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ごはんのこと

職場の方からモウイを貰わないか、と言われて「はい、いただきます」と言ったら袋のなかにはそのほかにも野菜がどっさり入っていました。
※「○○貰う?」という言い方は島ならではです。

夏の救世主ともいうべき、モウイ。外側の皮が黄金色の瓜。薄くスライスして塩で揉み、水にさらしてギュッと絞る。冷やして大葉やツナと和え、ぽん酢をかけていただきます。これ以上ないぐらいのパリパリ音が脳に癒しを与えると思っていて、目を閉じてパリパリを味わうのです。
シカクマメ。うりずん豆ともいいます。見た目が愛らしい。塩で下味をつけて天ぷら、サイコウ。
ゴーヤー。私は生で苦みを味わいながら食べるのが好き。火をとおすなら、チャンプルーもいいけど筒に切ってミンチを詰めたり、我が家ではギョニソ(魚肉ソーセージ)を詰めたりして焼くのもおすすめです。
おもしろニンジン。しりしりーにしたら無限に食べれる。

・・・と、私は野菜をいただいただけでこんなあんなと想像するし、献立も考えるし、ンフフとなるのだけど、となりに座っている先輩はそうではないらしく。
一緒に住んでいた娘さんが結婚されてつい最近おうちを出られたので、ひとりになったら自分のごはんはどうでもいい、食べれたらいい、なんなら食べるのもめんどくさいと。
あぁわかる。ちょっとわかる。
盛り付けとかどうでもいい。買ってきたものでもいいし、おかず1品あればいいし、なんならお菓子でもいい。
あぁわかる。ちょっとわかる。
二人分だとなんにも苦にならないのに、ひとりぶんだと億劫になるの、わかる。
高校出てずっとひとり暮らしで、結婚して離婚してひとりに戻り、そのあと付き合った人と長年一緒に暮らして別れてひとりに戻り、いまの夫と暮らすようになるまでひとりだったから、どっちもわかる。

ひとりからふたりになるときって、リハビリがいるよね。食材の適正量がわからなくなってるから、買い物で地味に失敗する。いつもワンプレートにしてたのが尾を引いて、味も盛り付けも雑になってる。再び楽チンに作れるようになるまでには地味に時間がかかる。
飲食店でも何件か働いたけど、料理人が自分(個人)のごはんに無頓着なのはずっと見てきてる。やっぱり提供するごはんと自分の胃袋とは、別ものの部分もあるんだろうなと思う。

先輩には妹さんがいて、この妹さんも子供が成人して島を出たのでひとり、ごはんどうでもいいよねになってるのだそう。おうちも近いらしいから、当番制にして二人でごはんしたらどうですか、と言ってみた。そうだねひとりで食べるよりはね、と言ってた。

ここからは以前ヒプノセラピーを受けたときに出てきたイメージの話なのですが、私の仕事は食事をつくることでした。性別は男性でした。職場がどこだったかというと、牢屋です。今でいう刑務官?っていうのか、その方たちのごはんと、独房にいれられている人たちのごはんをつくるのが仕事でした。
いろんなことがあってここに来た人たち。私はごはんを作り、作ったごはんを提供するのも仕事でした。
私は声が出ない人でした。病気なのか障がいなのかわからないけれど、とにかく声が出せない人でした。
そこで感じていた諦めのような気持ちを私はガイドの方に話していました。首が絞められたように苦しかった。
男性だった料理人の私は、幼い頃、家族が揃って食事をする家に育った。そののち、養子なのか丁稚なのかわからないけれど、ある家に行くことになった。その家ではなぜか家族が別々に食事をしていて、とても空気がつめたいと感じていた。
料理をつくる仕事はとても好きだけれど、みんながそれぞれひとりで食事をするこの場はつらい、しんどい、耐え難いみたいなことを私はガイドさんに言っていて、自分でもなにいってるんだろうと思ってた。あたたかい食事をはこんでも、それを食べるのはそれぞれみんなひとり。牢屋のほうはあかりもなく暗くつめたい。誰かと話すことも、語らうこともない。私に口がきけたなら。料理をはこんで、ひとこと、この人たちに声をかけることができたなら。そう思っていたらしく、どわぁっと涙があふれてきたのです。

ここに書いていてもおはなしにまとまりがなく、ちんぷんかんぷんなのは承知の上ですが、心が通いあっていてもそうでなくてもいい、ひとりでごはんを食べるのはダメなんですと私は涙ながらに訴えるようにガイドさんに話していました。(ちなみにその当時の私は、ゴリゴリのひとり者で、ひとりでごはんを食べる毎日でした。)

いま、ひとりぐらしの高齢者のお宅に弁当を宅配するサービスとか、いろいろあります。高齢者の方には自治体の目も向きやすいと思います(ただし行き届いているとは思いません)。貧困家庭についても取り組みがはじまっています。だけどそのすきまに、人に言えない、うっすらとした寂しさや孤独感を感じている方はきっといらっしゃって、だけどみんなでワイワイが苦手な方も、きっといらっしゃる。
いい感じで放ったらかしだけど、いい感じで人の気配が感じられる、そんな絶妙な場はないもんでしょうかね。ああ、休憩時間が交代制の会社の社員食堂とかってそんな感じだろうか。会話はあってもなくてもいい、ひとりでないなら。
なんで私のなかからこんなことが出てきたのか、そして振り返ったいまでもそう思うのか、理由はよくわかりません。わからないことをわからないままにつらつらと書いてしまって申し訳ないけれど、とにかくごはんは大事なんですよたぶん。なんでもいいから食べれればいいってもんではない、毎日毎食じゃなくてもいいから誰かと。(もし、誰かといることで危険を感じるような場にいるならひとりのほうがいいけれど、そうでないなら、という意味です。)長々とごめんなさい。個人の意見です。


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