物事の本質を見抜け
親友や家族が不治の病にかかったらあなたはどうしますか?
まずとにかく治ってほしい。その一心だと思います。
心の底から治ってほしいと思っているあなたは何をするでしょうか。
おそらく、毎日お見舞いに行ったり、看病したり・・・
でも、果たしてそれは本当に本質的な行動なのでしょうか。
正直な話、毎日お見舞いに行っても病気は治りません。
でも、本当に治ってほしいという気持ちはある。
では何をやるか。
ここで本当にやるべきことは医学の勉強をし、最愛の人を助ける術や薬を作り出すことなのではないでしょうか。
それが助けられる可能性のあることなのだから。
この例は非常に極端な例です。
ですが、何があっても助けてあげたい気持ちはあるのに、実際にやっていることは病気を治すという観点からはあまり役に立たない看病・・・
どうなのでしょう・・・これは本質的なのでしょうか?
ビジネスにおいてもスポーツにおいても日常生活においても、本質を見極めることは重要なことです。
勝ちたいといっているのに、顧問がいなければすぐにふざけだす部活動。
真夏に根性論で長時間ランニングさせるスポーツチーム。
吐くまで飲ませる飲み会。
一体、本質はどこにあるのでしょうか。
勝ちたいなら練習をすれば良い。顧問に怒られたくないだけならやめれば怒られません。
体力は大事です。でも、走って気合は入りません。
楽しみたいのではないのですか?吐くまで飲むのは楽しいですか?(私は飲まないので分かりませんが)
もちろん、本質だけ見て生きていても楽しくはないです。
何も気にせず、はっちゃけるような時も必要でしょう。
でも、本質を見極めなければいけない時もあるはずです。
自分のためにも本質を見極められるようになるべきだと私は思います。
(不快にさせてしまっていたら申し訳ありません)