Razorcuts ティム・ヴァス インタビュー
グレゴリー(Gregory Webster)とティム(Tim Vass)は、Razorcutsだけでなく、シネマティックス、フォーエヴァー・ピープル、といったバンドでもコンビで活動していて、こういう一心同体な関係性というのはどんなものなのか、ずっと気になっていた。
また、グレゴリーへのインタビュー記事はいくつかあったけれど、ティムがRazorcutsについて語った記事をいつか読んでみたいな、というのは長年思い続けていたことだった。でもまさか本当にそんなものが読めるなんてね。
Interview with Tim Vass from Razorcuts
1. 初期のグループ、シネマティックスについて教えて下さい。シネマティックスとしてライブを行ったことはありましたか?
シネマティックスは基本的に僕とグレゴリー・ウェブスターの2人で、ドラムは仲間のコリン・ロジャースだった。グレゴリーと僕がまだ10代だった1978年頃、ルートンのGrapevineというパブで出会ったんだ。僕は楽器を弾いたことがなく、グレゴリーも自分のギターを手に入れてせいぜい数ヶ月だったけど、すぐに最初のバンドを結成したんだ。70年代後半から80年代前半にかけて、僕らはルートン近郊で、メンバーやバンド名を変えながら、たくさんのライブで一緒に演奏したよ。最初はとてもアマチュアっぽいパンク・バンドだったけど、そのうちにポスト・パンクのDIYシーンやポストカード・レコーズ、テレビジョン・パーソナリティーズなど、その他いろいろなものに影響を受け始めたんだ。
1982年の初め、自分たちの自主レーベルでシングル盤をレコーディングすることにして、その時のバンド名がシネマティックスだった。1,000枚作ったけど、売れたのは200枚くらいだったと思うよ!残りのほとんどは、結局捨てちゃったか、何年か経って引っ越しで失くなっちゃったな。
2. Razorcutsはいつ始まったのですか? また、バンド名を考えたのは誰で、どんな意味があるのでしょうか?
シネマティックスでシングル盤を作った後、グレゴリーと僕は地元のバンドで1、2年演奏していたけど、僕らと同じような音楽的嗜好を持つ人が周りにほとんどいないことがわかってきてね。ルートンは当時、ゴスの牙城のような場所だったから!
いずれにせよ、僕らはロンドンで過ごす時間が増えていったんだ。アラン・マッギーの運営するクラブ、リヴィングルームを見つけてからは、週に2、3回は、ジャスミン・ミンクス、ザ・ロフト、ビフ・バン・パウ!、パステルズ、ジューン・ブライズといったバンドをそこに観に行っていた。
Razorcutsの前身バンドでも何度か出演したよ。そのうちにアラン・マッギーがデヴィッド・スウィフトを紹介してくれて、彼が新しいドラマーになった。そのタイミングで僕らは心機一転、ロンドンでのリハーサルとライブに集中することにして、名前もRazorcutsに変えたんだ。1985年の初めだったと思う。このバンド名は、バズコックスの曲「Love You More」の最後の一節(「この恋のあと/他のものは何もないだろう/カミソリで切り裂くまで」)に由来している。「Razorcuts」はバズコックスの伝説のブートレグLPのタイトルでもある。だから、僕らの新しいバンド名は、そもそもバンドをやるきっかけとなったパンク・シーンにちなんでいるんだ。
3. 最初のライブを覚えていますか?
ああ、それから僕らは、ジョー・フォスターをギターとボーカルに迎えたんだ。ジョーは初期のリヴィングルーム/クリエイション時代のアランの右腕で、TVパーソナリティーズにも参加していたよ。だからRazorcutsのオリジナル・ラインナップは、僕と、グレゴリー、デヴィッド、そしてジョーだね。
ジョーは、誰もが知っている大物だったし、音楽のセンス抜群だった。ジョーがバンドにいたのは半年くらいだったけど、彼は僕らに、より良い曲を書くように促し、たくさんの影響を取り入れるようにしてくれたんだ。
僕の記憶が正しければ、ジョーはRazorcutsとしての最初のライブも手配してくれた。ブル&ゲートでのニック・ケントのサブタレニアンズのサポートアクトだったよ。その頃のことは楽しい思い出だね。
数週間後には、マーキーでHurrah! と共演したんだ。素晴らしい経験だったよ。
4. クリエイションとは、どうやって契約したのですか?それはバンドにとって重要なことでしたか?
