料理や食事で呼び覚ます認知症高齢者の元気
(この原稿は、毎日新聞WEBでの筆者連載「百年人生を生きる」2019年7月5日掲載の記事です 無断転載を禁じます)
認知症になったり、施設に入ったりすると、高齢者は「危ないから、料理は無理」と決めつけられ、調理から遠ざけられがちだ。献立から調理までさまざまなプロセスがある料理は、日常生活の中で段取りを考えて手先を動かすことが要求される行為だ。料理をすることで認知症予防や改善、情緒の安定といった効果が期待できるとして、高齢者施設の中には「料理療法」を取り入れるところも出てきた。何より、料理を作ることで役割や達成感を得られ、食事をおいしく食べられるようになる利点もある。料理療法を取り入れている高齢者施設を訪ねた。
要介護5の人もできることを
油で炒めたニンニクの香りが鼻腔(びこう)をくすぐる。タマネギやキャベツを刻む音。椅子に座ったまま黙々とサヤエンドウの筋をとる人もいれば、テキパキと器具を片づけて、洗う人もいる。時に会話が弾み、笑い声も響く――。
東京都練馬区にある高齢者施設「うららかデイサービス・里に吹く風」では、高齢の利用者10人が2グループに分かれ、自分たちで食べるランチの支度を始めた。利用者は要介護1~5の認定を受けており、認知症状がある。しかしこの施設では、利用者たちが包丁も使えば、ガスコンロで調理もする。
約2時間かけてできあがった料理は、主菜の小松菜のパスタのほかにコールスロー、オニオンスープ、イタリアのパン「フォカッチャ」だ。パスタとフォカッチャは生地から作った。料理のメニューは毎日違うもので、季節の食材を多く取り入れている。
できる範囲で料理の役割を分担
「できる範囲で、一人一人の役割を決めています。作業が難しい人は、味見や火の番などを担当します。包丁や火は危険と思われがちですが、料理をしてきた女性は手や体が覚えていて上手にこなします。慣れた手つきに『さすが人生の先輩』と思うこともあります」と、施設管理者の宮田知子さんは説明する。
利用者がやって来る1時間前には、スタッフが作業手順と、一人一人の状態に合わせた当日の役割を打ち合わせる。食材を洗ったり、調味料を量ったりする準備はスタッフが事前に済ませておく。調理には常時最低2人のスタッフが付き添い、特に火の扱いからは目を離さない。15年間利用者が料理をしているが、大きな事故やけがは一度も起きていないという。
利用者に生きがいを持ってもらいたい
「里に吹く風」は「利用者に生きがいを持ってもらいたい」という考えで、開設当時から利用者の活動に料理を導入してきた。始めたころは利用者のけがや火を扱うことを心配する家族が多かったが、生き生きと料理する様子を見て、最近は「ぜひ料理をさせてほしい」という声が多く聞かれるようになってきた。
宮田さんは「ある利用者は家に帰ると『スタッフがだらしないから、あたしが助けてあげないといけない』と言って自慢するそうです」と笑顔を見せる。中には100歳を超えても料理の能力がほとんど落ちていなかった人もいたという。
配膳も利用者自身が行う。取材に訪れた日は天気がよく、利用者の一部はウッドデッキでランチを食べた。一戸建ての民家を改修した施設は、我が家にいるような感覚で過ごすことができ、料理が生活の一部であると自然と感じられた。
おしゃれな体験型デイサービスも登場
おしゃれな料理スタジオのように室内が明るく照らされ、カラフルな調理器具が並ぶ料理体験型のデイサービス施設も登場した。東京都目黒区に2015年にオープンした「なないろクッキングスタジオ自由が丘」だ。全国で約600の高齢者向けサービス事業所を展開する株式会社「ユニマット リタイアメント・コミュニティ」が運営する。
「ここに来ると気持ちが前向きになる」
事業統括本部部長の神永美佐子さんは「食べることは何歳になっても関心事です。調理は、自尊心を傷つけずに楽しくできるレクリエーション。五感を刺激するのでリハビリ効果もあると考えています。自宅では台所が暗く狭いといった理由で、高齢者が料理したくてもしにくい事情もあります。『ここに来ると気持ちが前向きになる』といって、喜んで通う方が多いです」と説明する。
定員は1回20人。要介護1以上の人が利用対象だ。午前と午後の2回あり、午前はランチを作って食べ、午後はスイーツや持ち帰り用の夕食を作る。利用者が状況に応じて役割分担して調理する仕組みだ。調理免許を持つシェフをはじめとするスタッフがサポートする。
メニューは毎回違う。取材に訪れた日は、サワラと野菜の中華うま煮、イカと海藻の中華サラダ、鶏肉水餃子(ギョーザ)スープなど5品を作った。イカの薄皮をはいで内臓を取り除いた女性(85)は、腰を痛めて日ごろは座っていることが多いというが、この日は1時間以上立ったままで過ごした。「座っていると力が入らないでしょ。料理はリハビリだと思っている。料理は好きなので楽しいです」
また、車椅子の男性は、サワラをさばいた後、「車椅子なので家の台所では調理ができないけど、ここではできる」と笑顔を見せた。
利用者一人一人に病院のカルテのような記録表が用意され、個人の中・長期的目標が示されている。その目標は家族と本人と施設側が相談して決めたもので、「10分間立って調理できる」「一品作れる」「冷蔵庫管理ができる」など、身近な目標が毎回設定されている。活動後、スタッフが、目標がクリアできたかどうかについて評価し、記録する。スタジオに通って料理をしているうちに要介護度が下がった利用者もいたという。
料理療法として研究や普及も
高齢者施設での料理活動を「料理療法」と位置づけ、認知症予防や改善に役立てる研究と普及が進められている。この研究を進めている湯川夏子・京都教育大学教授(食生活学)は、料理の効用として、「手先を使い五感が刺激されることで、身体動作が向上する」「匂いやメニューが記憶を刺激する」「調理や食事を通してコミュニケーション能力が向上する」などを挙げる。
湯川さんは、中でも「役割感」を持てることが重要だと指摘する。
「料理は多くの作業があるため、能力に応じた役割分担ができます。役割を果たすことで自信回復や自尊感情の向上につながります。また、それによって高齢者に対する周りの見方が変わる事例も数多く把握しています。家族が『昔のおばあちゃんがよみがえったみたい』と言ったり、施設スタッフが『人生の先輩』と見直したり……。料理を通じてその人との『出会い直し』ができるのです」
湯川さんによると、レクリエーションの一環で料理活動に取り組む高齢者施設が増えている。料理活動導入の注意点として、湯川さんは「安全や安心、栄養面に配慮が必要なため時間と手間を惜しまないでほしい」と言う。
湯川さんは自宅でも高齢者が料理を作ることを推奨している。家族が一緒に関わり、本人にもできる範囲で役割を果たしてもらうようにすると、よい効果が得られるという。
「家族が本人に感謝の言葉をかけることを実践してほしいですね。料理をすることで高齢者は役割を与えられ、笑顔になり、生活の質が向上します。それこそが料理療法の一番の目的です」
(この原稿は、毎日新聞WEBでの筆者連載「百年人生を生きる」2019年7月5日掲載の記事です 無断転載を禁じます)
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