こんにちは
夕方。部屋は暗いので、薄明るい空が窓の外に見える。シングルベッドの上、窓側から亜希、春子の順で寝転がっている。亜希の右腕に春子が頭を乗せている。二人とも左を向いて、窓の方を向いている。
亜希「イングロリアスバスターズでさ。」
春子「この前見たやつ?」
亜希「そう。ブラピのやつ。」
春子「うん。」
亜希「あの悪い奴のさ、おでこのところに、ブラピが、ナイフでハーケンクロイツ彫るでしょ?」
春子「うん、彫ってた。痛そうだった。」
亜希「んね。痛そうだった。」
春子「あのシーンが、どうしたの?」
亜希「一生背負って生きろ、って、いうでしょ。」
春子「言ってたね。ブラピ。」
亜希「うん。(少し間を空けて)インド行った時にさ。」
春子「行ってたね。去年。」
亜希「うん。おでこに赤いやつ付けてもらった。」
春子「よかったじゃん。」
亜希「あなたの幸せを祈ってって、つけてくれたんだよね。」
春子「そうなんだ。」
亜希「京都ではね。」
春子「うん。」
亜希「お宮参りのときに、男の子は大って字を、女の子には小って字をおでこに書くらしい。」
春子「ふーん。」
春子、頭の位置を直す。
亜希「男の子には強い子になってほしいって、女の子は優しくなってほしいってことなんだって。」
春子「私、あんまり好きじゃないな、そういう区別。」
亜希「モヤっとはするよね。」
春子「でも、なんかそういうのって、記号なんだろうな。」
亜希「記号?」
春子「うん。誰も意味なんて考えなくて、ただやってるだけ。」
亜希「どういうこと?」
春子「目上の人にも、おやすみなさいっていうけどさ。」
亜希「うん。」
春子「座りなさいとはいわないじゃん。」
亜希「あーなるほど。」
春子「ごめんね。話区切って。」
亜希「ううん、いいよ。まあそれで。」
春子「うん。」
亜希「おでこに書いたら、願いが叶うのかなって思って。」
春子「うん。」
亜希「ずっとこのままの空の色をさ、このままの温度で、このままの眠さで、このまま見ていたいですって書いたら、叶うのかな。」
春子「うーん。」
春子、頭の位置を直す。
春子「ちょっと長いかもな。」
亜希「そこか。」
春子「うん。一文字とか記号でなきゃダメなんじゃない。」
亜希「記号。」
春子「そう。」
亜希「こんにちは、って書いとく?」
春子「(少し笑って)いいね。ちゃんと願いながらね。」
亜希、起き上がって、ペン立てにあるマジックを手に取るが、少し悩んで、マジックを戻す。亜希、春子の化粧ポーチからアイライナーを取る。戻る。
春子、起き上がり、前髪を上げておでこを出す。二人、向かい合って座る。
亜希「このままの空を、このままの温度、このままの眠気で。」
春子「このままで。」
亜希、春子の額に、アイライナーで「こんにちは」と書く。
亜希「あれ、お願いって声に出していいんだっけ。」
春子「どっちのパターンもあるよね。」
亜希「うーん。神様も、たぶん、聞こえやすい願いの方がやりやすいんじゃないかな。」
春子「そうだといいね。」
二人、もう一度寝転がり、最初と同じ体勢に戻る。
亜希、春子の顔を見る。
亜希(少し笑いながら)「変なの。」
春子(笑いながら)「えぇ、うるさいな。亜希が書いたくせに。」
亜希(少し笑いながら)「うん、変。」
春子(笑いながら)「やだなーもう。」
亜希、窓の方に首を向け、空を見る。春子も亜希から窓の外の空に視線を移す。
春子「あ、そういえば今日、火星が接近するらしいよ。」
亜希、慌てて春子の方を見る。
亜希「(少し慌てながら)え、地球に?大丈夫なの?」
春子「(少し笑いながら)大丈夫だよ。接近するだけ。」
亜希「あぁよかった。安心した。」
春子「安心したね。」
亜希、再び窓の方を見る。
間
春子「そろそろ帰らなきゃ。」
亜希「もうちょっとだけ。」
春子「ん?」
亜希「もうちょっとだけこうしてて。」
春子「うん、わかった。」
亜希「ごめん。」
春子「いいよ。腕、痛くない?」
亜希「うん、平気。」
間
亜希「火星が接近してさ。」
春子「うん。」
亜希「地球の温度って上がったりするのかな。」
春子「火星って、熱いんだっけ。」
亜希「え、だって火だよ。」
春子「本気で言ってる?ボケてる?」
亜希「ボケてる。」
春子「だよね。」
亜希「うん。」
間
春子「あ、何言うてんねん。」
亜希「よかった、ありがとう。」
春子「うん。」
亜希「キン肉マン、読んだり見たりしたことある?」
春子「ない。」
亜希「ないよね。北斗の拳とかバキと同じくらいないよね。」
春子「ないね。」
亜希「あれみんな知ってる前提で話すすむときない?」
春子「あるね。」
亜希「あれ、解せないな。」
春子「なんでキン肉マン?」
亜希「おでこに肉って書いてあるなと思って。」
春子「あぁ。(少し間を空けて)あれはなんの記号なんだろう。」
亜希「んー、なんだったら面白い?」
春子「お母さんの長生きとかかな。」
亜希「あーちょっとわかる。なんで肉なんだよ、で面白い。」
春子「お肉いっぱい食べられますように。」
亜希「お前ただ肉好きなだけかい。もっとあっただろ。」
春子「ずっとうちにいたい。」
亜希「1人(いちひと)多いよ。」
春子「んー、もう出ない。」
亜希「楽しかった。」
春子「帰ろうかな。」
亜希「うん。(少し間を空けて)あ、クレンジングそこにある。」
春子「あ、忘れてた。ありがとう。」
春子、洗面所でおでこの「こんにちは」を落とす。
亜希、その間にコートを羽織り、財布と携帯をポケットに入れる。
亜希「駅まで送ってく。」
春子「ありがとう。」
春子、コートを着てマフラーをして、荷物を持つ。
二人、靴を履いて家を出る。