提げ刀について
武士が刀を腰に指す事を帯刀(たいとう)と呼びます。
その逆に帯刀せず刀を持つ事を提げ刀・提刀(さげとう)と呼びます。
武士は野外においては小刀と大刀を帯刀しますが、屋内では大刀が邪魔になるために外します。
ちなみに腰から刀を外す事を脱刀(だっとう)と呼びます。
太刀が主流の時代には、太刀緒と呼ばれる紐を腰に廻し結束して、太刀を吊るしています。
これを外すのが手間であるために、屋内でも佩刀(はいとう)のままで坐ることもありましたが、その際は胡坐(こざ=あぐらの事)で坐るのが一般的でした。
(打刀を帯びていても、状況によっては脱刀せずそのまま胡坐にて坐ることはありました。)
しかし打刀が基本となった江戸期には、脱刀が容易なことから、家に入るにあたっては大刀を外すというのが、一般的な礼儀作法となりました。
ちなみに西洋の作法として、玄関前でコートを脱ぎますが、これは埃を持ち込まないという気遣いであり、また出掛ける装いを解き、応接の身なりになるという心遣いがあるそうです。
ひと昔前は、出来るセールスマンは訪問先の家や会社の玄関前でコートを脱ぐものだというのはこうしたしきたりの影響です。
(先にお伺いするための準備を整えるという意味もあるでしょうが)
日本の羽織の場合は、コートではなく礼装に含まれるので玄関では脱がないのが一般的です。
西洋のコートのように、武士の脱刀は往時においては原則だったといえます。
単に邪魔だからという理由だけではなく、臨戦態勢(帯刀状態)を解くという気遣いも含まれています。
(これは流儀の教えではありませんが、切腹の見届けの場合は、屋敷に入る際も大小帯びたままだったという話はあります。)
玄関で刀を預けない場合には、刀を持ったまま上がります。
この時に、基本的に刀は右手に持ちます。
(訪問先が目下であったり、非常に懇意な場合は左手に持つ場合もあります)
そして持つ場所は鍔に指が届かない位置、栗形に人差し指がかかる程を目安とします。
鍔に指が届く位置ですと、容易に鯉口を切る事が出来ますから無礼な振る舞いとなります。
※武士の日常における提刀
この提げ刀の方法は日常生活で用いるもの、稽古や演武においては事故を防ぐために、逆に必ず鍔を控えるように教えます。
稽古で用いる刀などはどうしても鯉口が緩みやすく、鞘走りなどの危険性があるからです。
これも古人の智慧なのでしょう。
※稽古、演武における提刀
また重要なこととして、親指は刃の直上に来ないように持たなければなりません。
万が一にも鞘走った(鞘から刀が抜けてしまう事)際には、刃を上にして持っていますから、親指の腹を割いてしまう危険性があるからです。
上写真のように、親指は内側に外して掛けます。
このように、鍔を親指で抑える所作を、「鍔を控える」と言います。
現在では刀を日常生活で持ち歩く事はありませんから、多くの場合は後者を専らとしておりますが、天心流兵法では往時の生活の中での技法も多々含むために、本来の作法に則った提げ刀をしっかりと身につけなければなりません。
※稽古、演武における提刀
刀を強く握ってしまいますと、鐺(鞘の末端部)が上がってしまい、見苦しくなってしまいます。
水平に近いというのは、右手に持っているとはいえ臨戦態勢に近くなり礼を失するという事にもなりかねません。
「提げる」は「つるす・ぶらさげる」という程の意味ですので、手の内は柔らかく、必要最小限の力で持ちます。
■ 右手で持つ事について
基本的に刀を持つのは右手です。
左手で持ちますと、これはすぐに右手で抜刀出来るという事で、一種の臨戦態勢となってしまいます。
昔の武士は基本的に右利きに矯正されましたから、左手での抜刀は不得手でした。
そのため右手に持てば抜きにくく、抜刀の意思を示さない礼儀に繋がるのです。
往時の武家に限らず、少し前までは左利きの子供は右利きに矯正される事が一般的でした。
今も左手で箸を使う事を「ぎっちょ」と称して毛嫌いするご年配の方もおられます。
ちなみに今では半ば死語となってきている「ぎっちょ」ですが、様々な語源の説があるそうです。
・ぎっちょの語源-両利きマスターズ
http://www.doublehand-masters.com/left-hand/knowledge/gittyo.html
歴史文化を見ると、洋の東西を問わず左利きを身体障害や知的障害の一種と捉え、厳しく矯正してきました。
昨今では左利きを矯正すると、脳の発達に悪影響を及ぼす恐れがあり、また利き腕ではない右手での生活を強いられるストレス、また過度な矯正(強制)によるストレスも大きな弊害であるという研究結果が広まり、左利きを社会が受け入れるようになりました。
現代の日本で、左利きはもう珍しいものではありません。
面白い話では、昔は囲碁などでも左手で打つのはタブーだったそうです。
現代では左手打ちも認められるようになったそうで、史上初の六冠を達成した井山裕太九段も左利きです。
ですが江戸時代の武士は「生来の左利きなので、左手で抜刀するので右腰に指します」という主張は受け入れられませんでした。
左腰に刀を帯びるというのは一種の不文律であり、これを破るは非常識でした。
(戦国時代など、戦で右手が不自由になった武士が、左手にて用いるために右腰に刀を帯びていたなどということがあったという話は聞きますので、絶対にありえないというものではありません)
抜くだけならば左手でも抜けるのですが、左手は右手に比べて不自由という事で、右手で持つ事が礼儀に適っていたのです。
右利きなので左腰に帯刀するのと同じように、右利きなので提げ刀では容易に抜ける左手で持つ事は非常識な振る舞いだったのです。
そうは申しましても、行きがかり上左手に持つ事ももちろんありましたし、また便宜上あえて左手に持つ場合もありました。
天心流に伝わる作法では、上司(上士)が下士の前で脱刀する場合などは左手で行い、そのまま左に刀を置くという所作が伝わっております。
今でも剣道では主に左手で提げ刀を行いますが、帯刀位置に竹刀を移動するのが容易なために行われる便宜上の方法であり、(武士の日常生活における)正式な作法ではありません。
天心流兵法でも組太刀の際には、左手提げ刀より抜刀し組太刀に入ります。
右手に持って左手に持ち替えてそこから抜刀し…となると、如何にも手間がかかります。
今回ご紹介したのは、略式(平時)の提げ刀になります。
貴人の前や、また神前など畏まった場においては、切っ先を前とする別の提げ刀を用いますが、それはまた別の機会にご紹介させて頂きます。