体罰、怒鳴ることからは何も生まれない。
今回は、近年社会問題にもなっている、『運動部活動での体罰問題』について触れながら、私の失敗だったと感じた経験を書く。
指導者側の暴力、怒鳴り散らす行為、そういった人がチームにいても、周りから見ていても、気分の良いものではない。
私は日常的にそういったことをする指導者が嫌いだ。
擁護する訳ではないが、指導する上で過剰なストレスを感じたり、熱くなる中で指導者側も自分を上手くコントロールできなくなるのは理解できる。指導者も普通の人間で、完璧ではない。
しかし、だからといって怒鳴ったり殴ったりして良い訳ではない。暴力や怒鳴り散らす行為から、プラスの要素が生まれる事はない。
【人と人の関係】
体罰や怒鳴り散らす行為を全面的に否定する私だが、大学4年生の時に、自分の中で失敗したと感じている出来事があった。
ある練習の日、5月か6月あたりだった気がする。それぞれが希望した選手同士でシングルスの練習試合を行なっていた。だが、後輩Aは自分から練習試合がしたいと言い出したのにもかかわらず、見事に無気力試合をやってのけた。後輩Aは普段の練習からやる気のない感じで、私以外の部員からも何度か注意を受けていた。
主将になってから、1番キレてしまった。さすがに暴力はしてないが、怒鳴って、怒り、その日は後輩Aを帰らせた。
『帰れ』『やります』『いや帰れ』『次からはちゃんとやります』みたいなやり取りはあったものの、その日はプツンと何かが切れた感じがして、帰らせた。でも、あの時後輩を怒鳴り散らして帰らせるべきではなかったと思っている。
帰らせた後、私の中で後味の悪い時間が流れる。周りには、あいつにはあれくらい言って良かったと言うチームメイトも数人いたが、私は怒鳴ってスッキリはしなかった。『あーあ、やってしまった。』という思いが心の中にあった。
怒鳴ることで、後輩Aとの信頼関係が余計に崩れた気がした。30人近くいるチームメイトの中で、合う合わないはあると思うが、心の距離が余計に遠くなった。
【私がすべきだった事】
暴力や怒鳴ることはプラスの要素を生まない。分かっていたのにもかかわらず。私は彼と対話する事を放棄し、怒鳴ることで簡単に片付けた。
私がすべきだった事は、彼と話すことだった。何故無気力なのか、理由を聞くこと。彼にも何かしらの背景があることを理解すること。無気力な彼を駄目な選手だ、駄目な人だと理由も聞かず勝手に決めつけていた。
当時の私にはそこまで頭が回る程、余裕がなかったのかもしれない。それでも、あの行動は1つの失敗として私の中に残っている。
今後同じような状況になった時の為に、忘れんように書いておく。
今日はこれで終わり!!
坂井勇仁