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テニス上達メモ465.「足るを知る」を「ガマンする」と解釈するのは、自己肯定感の低さに由来?


▶足るを知るは、「カツカツ」ではなく、「シャクシャク」


『イップス友の会』で「足るを知る」の話をしました。
 
「足るを知る」を、「カツカツのところでガマンする」などと解釈している人も、なかにはいるかもしれません。
 
しかし、全然そうではないのです。
 
まったくの逆とさえ言えます。
 
その全文は「足るを知る者は富む」
 
つまり「カツカツ(不足=ガマン)」どころか、「シャクシャク(綽々=ゆとり)」なのです。
 
その内容は、お金、健康、仕事、人間関係、そして心の豊かさなど、全方位に及びます。
 
今回はそのメカニズム(というほど複雑ではないかな?)について、書きます。

▶「必要なモノ」と「欲望なモノ」

私たちの身の回りには、「必要なモノ」と「欲望なモノ」が混在していますね。
 
衣食住は、「必要なモノ」でしょう。
 
水や空気、電気を含むインフラも、「必要なモノ」に分類されるかもしれません。
 
「欲望なモノ」とは、それがなくても生きていけるけど、「ほしい」から手に入れたもの。
 
たとえば「ゆで卵作り器」とか「バナナスタンド」とかが、それらに該当すると思います。
 
「ゆで卵作り器」は、スイッチひとつで半熟とか固ゆでとかの設定ができるし、バナナスタンドは、かけておけば傷みにくい、カッコイイなどの利点があるかもしれません。
 
だけど、どちらかといえば「必要なモノ」というより、素敵だとか優越感に浸れるだとかの、「欲望なモノ」にカテゴライズされると思います。
 
「ゆで卵作り器」がなくても、時間を計って鍋でゆでればいいし、バナナスタンドがなくても、かごの中にでも置いておけば事足りる。
 
当初は、それらのモノを手に入れたら「幸せ」だと思って買った。
 
つまり、なければ「不幸」だと思って買った。
 
一方「足るを知る」とは、卵がある、バナナがある。
 
それで十分なわけですね。
 
衣食住の「食」ですから、基本的には「欲望なモノ」というより、それらは「必要なモノ」。
 
足りているのです
 
こういうと、「やっぱり必要最低限のガマンじゃないの?」と思われるかもしれませんけれども、全然そうではないのです。
 

▶足るを知る「余裕」が、普段の「気持ち」や「立ち居振る舞い」に現れる


「必要なモノ」で満足な人は、もう「余裕しゃくしゃく」なのですよ
 
それが普段の、「気持ち」や「立ち居振る舞い」に現れます。
 
仕事のパートナーを求めるときに、「足りない足りない」という人と、「余裕しゃくしゃく」という人とでは、どちらに声をかけたくなるでしょうか?
 
結婚するのに、「足りない足りない」という人と、「余裕しゃくしゃく」という人とでは、どちらを選びたくなるでしょうか?
 
苦しみたいマゾヒストでもなければ、火を見るよりも明らかです。
 
あるいは自己肯定感が低い人も、自分には「足りない人のほうが、むしろお似合い」とばかりに、足りない者同士を引き寄せ合う負のスパイラルに陥りがち
 
仕事も結婚も、余裕のある人を選びたいのが健全な感覚でしょう。
 
ですから結局は、良い仕事にも、良縁にも恵まれるから、「足るを知る者は富む」のです。
 
その「余裕しゃくしゃく」な気持ちや立ち居振る舞いが、豊かさを引き寄せるのです。 


▶自己肯定感の低い人は、「自分のガマンが足りない」と思ってしまう

 
「足るを知る」を、「カツカツのところでガマンする」などと誤解している人がいると、冒頭で述べました。
 
特に自己肯定感の低い人は、客観的に見てじゅうぶんキツイ状況なのに、「自分のガマンが足りない」というとらえ方をしがちです。
 
しかし「自分さえガマンすればいい」という自己犠牲は、後述するとおり、自分が幸せではない以上、他人を幸せにすることはできません
 
どんなに困っている人がいたとしても、困っている人がいるからこそ、自分は自分軸で幸せに生きて、「自己効力感」を発揮すればいいのです。
 
困っている人がいるから、「一緒に不幸になる」という不幸
 
落ち込んで来るクライアントの話を聞いて、カウンセラーまで落ち込んだら、救いがありません。
 
自分は「余裕しゃくしゃく」になって、余裕を与えられるのが、「本当の救い」のはずです。

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