批判 〜メンタル・フィジカルとの関連性〜
おはようございます。
最近は緊急事態宣言が発令され、お家で過ごす時間が増えてきました。
退屈ですよねー!!!!!
僕もこの1ヶ月ほど自宅にいますが本当にそろそろ退屈がすぎてきますよね。dアニメのアニメはほとんど見てしまったし、Amazon Primeの動画もほとんど見てしましました。
皆さんのおすすめ映画アニメなどあれば教えてください。
さて、この世間を騒がすコロナウィルスは終息というゴールは分かっていながらもそのゴールは抽象的すぎて少し辛いです。
そんな世の中で僕が気になったのが「批判」です。
政治の批判、不要な外出に対しての批判、挑戦する人への批判など日本(だけではないと思いますが)は批判に支配されてるのではないのかと思えてきました。
そこには僕が今日書いていきたいのはタイトル通りメンタルとフィジカルが関連していると思ってます。このどちらかが満たされないと批判って生まれてしまうと思ってます。
ではでは、はじめに「批判」とは実際どういう意味か先に定義してみましょう
デジタル大辞泉では
1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を批判する」「批判力を養う」
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の批判を受ける」「政府を批判する」
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。
と書かれています。
今日話していきたい内容では2の意味が一番しっくりくると思います。
批判はなんで生まれるのか。これはされる側、する側のいずれかもしくは両方がやったことない事についてコメントしているからだと思います。
ここで僕が言いたいのは批判したい気持ちを間違ってるだろ!とか何やってんだよとか言いたいのではなく理解しとこうぜと言いたいです。
する側もされる側も間違いなくメンタルを消耗しますし生産的じゃないですよね。
コロナウィルスが世間の構造を変えるというような記事や意見が今たくさんあります。
同時に緊急事態宣言が出たにも関わらず、外出を控えない方々ももちろんたくさんいます。
僕もなんで出ちゃうんだろうとか正直ありえないなとか心の中では少なからず思います。
でも、表に出して怒ったり呆れたりはしません。
無駄だと思っているからです。良く言うのは牛を水辺まで連れて行く事は出来ても飲ませる事は出来ないと一緒です。
そして他人について気持ちを害意されている方ありがとうございます。
みんな少なからず思ってると思います。
少しくらいとかそんな大した事ないでしょとか思っていると思います。
そんな事でメンタルを消耗させないでください。
批判は心を蝕む毒です。
思うだけなら自分が萎えるだけですが、発信をしてしまうとまた違う人があなたを攻撃してきます。例えそれがいかに正論でも。
みんなでもう少し頑張りましょう。
コロナウィルスに人類は他の生物のように生身で戦うわけではありません。
世界にはこの世界を救おうとする科学者がたくさんいてその人たちが抗ウィルス剤という武器を開発してくれています。
こんな世界だけど楽しくしてやりましょうよ!
フィジカル的には先ほど言ったように科学者がどうにかしてくれるのでメンタル的には僕たちで自分を救って世界を救いましょう。
そう思って僕は子どもが笑ってる姿をみんなが見たら笑顔になれるんじゃないかと思ってYouTubeで発信を始めています。
みんなで世界救っちゃいましょう。
では今日も一日行って来ます!