに相談に乗ってくれた。これはあっちにはないよ。これはどこにでもあるしなあ。これはおすすめだけど、日持ちはしないんだよ。
では、そのおすすめをください。
Pastel de Arroz(お米のケーキ)を買う。
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どちらもビルバオ名物らしい
ピンチョスを買って帰ることにした。
目当てのお店にたどり着く。
ぎゅうぎゅうの満員だ。
カウンターまでたどり着けるだろうか。
アンダルシア田舎で揉まれている私は、がんばってみることにした。
料理を運ぶスペースからまわりこむ。
お忙しい中すみません!持ち帰りはできますか!
お店の人が驚いた顔をして私を見た後笑いだす。
できるけど、かなり時間はかかるよこの分だと!
お腹の減り具合と相談したところ、ここでずっと待っている暇はなさそうだった。
少し歩くと、別のお店を見つけた。
カウンターに人がたくさんいるが、入れないことはない。
聞こえてくるのはスペイン語のみ。よし!
ドアの前にいたお客さんに聞いてみる。
すみません、このお店は持ち帰りができるでしょうか。
そうだね、多分ピンチョスとかぐらいならできるんじゃないかな。店員さんに聞いてごらん!あっちだよ。
読んでいる方はこのあたりで気が付かれた、そして引いていらっしゃるやもしれないが、私は見ず知らずの人にすぐに話しかけてしまう。もともとそういう傾向があったのかもしれないが、アンダルシアで揉まれてさらに頻度が高くなったのかもしれない。
お礼を言って、カウンターに乗り込む。
やあやあ、お手すきの際にお願いします!
持ち帰りができるものはどれですか。
ここに出てるもの全部だよ、君!
それなら話は早い。
適当にいくつか注文する。
牛乳コーヒーを買ってホテルに戻る。
この日、Pastel de Arrozとピンチョスを目にした夫は大層喜んだ。
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◆
日曜日
この日は夜にアンダルシア田舎に向けて出発する。
朝、同僚へのお土産にビルバオらしいお菓子を買っておいてくれないかと夫に頼まれた。
最終日にそれを言うのか君は。
そう言いたいのをこらえ、優しい優しい私は町に出ることにした。
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皆を送り出した後、スーツケースの準備をし、外に出る。
今日は日曜日だ。
開いていないお店もある。
地元のお菓子が買えるお店を探してまわる。
しばらく歩いていると、右手にそれらしきお店が見えた。
入ってみると、地元の人たちがパンやお菓子を買っている。
よし、ここがいい!
順番が来るまで、店内に所狭しと置かれているお菓子やパンを見て回る。
すみません。ちょっとご相談させて頂いてもよろしいでしょうか。アンダルシアにないもので、お土産に買っていったら喜ばれそうなものはあるでしょうか。できれば数日持つものだとありがたいです。
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店員さんが店内の商品について説明してくれる。
そのうち、あれはどうだい?と後ろにいたお客さんも話し出した。あれはおいしいけど、明日までだわ。あと、冷蔵庫に入れとかなきゃいけないもの。そしたら、これで決まりね!
そう言って教えてくれたのが、レジのところに置いてあったアニスが入ったお菓子と飴。今の時期しか買えないものだという。よし、この二つにしよう!
それから、ここの土地といえば、という飲み物はありますか?チャコリでしょうか?
そう、チャコリだね!今日は日曜日だけど、あそこなら開いている。絶対置いてあるから。
そう言って、オープンコルというスーパーの場所を教えてくれた。スーパーへの行き方を復習している私を見て、お店の人はメモ用紙にチャコリとスーパーの名前を書いてくれた。
なんとあたたかいことだろう。アンダルシア田舎とはまた違うあたたかさ。例えば、アンダルシア田舎のあたたかさがぐつぐつと煮立ったおでんのようなものだとすると、ビルバオのそれは、マフラーでくるまれた首に感じるじんわりとしたぬくもりのようなものだ。
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レジの左側を見ると、冷蔵庫の中でチーズが堂々としたたたずまいをみせていた。よし、これもお土産にしよう。
今日アンダルシアに帰ると言ったっけ?大丈夫。チーズは食べる前に常温に戻さないといけないからね。冷たいまま食べると味がしないから。バス移動でも安心してアンダルシアまで持って帰って大丈夫だ!
