泰安洋行 〜ヨーロッパの旅〜 1
イタリア、フィウミチーノ空港の外に出ると、
すぐそこで若い女の子たちが煙草をばんばん吸ってた。
もうすでにイタリア、好き。
ローマの朝
ローマに着いた。
ここから地道なヨーロッパ旅が始まるんだなあ。
予約した宿。
地図を頼りにたどり着いたけど、ただのアパートメント。看板も出てない。
場所を聞こうと電話をかけたらチェックインまで待てとのことで、
重い荷物を背負ったまま道端のカフェテリアで粗末なパンと、とてもスムースなラテ。
片耳は街の音、もう片耳はビリーホリデイ。
いつも東京でやってるようなことだけど遠い異国でやるのが最高。
ただの駅前だ。
次はジョニミッチェルのブルーのB面を聴きながら平日の午前中。
ただ行き交う人を見てる。
ローマの人はなんだろう、
とても自然に、ちゃんと自分を幸せにしている人たちのような感じがする。
東南アジアから感じる豊かさとは違う心の豊かさがある気がする。
タイの幸福感。ローマの幸福感。
おれはどっちも欲しい。
やっぱりローマにはローマの時間がありそうだ。
東京のそれとはなにかが圧倒的に違う。
実際に違うのか、それとも東京で生まれ育ったおれには違うように見えるのかはわからない。
なんて "人生をやってる感じ" がするんだろう。
なんだかなぜか少し泣きそうになった。
彫りの深い顔立ちや長い手足よりも、
人がただ "人生をやってる感" がとにかく美しい。
でも、くるっくるのパーマヘアの人が多くて、それはすごくうらやましい。
ローマの人は駅前でも人混みでも煙草を吸うんだなあ。
向こうからおいおいと泣きながら赤毛の女の子が一人、歩いてくる。
映画のワンシーンかよ。彼女に幸あれ。
道端の椅子に座ってラテを飲んでいると、たまに物乞いが話しかけてくる。
頭に布を巻いたおばあちゃんが、いくらかのコインが入ったプラスチックのカップを持って近づいてくる。
「マニー、マニー。」
おれは黙って首を横に振る。
「だめならその煙草でもいい。」
おれのテーブルの上の煙草の箱を指差しながら言う。
「それならいいよ」
煙草を一本渡した。
「グラッツェ。私もラテが飲みたいわ。」
彼女は独り言のようにたぶん、そう呟きながらふらふらと歩いていった。
それからしばらくしておれは、
彼らが "ロマ(ジプシー)" と呼ばれる人たちだと知った。
エスプレッソ
朝。
駅前のバールで忙しないブレックファーストをやって電車に飛び乗った。
イタリアンブレックファーストは、ブリオッシュとエスプレッソ。
忙しない店内では、みんなたくさんの種類のブリオッシュが並ぶショーケースをテーブルにして、
エスプレッソを一口か二口で飲み干して店を出る。
とてもスマートだ。
立ち食いそばみたいな感覚。
電車がローマのテルミニ駅を出ると、すぐに車窓は田園風景になった。
濃さと広さのバランスをとりながら旅をする。
知らない国では、いよいよ2日以上先のプランなんか立てられるほど器用じゃないし。
真っ黒くて苦いカフェエスプレッソがおれに言った。
「なにも焦ることはない」
そうかもしれない。
悠長な旅をしよう。
結局、ローマではトレビの泉とスペイン広場くらいは散歩ついでに通りかかったけど、
積極的に観光地に寄りつくことはしなかった。
そんなことよりも、ピッツァリアでプロシュットが乗っかったピッツァを食べながら薄いイタリアンビール飲んだ帰りに、
威風堂々の真っ白い大聖堂の横を、
ヌテラ味のジェラート舐めながら歩いてる時のほうが、
それだけで遠くローマまで来た甲斐があったと思った。
思えばいつもそんな "現地人のふり" をする旅
だ。おれはそんな旅が好きだ。
ローマを出て1時間もすると海が見えてきた。
左手にはヨーロッパらしいグレーの山々、
右手には青い海。これが地中海ってやつか。
ナポリを過ぎて半時間、サレルノの鉄道駅のプラットホームに降りると、
心なしか気温も上がって、まさにイタリアって感じの海風が吹いていた。
Jealous Guy
海沿いの廃れたビーチでサンセットをぼけーっと過ごす。
生活の中では太陽や空を見上げることを忘れてしまうことがある。
ウサギを散歩させているドレッドヘアの兄ちゃん。
お尻丸出しにしてうつ伏せになってる天然日サロお姉さん。
Jealous Guyを聴きながら。なによりもこの瞬間を愛するように。
陽が落ちて真っ暗になった海にぽつんと浮かぶ船が見える。
海岸線のカーブに沿って白やオレンジ色の灯りがちかちか光ってるのが見える。
空よりもさらに黒い山の輪郭が見える。
これ以上なにも要らない。他にはなにも。
スーパーマーケットで買ったチーズと、
渋い赤ワインを飲みながら。
あなたからおれはどう見える?