グレゴリーと僕は初期のクリエイションのバンドやライブが大好きだったし、どうしてもそこに入りたかったんだ。
アランがクリエイションからシングルをリリースしてくれることを期待して、ジョーと一緒にスタジオで何曲かレコーディングしたこともあるよ。とある理由で実現しなかったけどね(話せば長くなる!)。結局、1986年にサブウェイ・レーベルからシングルを2枚、1987年にFlying Nunからシングルを1枚リリースすることになった。Sha-La-La(Sarahレーベルの前身)からもフレキシを出して、いくつかのクールなレーベルと関わることができたのは、とても幸運だった。アランがFlying Nunのシングルをとても気に入ってくれて、LPを出すチャンスをくれた時、僕らは大喜びしたんだ。クリエイションの2枚のアルバムは今でもとても誇りに思っているよ。近年何度も再発されているのは素晴らしいことだね。
5. Razorcutsは、再びライブなどの活動を行うことはあるのでしょうか、それとも永遠にないのでしょうか?
残念だけど、永久にないだろうね。グレゴリーと僕は今でも大親友で、定期的に会っているけど、彼はRazorcutsの再結成ライブには全く興味がないし、僕はシルヴァー・バイプレーンズや他のことで忙しいんだ。いつか一緒にレコーディングする可能性は十分あると思うけど、そのときはRazorcutsというより、ザ・フォーエヴァー・ピープルのようなものになるだろうね。(僕らは1992年にサラからザ・フォーエヴァー・ピープルとして唯一のシングルを出した。)」
6.他に80年代に好きだったバンドはありますか?
さっきも話したように、初期のクリエイションのバンドが大好きで、特にジャスミン・ミンクスは素晴らしいバンドだったし、しかも素敵な人たちだったよ(今もね)。同じ頃、ペイズリー・アンダーグラウンドのバンド、特にThree O'ClockとThe Rain Parade についても大ファンだったな。その後、ラッキーなことに、Go-Betweens、The Chills、Sea Urchins、Primal Scream、Heavenlyなど、大好きなバンドと共演する機会に恵まれたし、本当にマジカルな時代だったよ。
7. 現在は、何か音楽に関しての活動をしていますか?
もちろん!自分のバンド、Silver Biplanesで、2023年に 「A Moment In the Sun」を、2024年に 「Travelling By Candlelight 」をリリースしたよ。シンガーは妻のヴァネッサで、彼女は90年代にたくさんの素晴らしいシングルをリリースしたザ・メロンズのシンガーなんだ。シルヴァー・バイプレーンズは基本的にメロディックな歌モノのインディー・バンドだけど、サイケデリア、ポスト・パンク、クラウト・ロックなどの幅広い影響を受けている。Razorcuts時代の僕の歌詞を覚えている人なら、僕が書いた新曲が、不眠症やトランジスタラジオ、あるいは子供時代の思い出から死と向き合うことまで、幅広いテーマを扱っていることに驚かないと思うよ!僕はこの2枚のLPをとても誇りに思っているし、ロブ・スコット(ドラム)、ノエル・ダグラス(ギター)、スティーブ・ピーブルズ(キーボード)という素晴らしいメンバーとライブをするのは大好きなんだ。ライブは10回くらいやっていて、これからももっとやるつもりだよ!YouTubeにはたくさんの動画があるし、FacebookやBandcampなどにもたくさんの情報があるから、もっと知りたい人はそれを見てね。