お客さんのおじさんが教えてくれる。
皆様のおかげでよい買い物ができました。皆様、どうかよい一日を!
君もよい一日を!
よい旅を!
皆さんの言葉を聞いて思った。
そうか、これもひとつの旅なのだ。
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学校に持っていったら、数秒でなくなったらしい
数分迷った後、先ほど教えてもらったスーパーを見つけた。
日曜日でも、ここならチャコリが買えるはずだ。
ワインコーナーに向かう。
チャコリ、チャコリ。
お酒が飲めない私はワインのことは全くわからない。
何色のお酒かも知らないため、片っ端からラベルを読んでいく。
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10分後。
私はまだラベルを読んでいた。
見つかる気がしない。
通りがかった地元のお客さんに聞く。
チャコリ?
私、実は好きじゃないのよ。ここじゃ有名なんだけど、私は苦手でねえ。白ワインの一種だったかしら。どれどれ?
お姉さんが一緒に探してくれたが、やはりわからない。
もう少し自分で探してみます!
お礼を言い、引き続きラベル読みに励む。
そこへ、セキュリティの人が通りかかった。
ちゃ、チャコリを探しております…!
ああ、このへんやで。どれ、一緒に探したるわ。
2分後。
お兄さんは諦めた。
絶対あるねん。でもな、わからんわ。お店の人に聞き。
お店の人は忙しそうだ。
そろそろホテルに戻らなければいけない時間だ。
諦めようかと思った瞬間、別のお店の人が隣の棚で品出しをしているのが見えた。
すみません!
ああ、チャコリ?それならここだよ。
10秒でお兄さんはチャコリを探し当てた。
Txakolina
そうだ、バスク語表記のことをすっかり忘れていた…。
さっきのお店の人のメモにも書いてあったじゃないか!
ちなみに僕はこれが好み。
お兄さんを信じて、そちらのボトルをレジに持っていった。
先ほどのセキュリティのお兄さんが遠くからこちらを見ているのが見えた。
ありました、うまくいきました!とサインを送る。
お兄さんも笑顔と指でサインを返してくれた。
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お昼にサラダとベーグルとヨーグルトとパンを買った。
この日はコーヒーを買わずにホテルに帰る。
午後1時までにホテルをチェックアウトしなければならない。午後は雨が降ると聞いている。
受付でチェックアウトを済ませる。
学生さんたちが戻ってくるまで、皆の荷物もあるので、ここで待たせてもらえるか聞く。
もちろんよ。雨が降るかもしれないから、ロビーでゆっくりしていって。
優しいお姉さんにお礼を言い、コーヒーを注文する。
牛乳コーヒーをください。
え?
あ、すみません。「ぎゅうにゅうこーひー」をお願いします。
ビルバオでは、皆あんまり牛乳コーヒーを飲まないのよ。こっちの人は濃いコーヒーを飲む。
お姉さんが、ぼそっと言う。
そうなんですか。どうしてでしょう?
私もわからないの。皆濃いものを飲むのよ。
ああ、だからですか。ここ数日、牛乳コーヒーというと、何回か聞き返されたので、自分のスペイン語の問題かと思っていました。
そうじゃないのよ。私は南の出身だから、牛乳コーヒーを飲むんだけど、こっちの人は違うわね。
え?南とおっしゃいましたか?どちらからいらっしゃったんですか。
〇〇町よ。
ええ!私は今その町の大学で勉強していますよ!
ええ!やだ、ほんと?!
はい!でも、住んでいるのは★★町です。
ええ!★★町?!?!ぎゃー!!
お姉さんの顔が一気に明るくなる。
世界は狭いってこのことね!信じられないわ!