これ以上なにも要らないけど。
真っ黒い海と街の灯り。
紙パックの安ワイン、それに清志郎のイマジン。
圧倒的満足感。
あんた、なにをそんなに求めてんの?
知らないうちにいろんなものを求めていたことに気がつく。
自分じゃない誰かや何かに、なにかを求めるより、自分の気持ちにだけに純粋になればいい。
なんだ簡単じゃん。簡単なはずなんだけど。
なぜか今日は
ナポリ。夕方のピアッツァ。
濃い青の空。
一人、涙を流しながら歩く女性に、
通りすがりにイカした兄ちゃんがなにか優しい言葉をかけるのを見た。
お互いのカクテルをシェアしながらはしゃいでるお洒落なおっちゃんたちを見た。
なんて平和なんだろう。
今もどこかで争いが起こっているなんて想像できないくらいだ。
雑多なストリート。
たった2ユーロのマルゲリータを
4つ折りにして歩きながら食べたら
ナポリの下町の昼下がりの味がした。
タイニーティムのような甲高い声でノリノリに歌うストリートミュージシャンの横で音楽に合わせて踊り出したお兄さんは、
ドクターマーチンのイカしたブーツを履いてた。
自分の部屋のバルコニーをステージ代わりにカンツォーネリサイタルをしているおじさんは、今日も観光客に大人気。
道端で絵を描きながら売っている彼の作品のテーマは"グロテスク"らしい。
宿の近所のチーズ屋のおじさんに、
「赤ワインのつまみになるチーズが欲しいんだけど。」って尋ねたら、
「それならなんて言ったってシンプルなチーズに限る。」
って、ナッツの入ったオーソドックスなチーズをおすすめしてくれた。
なぜか今日は殺人なんて起こらない気がする。
なぜか今日は。
ナポリっ子
やっぱり落ち着かないドミトリー。
壁の向こうのベッドでは誰かがずっと酷い咳をしている。
キッチンには、誰かが焼いたズッキーニみたいな野菜がずっとオーブンの中に放置されている。
落ち着かないので、寝巻きのまま手ぶらで夜の散歩に出た。
近所のバールで
「ブォナセーラ。プリーズ、カフェカプチーノ。」
とイキって注文したんだけど、おばさんはポカーン。
そして3回目くらいでやっとオーダーが通った。
なんだかおばさんがめちゃくちゃ笑ってた。
"ナポリっ子" にはまだまだ程遠い。
ドミトリーのススメ
夜中までパーティーに興じるひとら。
さっさと寝たり、部屋で静かに過ごすひとら。
どっちからもはみ出しているおれは一人、キッチンで安ワイン。
ただ、それぞれのいい夜を尊重し合う多国籍空間はどこか心地いい。
多文化のごった煮のような空間。
ドミトリーで快適にやるコツは、ある程度ガサツにやることだろう。
ただジャパニーズ代表としてスマートに。
不自由の中で自由にやることの特訓。
気がつけばワインを1本飲み干していた。
それでもそんなに酔っ払っていないのは、
おれがまだイタリアに酔っているから。
そんな気がした。
バールの看板娘
ナポリの朝。
隣のベッドのインドネシアから来た中国人の学生が出かけた物音で起床。
宿の無料ブレックファースト。
キッシュとソーセージ。トーストにヌテラを塗ってもりもり食べた。
昨日ライターのガスが切れたので、朝の散歩がてら、タバッキにライターを買いに行った。
魚屋が開店の準備をしてた。
朝の気持ちよさをおれに教えてくれたのはイタリアだ。
昨日も行ったピアッツァのバールにコーヒーでも飲みに行く。
適当な席に座ると、
昨日と同じお姉さんが注文をとりにきた。
イタリア人ではなさそうな雰囲気だ。
いつもとても自然にチャーミングな笑顔をくれる彼女。
「あなたの写真撮らせて」って声をかけてみた。
「もちろん。それならトレーは持ってないほうがいい?どう思う?」
