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待つということ

鷲田清一の文章に折々救われてきた。

『ひとが待つことをはじめるのは、じぶん独りでは事態をどうにも打開することができないと悟ったゆえに、最後はもうひたすら相手の変化をねがうしかなくなるからだ。』

みんなこのやり場のない思いをどのように処しているのだろう。

家庭も仕事もほとほと嫌になってしまって、
きょうは家族が出かけた後ひたすら寝た。
こんなときにサウナに行ければいいのだけど。

雨のせいかもしれないけどいろいろなことを一旦止めて、電波も止めて、ひきこもるー。
ボルサ。ポジティブに言えば、生産的な休暇。

こんな時は鷲田清一に限る。
『「待つ」ということ』

『「期待することなしに待つ」と言うとき、わたしたちは自分が待つものを実は知っているのだろうか。あるいは逆に、何を待っているのか、ほんとうのところわかっていないのだろうか。』p94

息子は二学期が始まった。
昨年の今頃、こんな一年後を過ごすことになるとは露にも思わなかった。
私たちは何を待っているのだろうか。

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