聞けば、お姉さんは〇〇町で大学を出た後、ビルバオの大学院で陶芸を学んでいるという。
自分のウェブサイトも持っているというので、後で見せてもらうことにした。
後でゆっくり話しましょう!って私仕事中だったわ。もし、時間ができたらこっちに来てくれない?それか、私があなたのとこまで行くわ!
と、盛り上がったのだが、その後、お姉さんは宿泊客の対応で忙しく、仕事をし始めた私も立ち上がるタイミングを逃し、それきりだった。これもまたスペインらしいところといえる。そのときは全力で「絶対ね!」と話しているのだけど、その後目の前のことに集中すると、直前まで話していたことを忘れてしまう。
夕方、皆がホテルに帰ってきた。
エミリオくんが手を振る。
アレクセイくんが、小声で私の名前を呼ぶ。
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出発まで自由行動となった。
スーツから普段着に着替えた彼らは、大会で知り合った他の学校の子たちとのデートやら、お土産探しやらで忙しい。
オランダ人のレオくんは、昨日から機嫌が悪いようだ。
ちなみに彼は初日から私と目を合わせないようにしているようだが、妙に私の行動を観察しているところがある。
機嫌が悪いのは、門限のことで何か腑に落ちないところがあるのだろう。
ちょっとだけ話しかけてみた。
レオくんは少し驚いたようだったが、ぼそぼそと自分の気持ちを話し出した。
なるほどなあ、君の想いも少しはわかる。
ただ、信頼は大切だものなあ。
今日は最終日だから、出発時間まで楽しんでいらっしゃい。
うん、そうする。僕がんばったもんね。
少しガス抜きができたならいいなと思いながら、同じようにすねている夫のもとに向かう。
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さて、アメリカ人のアレックスくんは、この日もモテモテだ。
2人の学生さんからデートに誘われているらしい。
・メッセージをこまめにやりとりしている相手、かわいい
・めちゃくちゃかわいいけど、それほどやりとりをしていない相手
このうち、どちらと出かけるべきか悩んでいるから相談に乗ってほしいと夫に話したらしい。
アレックスくんは、世の中のかっこいいを具現化しているようだが、チャラいわけではないらしい。結構真面目のようだ。
その後、彼は、「メッセージをこまめにやりとりしている相手、かわいい」人とデートすることにしたらしい。夫にデートについてきてほしいと真剣に頼んでいる。
同行するのはやぶさかではないけれど、先生の僕が君たちのデートに参加すると、君が予想しているものとは違う結果になると思いますよ。それでもいいんですか。
いえ、先生だけじゃなくて、唐草も一緒に。そしたら4人で行けるじゃないですか。
数分後、夫はやんわりと、ダブルデートの申し出を断っていた。
ちなみに、ビルバオから戻ってからも、アレックスくんは夫に恋愛相談をしている。相談する相手を大いに間違えていると思うのだが、アレックスくんは真剣のようだ。
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まずは目で楽しむ
さて、夫と私は、中学生のエミリオくんとマヌエルくんとともに散策をすることにした。
何か買いたいもの、見たいものはある?
2人に聞くと、思わぬ答えが返ってきた。
「おばあちゃんにマグネット!!!」
2人のおばあちゃんはマグネットを集めているという。
こういうところがあったかいなあ。アンダルシア男子。
マヌエルくんのおばあちゃんは、いつも音声メッセージを送ってくるらしく、最長で1時間のメッセージが届いたことがあるんだよ!と嬉しそうに話す。
エミリオくんは、自分が欲しい物は特にないという。マヌエルくんは、時間があったらサッカースタジアムで写真を撮り、マフラーが買いたいらしい。
雨の降る中、旧市街でお土産屋さんを探すことにした。
途中、高級下着屋さんの前を通った。
うわー!!!こんな刺激的なものがー!!!
マヌエルくんが興奮している。
その後、道に迷った私たちは合計3回そのお店を通ったので、そのたびにマヌエルくんの興奮は頂点に達した。
うおー!これで3回めえー!!!!