「ワンモア。次はこんなポーズはどう?」
「後でその写真送ってね。」ってノリノリだな。
彼女の名前Rocio。アルゼンチーナ。
モデルやシンガーをやっていて、
今はナポリに住んでるんだって。
世界って狭いし、世界って広いよなあ。
貧乏だから贅沢
埃っぽい下町ナポリからずっと北へ。
花の都フィレンツェにたどり着いた。
落ち着いていてすっとしている。さすが芸術の街。
フィレンツェのドゥオーモは過去一の美しさ。
フィレンツェ、トスカーナ地方の名物はきしめんパスタ、タリアテッレ。
同じく名物のTボーンステーキを注文しようか
と血迷ったけど、なんとか我慢。
品のいいカップルや親子がワインを飲みながら優雅なディナーを楽しむ横で、
吉野家ばりにさくっとパスタをすすってきた。
ああ貧乏旅行者の鏡。
洒落たアペタイザーを横目にパスタをすする。
少し寂しくなったのと同時に、これぞバックパッカーってスタンスに美意識もある。
おれが初めて旅に出る時にばーちゃんが、
沢木耕太郎さんの "貧乏だけど贅沢" という対談集を持たせてくれたのを思い出した。
"貧乏だけど贅沢"
おれとしては "貧乏だから贅沢" くらいのことはあると思ってる。
旅行と旅は違う。
おれの旅はなにをするかよりも、なにを感じるかが重要。
こんな気持ちもぜんぶ含めて。
自分自身を旅の道連れに、どうやって自分の機嫌をとるか。
おれの旅はまだまだこれからだ。
いつか蕎麦屋でざる蕎麦を食べている旅人を見かけたら、
黙って天ぷらの盛り合わせでもご馳走してあげるような粋なやつになりたい。
Emreとおれ
フィレンツェでの宿はチャイニーズファミリーが経営してる安宿。
基本、国境はいらない派なんだけど同じアジア人って街でも滅多に見かけないし、
なんかやっぱりちょっとほっとしてしまう。
今夜はおれ以外にもう一人、2人きりのドミトリー。
イタリアのトリノ大学に通うトルコ人のEmreと、
晩酌用に買ってあった1本のワインとプロシュットを分け合った。
「日本人に初めて会ったよ。日本人はみんないつでも信号を守るって本当?」
「おれもトルコ人初めて。サバサンドってあれ美味いの?」
そんなお互いの "未知との遭遇的な会話" から始まる。
「たくさんのクルド人が日本に移り住んでいて問題になっているのは、あなたは日本人なら知ってるでしょ?」みたいなことから、
トルコ人のリアルな目線を知る。
「トルコ人としてPKKに対してどう思ってる?」
無学なおれには、クルド人と同胞の彼に
かけるいい言葉が見つからなかった。
ただ一つ言えるのは
「彼らはクレイジーだ。」
「今夜あなたと出会って、こうやってリアルな声が聞けたってことがおれにとって大事なことだと思った。」
Emreは深く頷いた。
こんな夜だ。
それから二人して、一晩中蚊に悩まされてろくに寝られなかった。
愛だとか幸せだとか
ボローニャ。
夕方のバールでカプチーノ飲みながら読む高橋歩。聴くフィッシュマンズ。
たぶんこれで2ユーロか3ユーロだぜ。
500円以下でこんなにも心豊かになれるんだから人生っておもしろいよなあ。
じいちゃんとばあちゃんが向かい合ってコーラを飲んでる。
お父さんと小学生くらいの女の子。
ビールとジュースで乾杯して、一つの皿のポテトチップスをつまんでる。
まるでカップルみたいに。
日本から出てアジア、そしてヨーロッパのいろんな街を観ながら思うこと。
世界中でこんなにも文化も価値観も違う。
景色もセンスも食べるものもぜんぜん違う。
そんなに違うからこそ、逆に普遍的なものがくっきりと見えてきた。
それがなんなのかわからないけど。
幸せとか愛とか平和とか、
