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出会いと失敗

挫折無き人生を送った人はいないだろう。そして、そんな人には出会えないだろう。輝かしき成功を収めている人ほど、それと同じくらい深い失敗をしていることが多い気がする。

私にとっての、一番の失敗は大学受験。忘れもしないセンター試験の自己採点。教室で泣き崩れたのを今でもはっきりと覚えている。1日目終了時点でもう精神的にまずかった。勉強をしてこなかったわけではない。当日のさまざまなプレッシャーに耐えることができなかった、自分自身の精神的な弱さが見事に露呈された2日間だった。あの2日間の結果が変わっていたら、違う人生があったかもしれない。

行きたい大学には行けなかった。

けど、あの失敗があったから、私大は行きたいところに合格できたと思っている。

そして私は、目指していた職に就くこともできた。教員だ。

高校3年生の時に、お世話になった先生が亡くなった。胃がんだった。しかもまだ27才の若さだった。高3に進級した時、その先生は異動で違う学校に行ってしまったけど、1、2年生の2年間、本当に世話になった。添削もしてくれ、部活動が終わってから時間を割いて、頭の悪い私に必死に勉強を教えてくれた。数学の先生だったけど、英語や化学も教わった。あの2年間があったから、なんとかなった部分は絶対にある。

そして、その先生に、「あなたは教師に向いてるかもね」「一生懸命にやる地力がある」「実は私、多分長く生きることができないから、そういう一生懸命に頑張る生徒の支えに、私の代わりになってほしい」と言われていた。

本当は、私にはやりたいことや、なりたいもの、夢があった。その夢を叶えるために高校に入学したけど、この先生との出会いで教員を考えるようになり、しかも数学教員として働くという揺らぎないものになった。

高2最後の日、その先生はすでに異動が決まっていたようだし、私にも最後になるという話をしてくれていたので、この日が来るのがつらかった。最後に真っ新なノートを1冊くれた。先生と2年間続けた添削のノートはすでに10冊を優に超えていた。くれたノートには、きれいな字で私の名前がすでに書かれていた。この人のために、教員になろうと誓ったし、行きたい大学に行って、教員免許をとって早く現場に立ちたいと思った。異動で会えなくなるのは寂しかったし、つらかったけど、同じ教員として働きだした時に、再開してお酒を飲もうということも言ってくれたので、本当にそれが叶うのを目標にしていた。

けど、現実はつらすぎた。胃が悪かったのは知っていた。話をしてくれていた。長くないことも知っていた。けど、あまりに早すぎた。

がむしゃらに勉強した。部活を引退してからは特に、1日17時間くらい勉強していた。それでもセンター試験は失敗した。模試では満点をとったこともあったのに、こんな結果になるなんてと、本当に運命を憎んだ。

けれど、何もかも責任は自分でとらないとならないということも学んだ。挫折や失敗は必然だ。偶然ではない。

地元に近い国公立大学を目指していたけど、結果進学したのは東京の私立大。親には本当に迷惑をかけた。けど、都会でしかできないことをたくさんできた。たくさんの人にも会えた。狭い田舎の視野でしかなかった部分を、間違いなく広げてくれた。あの時、失敗して進路先が変わったことは、結果的に悪いことになってない。

noteの記事の中では、私の職種についてはこれまで書いたことがないが、教員として、毎日忙しくしている。人がなかなかできない経験をしてきたことを、あの時先生が言っていたように、一生懸命頑張る生徒にぶつけ、私にできることは何かと、毎日頑張っているつもりだ。地元とは違う場所で、私学というのも、働きがいを見いだせている1つの理由かもしれない。公立学校が悪いわけではないが、いろいろなことをするためにかかる時間は短い。スピード感がある。それがやりがいに繋がっている気がする。

恩師が生きていて、今の私の姿を見たらどう言うかなと時々考えることがある。つらいことも確かに多い。同僚との関係性に悩むことも多い。ここ最近が正にそうだ。私学ならではの問題もたくさんある。けど、周りから見たら、私も私がやりたいように仕事やっていると思えるだろうし、きっとそうなんだろう。だからやるしかない。

結果、あの失敗がなかったら、同じよう思いになれたか。

きっと違うだろうな。

#あの失敗があったから

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