夏のめあて
思った以上に忙しすぎて、せっかくの牡牛座新月以来、ゆっくりする時間がとれないでいる。そして今日は土用明け、夏のさいしょの駅『立夏』を通過する。
もやもや、というつかみどころのないものが生き物のように覆い被さってこようとするのを拒否、阻止できるのは自分だけだとしたら。
さあ、どうする。
昨日は義父のことを書いたけれど、私自身が私の幸せのために思い描けることにも自分で限界をつくっているような。そんな気がする。
SNSで垣間見える『リア充』な同世代をみて、自分と比較してあぁと落ち込む。毎回毎回ガックリとおちこんでいるわけではなくても、うっすらといまの自分に情けなさみたいなものを感じていて、それがミルフィーユみたいに層となる。
だけど大切なのはここからで、『いいなぁ』は必ずしも『そうなりたい』とイコールではないということなのです。あの人にはあの人の輝き方があって、私には私の。
では、わたしはどうやって輝くのか、どうすれば輝くのか、輝きを押し留めているものはなにか。
自分を輝かせることにもう少し(いやかなり)真剣になろう、そう思う。うっすらとした諦めのベールみたいなものをまとっていたところで、それは誰かに共感されるものではない。まして自分をたいせつに扱っているとは言い難い。
このぐらいでいいや、を『これがいい』にする。『これがいい』を、まず最初にえらんでみる。
これがわたしの、夏の目標。
というより小学生低学年の教室にあった『めあて』。
沖縄、梅雨に入りました。
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