言葉にするとたぶんそんな大層なものかもしれない。
それを言葉にする必要なんて1ミリもないけど。
なんだか知らないけど生まれちゃったんだから今を面白く生きようぜ、
みたいな人間の本質みたいなものは
今まで歩いたどんな町の人たちからもビンビンに感じる。
みんな大切なものをちゃんと掴んでる。
なんだ、こんなに違うみたいでも根本がまるっきりおんなじじゃん。
人は愛しあうために生きてるっていう噂
本当かもしれないぜ。
今夜、地球のどこかで
イタリア全開のかっこいい街並みにもだいぶ慣れてきたと思ってたんだけど、
ヴェネツィアはビビるくらいイカした街だった。
すげえ、世界にはこんな街があるのか。
水の都。細い水路と路地が複雑に絡み合うようにして
街のかたちをしている。
車もバイクも入れないこの街でのアシはもっぱら水上バスだ。
昨日、ボローニャから格安バスに乗っかってヴェネツィアに来たんだけど、
バスに乗り込んで席に着いた途端に、
隣の席の女の子が日本語で電話する声が、聞こえてきた。
おもしろいから電話を切った途端、
当然のように日本語で話かけてみる。
「どこから乗ってきたんですか?」
「えっ!びっくりした!日本人ですか!?」
彼女は関西から来た大学生。
卒業間際に一人旅をしている人だった。
満員の車内に外国人はほとんどいないし、
たぶんアジア人は彼女とおれだけ。
すげえ奇跡じゃん。
夜、リアルト橋の前の停留所で彼女と待ち合わせて、一人旅同士の二人飯をした。
運河沿いのめちゃくちゃ洒落たレストランのテラスでシーフードフリットをつまみにワイン。
ハネムーンかよみたいなロマンチックなレストランで、お互いのここまでの旅に乾杯。
ついさっきまで部屋で必死に服を手洗いしてたおれには場違いな気もしたけど、
たまにはいきなりこんな夜があってもいいよなあ。
旅人同士ってそれだけで共有できるフィーリングがあって面白い。
異国の地で、周りの人には一切わからない暗号のような言語、日本語で誰かと会話するということは、
ほとんど一人旅しかしていない上に、観光エリアに寄りつかないタイプのおれには新鮮で独特なタッチがある。
日本にいたら出会わなかったはずの人と、
知り合ってすぐご飯行って、またそれぞれの旅に戻る。
彼女はこれから長距離列車でスイスのツェルマットへ。
おれはオーストリアを通ってドイツを目指す。
「またね。そのうち地球のどこかで会おうぜ。」って。
やっぱバックパック一つで旅をするって最高にクールだよなあ。
バールで読もうと思ってバッグに忍ばせていた高橋歩の本、彼女にあげちゃった。
でもそれでいい。そんなのがいい。
最高に旅っぽいじゃん。
Say Goodbye to Italy
出発の朝。
時化った海と今にも雨が降りそうな空。
こんなのもまたいいなあ。ヴェネツィアは。
ヴェネツィアからベローナという街で乗り換えてミュンヘン行きの列車に乗った。
オーストリアのインスブルックという街を目指して。
こんな旅がなければ、ちょっとした気分でルートが違えば、一生名前も知らなかったであろう街だ。
ノープランの旅はそんなんだからやめられない。
そういえばなんでおれこんな訳わかんないところいるんだろう。みたいなのがサイコー。
車内販売で買ったアメリカーノを飲みながら、
途中駅に停車する度に、ホームに降りて煙草を吹かす。
なんかすげえいつも通りな感じなんだけど。
池袋のベローチェと同じ水準の快適さだ。
イタリアとお別れだ。
もうここってオーストリアなのかな。まだイタリアかな。
列車での国境越えって呆気ないな。
なんとなくビリージョエルのSay Goodbye to Hollywoodを思い出して聴いている。