お坊さん、対等な立場で話ができる人がいますか?
お坊さんの集いに招かれてお話しする機会がある。以前このノートにも「お坊さんに期待する3つのA」や「お坊さんとCSR」などで、考えの一端を示しており、そんな内容のお話をさせてもらう。でも、そこまで難しいことをいわなくても、お坊さん向けにもっと簡便な一言がある。「お檀家やお坊さん以外に、相談できる相手がいますか?」という問いかけだ。
失礼ながら、多くのお坊さんの「世界」は、狭い印象がある。僧侶同士の交流、しかも同じ宗派内にとどまることが多く、他宗派とはほとんど交流がない。俗世の我々との接点は、檀家であることや、墓石業者・葬儀業者といった利害のある「関係者」が中心だ(二世・三世議員にも、お坊さんに似た「におい」を感じることがあるのが、世の中的にはお坊さん以上に深刻な問題をはらんでいるように思うのだけれど)。
もちろん、会社一途のサラリーマンだって似たような人はいるけれど、さすがに今の世の中、そこまで関係を利害関係の枠内にとどめてまで滅私奉公する人は果たしてどのくらいいるのだろう。お坊さんは多くが世襲で、会社勤め経験など社会との接点がないままに、下手するとずっと「上座」に座り続けることを当たり前としたまま歳を重ねる。「裸の王様」になる要素が整っている。
社会の「居場所」として多くの人の寄る辺となりうる寺、様々な社会課題に向き合うことができるポジションにいるお坊さんが、そもそも「社会」を知るための、社会との接点を得るための一番簡単な方法は、利害関係者ではない「外」の人と話をすることだと考える。忌憚のない、時には耳が痛い言葉に耳を傾けることだ。
子どもの頃や学生時代の友人、檀家以外の地域の人など、素直に対等な関係で話をする相手。そんな相手がいるかどうか。裸になった王様に「裸だ」と指摘してくれる人がいるかどうか。「裸だ」と指摘を受けたうえでなお裸でい続けることを自らの意思で選択するのは、それはそれで立派なことだと思うが、まずは気づくことだ。自分を含め、お坊さん以外にもあてはまる話かもしれないが、特にそれが顕著にわかりやすい形でみえるのが、裸の王様になりがちなお坊さんの世界だろう。
お坊さん、あなたにはそんな人がいますか?
(写真は、本文と直接関係ありません)
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