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Longshot For Your Love / The Pale Fountains ライナーノーツ 日本語訳 その4

(前編はこちら) パトリック・ムーアによるライナーノーツ(後編) ロンドンに戻ると、ジェフは新録音に熱狂し、エルヴィス・コステロにテープを送るつもりだと言いました。ヴァージンでは、次のペイリーズのシングルのライセンス契約について話し合い、サイモン・ドレイパーが7,000ポンドの予算を提案してきたので、私はためらいました。一方、クリスは、マイクがワインバーでソロのアコースティック・セットを演奏し、バンドのシングルがリバプールで1位になったという知らせを電話で伝えてきました。8

    • Longshot For Your Love / The Pale Fountains ライナーノーツ 日本語訳 その3

      The Last Summer Of Love パトリック・ムーアによるライナーノーツ(前編) (後編はこちら) 1982年、私はハックニー区のベックロードにある古びた集合住宅に友人たちと住んでいて、ラドブローク・グローヴにあるラフ・トレードの流通部門で働き、毎日、街を横切って長い地下鉄の通勤を続けていました。私は自分の勤め先がロマンチックでないと感じており、商業サイドよりもアートの側に関わりたかったので、ラフ・トレードの建物というクラブに立ち寄るファクトリーやポストカード

      • Longshot For Your Love / The Pale Fountains ライナーノーツ 日本語訳 その2

        (前編はこちら) エリック・メイソンによるライナーノーツ(後編) 1982年7月19日に録音され、8月3日に放送されたピール・セッションは、マイケル・ヘッド曰く「これまでで最高の演奏の一つ」である。このCDに収録されているジョン・ピール・セッションの曲がすべてそうであるように、「Lavinia's Dream」はピールの番組で放送されて以来、初めて聴けるバージョンだ。(別バージョンの「Lavinia's Dream」は、クレプスキュールのレアな12インチ「Just A Gi

        • Longshot For Your Love / The Pale Fountains ライナーノーツ 日本語訳 その1

          Longshot For Your Love エリック・メイソンによるライナーノーツ(前編) (後編はこちら) 80年代初めの一時期、The Pale Fountainsは、あらゆるものを持ち合わせていたと言えるだろう。シンプルな輝きを持つバンド名、完璧なレコードスリーブ、The Little Rascals(※1)のルックス、よく練られた多彩な楽曲。彼らはポップスの上品さとエキサイティングさの、すべてを体現していた。しかし、初期のシングルとデビューアルバム『Pacific

        • Longshot For Your Love / The Pale Fountains ライナーノーツ 日本語訳 その4

        • Longshot For Your Love / The Pale Fountains ライナーノーツ 日本語訳 その3

        • Longshot For Your Love / The Pale Fountains ライナーノーツ 日本語訳 その2

        • Longshot For Your Love / The Pale Fountains ライナーノーツ 日本語訳 その1

          The Doris DaysからPacific、そして現在へ:Dennis Wheatley インタビュー

          デニス・ウィートリー(Dennis Wheatley)という名前をご存知だろうか? 名曲「Barnoon Hill」を生み出したPacificの中心人物、と言えば興味がわくだろうか? 硬質でペナペナしたリズムマシンと低音のシーケンスによるナゾの打ち込みサウンド。アコギや弦、トランペットが入っていて、(後に有名になった)日本語ポエトリー・リーディングも出てくるので、ネオアコ的なものとして分類されがちだけど、よく考えたら変な音楽だ。 何の影響を受けているかもよくわからないし、ク

          The Doris DaysからPacific、そして現在へ:Dennis Wheatley インタビュー

          Razorcuts グレゴリー・ウェブスター インタビュー(後編)

          C86に影響を与えたバンド、Razorcutsのインタビュー後編では、フロントマンのGregory Websterに、グループの解散のことや、再結成の誘惑に駆られない理由についてAnthony Struttが聞いています。 (オリジナル記事の公開日:2003年6月11日) 前編はこちら — Razorcutsの活動期間は、記録上では5年です。ちょうどその後にマッドチェスターがやってきたので、バンドにとってその長さは丁度良かったと思いますか? GW : その長さがベスト

          Razorcuts グレゴリー・ウェブスター インタビュー(後編)

          Razorcuts グレゴリー・ウェブスター インタビュー(前編)

          C86時代の最大のバンドのひとつRazorcutsは、バーズとバズコックスに影響を受け、クリエイション・レコーズと契約した初期のバンドのひとつでもある。2部構成のインタビューの前編では、フロントマンのGregory WebsterにAnthony Struttが話を聞いた。 (オリジナル記事の公開日:2003年5月13日) 1987年7月9日、クラレンドン(現在のハマースミス・ブロードウェイ)の2階で行われたクリエイション・レコーズのイベントで、私はRazorcutsの演

          Razorcuts グレゴリー・ウェブスター インタビュー(前編)