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猫が教えてくれた「みんな違ってみんないい」-にゃんこ先生
1987年、猫の日実行委員会は、猫の鳴き声「にゃん・にゃん・にゃん」にかけて、2月22日を「猫の日」と制定しました。そこで2025年の「猫の日」にちなんで、猫好きの文章添削士に猫愛を語ってもらいました!
今回は、にゃんこ先生による記事をお届けします。
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猫を家族にするようになってから、かれこれ15年になる。現在は4匹と一緒に暮らし、初代から数えると10匹を家族に迎えた。我が家の猫たちは、全て保護猫。我が家の一人娘が、神社の境内に居たへその緒の付いた兄弟を見つけて連れ帰ったのが始まりである。
自分自身が娘と同じ小学生の頃、学校の帰り道に見つけた猫を親に無理やり捨てられた経験がある。大人になって飼育に責任が持てるようになっていた私に、娘が連れ帰った猫たちを、うちの子にしないという選択肢はなかった。
黒猫に始まり、白猫、サビ、トラジマ、茶白、白黒、茶トラ、三毛と毛色も様々な我が家の子たち。犬好きの方々は、「犬種」にこだわるようだが、猫好きは「柄」にこだわる。かく言う私も、茶トラと三毛さんはぜひ我が家の子に迎え入れたいと願い縁を手に入れた。
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猫たちを家族にして数年が経った頃、子育ての大きな大きな壁にぶち当たる出来事が起こった。小さい頃に反抗期らしきものの無かった娘。親の助言をよく聞く親にとっていい子だった娘。親の敷いたレールを真面目に歩くように見えていた娘。そんな娘に、自分の子であっても別人格であるということが理解できていなかった私。
そんな私に、「みんな違ってみんないい」を気付かせてくれたのは、我が家の猫たちだ。猫を家族にして数年が経っていたため、猫に言うことを聞かそうと思っても無駄なことは経験済みだった。猫に構ってほしくないものは、猫の手の届くところに置かない。悪さをされても悪さをされるようなところに置く人間が悪い。猫たちには、それぞれにそれぞれの性格がある。
ふと思った。猫たちのことはこんなに個性を尊重できるのに、なぜ娘にはできない? 同じじゃない?と。私の気持ちから、何かが剥がれ落ちた瞬間だった。猫の個性は変えられない。その個性があるから、みんな違ってみんないい。猫はいつも私に気付きをくれる。
人間の子は、手放す準備をしなればならないから、どんなに可愛くても猫可愛がりはできない。でも、猫は永遠の幼児である。猫可愛がりは当たり前。大事な命を迎え入れたのだから、「お母さんの子になって幸せだよ」と言って最後を迎えてくれるまで、猫可愛がりを続けるのだ。
何歳になろうと、私と一緒に寝てくれて、ご飯のお代わりを必死にねだり、私がトイレに入るとハヤテのごとく付いてくる猫たちが、私は可愛くて仕方がない。猫に話すときはそんなに優しい口調になるのに・・・と家族に言われたら、可愛いから当たり前と私は速攻答える。
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(執筆者:にゃんこ先生)