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パニック障害 闘病のあれこれ6
最近はうつの時期が来て、気を抜くと生きることへの執着がなくなるからつらかった。昨年診断された双極性障害のせいなのか、冬だからなのか分からないけど、なんだか沈んでいた。お酒を飲む回数が増えて、やめていた紙タバコをまた吸い始め、仕事がやけに捗り、パートナーには「なんか死にたい人って感じ」と言われた。
今は、まあ徐々にだけど、浮かんできている気がする。大人だからね、もうあたふたしないです。またこれかーって思うだけ。死にたいなんて感情は別にとうの昔からあって(みんなもそうでしょ)、だからって死んだらだめだよ生きてていいよみたいなことも知っていて、病名がつくからあたかもコントロールできるみたいに、まるでちゃんと病院に行かない私が悪いみたいに、そんなんずるいよ、お前最近じゃん、名前ついたの、とか思う。
最近どう?みたいな話をして、相変わらずですって答えて、じゃあまた2ヶ月後にねって、脳みそがとろける薬を出されて、それで「通院中」なんておっきな免罪符がもらえる行為、なにやってんだろーなこれって思っちゃって、ちょっと休んでいます、今は。
パニック障害の方は相変わらず隣に座っている。
カネコアヤノと小山田壮平がツーマンをやるって聞いて、慌ててチケットを取ろうとローチケを開いて、会員登録まで終わらせた。でも、会場のZepp Hanedaの写真をみて諦めた。
必ず出社してねみたいなおっきなイベントがあった。頑張って早起きして、満員電車も必死で乗って、会場に着いたのに、やっぱりだめで、会場のすぐ外でオンライン参加をした。
生活の中の小さなひとつでしかないのに、心に大きくささくれ立つような出来事がちょくちょくあって、私はこういう時、決まってエビングハウスの忘却曲線を思い出す。全然嬉しくないですよ、こんな記憶が定着したって。
ライブや大きな映画館が怖い。
→屋外のライブや小さな映画館なら行けるね
OKストアで発作が起きた。
→ライフやサミットでは起こしてないよね
お酒を飲まないと大江戸線に乗れない。
→東京はたくさん路線があるから、大丈夫だね
人と寝る時、壁側にいられない。
→彼女は外側を譲ってくれるから、大丈夫だね
1個ずつ、「できない」を、「でも大丈夫」に捉え直していく作業をする。これがまじで永遠。正直とても滅入る。でもこれをしないと、いつか本当に部屋から出られなくなるんだろうな、などと思う。
感情や状況が、沈んだり浮かんだりすること、小さい時からなんか分かってたなって思う。小学生の時、座右の銘として用意してた言葉→楽は苦の種 苦は楽の種
人からどんな大きさで見られているのか、とても気になる。