中2男子はどこでも同じようなものらしい。エミリオくんは隣で呆れている。
お土産屋さんに入ると、マグネットがたくさん飾ってあるのが見えた。
エミリオくんは5個ぐらい手に持っている。全部おばあさんにあげるの?と聞くと、友人とか親戚とかだと言う。自分のものは本当に何もいらないのかと聞くと、僕はビルバオに来させてもらったから、それがプレゼント、と言って微笑む。
マヌエルくんは手ぶらだ。おばあちゃんのマグネットはいいのかと聞くと、いやもう持ってるよ、ほら!と言って、ポケットをたたく。
うん?
君、ポケットの中にマグネットを入れているのか?
それは、まだ払っていないやつじゃないか!
マヌエルくんは、もちろん万引きをするつもりなどない。
傘で手がふさがっているからポケットにマグネットを入れただけのようだ。
お金を払うまでは、ポケットに入れたら万引きだと思われる可能性があるよ、と夫が言うと、ええ?!と驚いていた。
レジに行き、お店の人に説明すると、一部始終を見ていたお店の人は笑いが止まらない。マヌエルくんのコミカルな話しぶりと、マヌエルくんに明らかに万引きの意図がなかったことが見てとれるため、おかしくなったようだ。
「ビルバオ」と描いてあるマグネットを買った2人。
エミリオくんがマヌエルくんの分もかばんに入れる。
2人はそろそろお腹が空いてきたようだ。
ピンチョス食べる?
食べる!!!
バスの出発時間まであまり時間がない。
どこが一番おいしいでしょうねと、周辺のお店を携帯で調べ始めた夫の肩を引っ張り、ここぞと思ったお店に3人を連れて行く。
これが大正解だった。
何を頼んでもおいしい。
腹減りの4人は、夢中でピンチョスをほおばった。
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ピンチョスでお腹を満たした我々は、急いでサッカースタジアムへと向かう。
マヌエルくんがどうしても写真を撮りたいからだ。
今回は、学校の大会のために来たから、試合を見ることはできない。でも、スタジアムの前で写真を撮ったら、まるで試合を見に来たみたいだって思えるから。そして、お店でマフラーが買えたら最高だから!
そんなかわいいことを言う彼の希望を叶えてあげないわけはいかない。
乗るべき電車がわからず迷う中、3人が地図を見て、ああでもないこうでもないとやっている。時間がない。
サン・マメスはこの電車で大丈夫ですか??
近くにいた人に聞いた。
そう、あってるよ!!
なんとかスタジアムに着いた我々は、大興奮のマヌエルくんを写真におさめ、マヌエルくんご所望のマフラーを見つけた。
エミリオくんは、マヌエルくんのマフラーを自分のかばんに大事そうにしまう。
それを見ていた私に気づいたエミリオくんは、恥ずかしそうに微笑む。
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無事、ホテルに戻った。
全員そろったので、荷物をまとめて、バスの駅まで電車で向かう。
雨降りの中、坂道の多いビルバオに別れを告げる。
また是非来たいなあ。
そう思っていたら、前をゆくマヌエルくんを見て目が点になった。
リュックが全開で、パソコンがまる出しになっている。
今にも落ちそうだ。
マヌエルくん、ちょっと待った!
このかばんはどうなっているのだと聞くと、壊れているという。
こ、壊れて…。
マヌエルくんは、リュックの他に大きな革のかばんとスーツケースも持っていた。
パソコンがなんとか雨に濡れないようにする。革のかばんは私が引き取ることにした。
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ビルバオでは瓶詰のようだ
自分のスーツケースとバックパックに加えて、マヌエルくんのかばん。外は雨。傘で片手はふさがっている。
しかし、こんなことで負ける私ではない!
そう思ったが、坂道でスーツケースのコントロールがうまくいかないのと、いかんせんマヌエルくんのかばんが重い。何が入っているのだ、マヌエルくんよ!
