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三味線はスポーツだ

十年前から、三味線を習っている。ジャンルは長唄三味線。歌舞伎でかかる曲のひとつだ。お教室には他にお琴や三線、津軽三味線のコースがある。カルチャーの教室なので、誰も名取にはならない。

教室には夏と冬、年に二回の発表会があってやったことのない曲にチャレンジしている。どの曲にも弾けない箇所が必ず出てくる。今は『吾妻八景』を稽古していて、ウラハジキに泣かされている。

西洋音楽と違い、和音のない三味線は多彩な音色を持つ。音の出し方には三種類あって、通常、糸の上に振り下ろすところの撥先を糸の下から掬い上げるスクイ、撥を使わずに指先で糸を弾くハジキだ。ウラハジキはハジキの仲間で、指の腹ではなく、指の裏側、つまりは左手の三本の指の爪を順に糸に当て、音を出している。

さらにいやらしいことに、ウラハジキの三つの音は別な奏法の音色との掛け合いになっている。

例えば、ラベルの『ボレロ』は異なる楽器が同じメロディを奏でて曲が盛り上がっていく。そんな掛け合いを三味線はひとつの楽器でやっている。『吾妻八景』では一番細い三の糸をウラハジキで「レ・レ・レン」と弾いた後に、別な場所に左手を移動させて「ツ・ル・ロン」と弾く。再び「レ・レ・レン」「ツ・ル・ロン」を繰り返し、今度は一番太い一の糸を「ド・ロ・ロン」とウラハジキして三の糸の「チ・リ・レン」でフレーズを閉じる。

具体的な動作としては棹の縁の木の部分を弾いた勢いで爪が糸に触れるので、弾く場所が棹の角から遠いと糸に爪が当たってくれない。また、三本の指が棹にお行儀よく並んでいないと「レ・レ・レン」が「レレッ」で終わって後の間が狂ってしまう。

私はウラハジキだけやると綺麗な音が出るのだけれど、曲の流れの中で手をちょこまか移動させながらやると音が出ないのだ。

そこで、思いついた秘策は爪で弾き終わった後に掌の指の付け根の山を棹に密着させることだ。すると、掌の平行が保たれ「レレッ」を防げる。この動作がオリンピック中継で見た柔道の寝技の防御姿勢になんだか、似ている。柔道では畳に伏して背中を丸め、襟を取られないように自分で握りしめた姿勢を「カメ」と呼び、そうでないものを「ヒラメ」と呼ぶそうだ。そこで、私は「レ・レ・レン」を弾く時には「ヒ・ラ・メェ」と口の中で口ずさむ。すると、上手くいく。

そして、一の糸をウラハジキする時は指の位置と動きを目視で確認することにした。

なんでも、ハードルの為末大さんのユーチューブ・チャンネル「為末大学・潰れない走り方」によると、スピード競技には「先どり」が大事で、ハードルの踏切においては足元ではなく空中を見据え、自分の意識を飛び上がる集約点に向けるのだという。

つまり、ウラハジキにおいては爪が糸に当たる瞬間ではなく、糸に当たった後の指が放つように伸びる様子を注視する。すると、上手くいく。

同じことの繰り返しにうんざりする気持ちをなだめるため、数々のおかしな工夫を試している。正直に言ってしんどい。かつて、同じ動作をこれほど繰り返した経験が私にあっただろうか。

だけれど、センスの薄い人間が未来のためにできることはできるまで、続けることなのだ。お教室で習いました。一曲を通して弾けるようになりました。舞台で演奏しました。はい、新しい曲。それでは、講師の先生が持つ三味線音楽の美しさが再現されることはない。どんなに短いフレーズでも、私が身につければそれは受け継がれる。逆に私があきらめれば、三味線の魅力は広がらない。広がらなければいつか、絶えてしまう。それが嫌だから、今日も私は我慢、我慢。

#未来のためにできること

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