運動について(独身兄)
運動というと何だか「特別」なものだと感じてしまう。
現に僕は運動音痴だったので外で遊ぶよりも家でファミコンをしている方が好きだった。
汗をかくとべたべたして気持ち悪くなるし、疲れてしまうと体がだるくなってしまうことも嫌いだった。
「楽して過ごしたい」そう思っていた僕に転機がきた。
大学時代に出会った空手部の友人が体を鍛えることを勧めてきたのである。
僕は彼の助言にそれまでの態度とは一変して迷うことなく首を縦に振った。
理由は簡単で当時、思春期真っただ中で彼女が欲しかった僕は「ナイスバディ―はモテル」と言ったマニュアル本を読んでいたからだ。
簡単な筋トレで筋肉が刺激されるとなんだか気持ち良い感覚に見舞われた。
繰り返し規定回数をおこなうと疲労とともに達成感が訪れた。
筋肉が刺激されることで心拍数があがり、脳が刺激されアドレナリンやエンドルフィンと言った脳内麻薬が生成された。
これを機に「運動」というものは僕にとっては欠かせないものに変わっていったのである。
43歳を迎える今でも運動は欠かせないものであり、私自身がスポーツインストラクターとして脱サラしてテニスの世界に入ったこともこの成功体験が理由なのかも知れない。
生きているうえで体を刺激することは「健康を保つ」ことと同じ意味を持つ。
つまり運動することは心と体のバランスを整えてより快適で幸福な日々を保証するものになるのである。
脳科学的にも脳には側坐核という部分があり「身体を動かすことでやる気がでる」役割を担うのである。
つまり一般的に思われがちな「やる気が出ないから動かない」のではないのである。
さらに鬱病の人は身体を動かすことを勧められる傾向にあることからも「運動」は日常生活に欠かせないものなのである。
生きていく上で「運動」は必要不可欠な要素なのである。
身体を動かすことで日々の生活レベルを上げて、より楽しいものへと導くことこそが運動の本質なのだと思う。
誰かと競うのもよし、人と競うのが疲れるのであれば昨日の自分と競っても良いだろう。