しんがりが遅れをとってしまった。
気づくと、隣にアレックスくんがいる。マヌエルくんのかばんを引き取ってくれた。またしても、無言で。
バスの駅までの道は長い。
初日から何となく気づいていたのだが、オランダ人のレオくんはしんがりの私がちゃんとついてきているかを、何度も振り返って確かめてくれる。この彼も直接私に話しかけてはこないが、数メートル進むたびに振り返る様子に高1男子の優しさが表れている。
アレックスくんもレオくんも、話しかけると横を向いて、ぼそぼそと答えるのみだが、そのあたたかさは私にちゃんと伝わっているぞ。
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マヌエルくんとエミリオくんは、バスに乗る前に、自販機で大量のスナック菓子を買った。10袋ずつぐらいある。
それはどうみても買いすぎだ。
あればあるだけあとあと助かるのさ!
2人は得意げだ。
マヌエルくんは、壊れて全開のリュックに入ったパソコンの上にお菓子袋を載せた。もはや何も言うまい。
再び、14時間バスに揺られる。
途中のトイレ休憩で、マヌエルくんに聞いた。
お菓子の減り具合はどうだい。
いひひと笑いながらマヌエルくんが答える。
ちょっと買いすぎたかな…。
次のトイレ休憩でバスを降りると、空に星がまたたいていた。
凍えるような寒空のもと、星を眺める。
隣ではアレックスくんとマヌエルくんと夫が無言で同じように空を見上げて立っていた。
ああ、来てよかったなあ。
時間があったので、マヌエルくんと夫と3人で散歩する。
100メートルほど先に見えるお店が開いているか見に行くことにしたのだ。
ハム、ソーセージなどと書いてある。
カルニセリア(肉屋)だ!と夫が言う。
それをいうなら、チャルクテリア(加工肉製品のお店)ですね。
マヌエルくんが真顔でするどい突っ込みをかぶせる。
私は笑いが止まらない。
マヌエルくんは、素晴らしいコメディアンになれるだろう。
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2度目の休憩の後、バスの中に静寂が訪れた。
朝11時半ごろ、アンダルシア田舎に無事着いた。
何人かの保護者達が迎えに来ている。
寄宿舎に帰る子どもたちを夫が送っていく。
私は歩いて帰ることにした。
アレックスくんが、夫にお礼を言いに来た。
この5日間僕たちの面倒を見てくださりどうもありがとうございました。
夫と話しながら、私の方も横目でちらちらと見ているが、最後まで真正面からは見られないらしかった。
マヌエルくんの荷物を持ってくれてありがとう、あれはかなり重かったと思うわ!
たいしたことではありません。
そう言った後、彼の横顔は真っ赤になった。
がんばれ、モテモテ男子!
アレクセイくんがこちらにやってきた。
アレクセイくん、私は君に会えて本当に嬉しかったよ!
そう言うと、アレクセイくんの顔が明るくなった。
僕も嬉しかったです。もう少し話したかったけど、その時間がなくて残念だった。
ありがとう。今度またその機会があるよ、きっと。そして、私はこの町に住んでいるから、いつでも会えるわ!
寄宿舎にいる彼は今年夏に卒業する。そして、ロシア出身の彼がこれからどこに行くのか私は知らない。
前日、彼は夫に言ったらしい。
唐草ともう少し話したかった。大学のこととか将来のこと、相談したかったんだ。
アレクセイくんが無言でこちらを見ている。もう少しでぎゅうと抱きしめそうになったが、初日の失敗を思い出し、笑顔で手を振る。
きっとまた会おう、アレクセイくん!
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つい買ってしまった
◆
かくして、用心棒のビルバオ旅は終わった。
とにかく長いだけのまとまらない、自分だけの記録となった。読んでくださった方には何の得にもならないので申し訳ない。
今回、夫の仕事ぶりを間近で見られたことは大きな収穫だった。
学校の先生とはなんと大変な職業であることか!
私は用心棒として特に何もしていないが、用心棒の出番がないのが一番よいことだ。
中にはほとんど話をする機会がなかった学生さんもいたが、一人一人が私の中に強烈な印象を残した。
次は海外遠征を控えている皆さん。
次回は用心棒登録が間に合わなくて参加できないが、またいつかご一緒する機会があったら嬉しい。
スペインは広い。
学生さんたち、そしてビルバオ、
また会う日まで!
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