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今に続くものへの出会い ☆サーフィン編
自分の中でサーフィンとサッカーはとてつもなくおおきなものになりました。サーフィンはライフサイクルに組み込まれていきサッカーは週末のお楽しみになってそれこそストレス発散でなく真剣勝負の場へ赴くという自分探しの場という感じでした。
週6というサーフィン生活飽きない?ということよく言われました。
まったく飽きるということはありませんでした。海に入っているときはなにもかもがポジティブな思考になれた気がしました。
これはあとで調べたことですがPatagoniaというアメリカのアパレル?メーカーには社員にサーフィンをやることを勧めているほど。サーフィンが日常生活に与えることは大きいんだなと思います。
実はサーフィンは18歳から始めて23歳までの5年間のみでした。
理由はもちろんあります。なんといってもサーフィンをやっている最中に発作が起きてしまったことで集中治療室(ICU)に行ったことです。
じぶんのなかでは衝撃的な事件でした。
まぁ当たり前でテレビの前でしかみたことない世界が広がってました。記憶はほとんど消されてました。気づいたら病院でした。
救急搬送の時高いWet suitを脱がそうとして切ろうとした救急隊に対して仲間が絶対に切らないでくれと言ってくれたそうです。今でもそのWet suitは大事にとってあります。
入院生活も本当はICUには5日間かな2日間は意識は戻らずまぁ結構海水を飲んだりしてしまいましたし、発作は重責発作という発作が単発で終わるのではなく何回もでる発作でした。
3日目、目が覚めるといろんなチューブが自分にまかれていてバイオハザード状態の実験台みたいな感じでいたのをまだ覚えてます。
しかしそのあとすぐに主治医?に酸素チューブが苦しくて酸素マスクに変えてもらいました、それもサッカーが大きく関係してて肺活量がほかの人よりあり肺の水もばんばん抜けたので回復も早かったとのことでした。
サッカーをやっていていいこと尽くしでした。
もしここでサッカーをやっていなかったらとおもうとほんとゾッとしますね。
あとこの病院では臨死体験もしました、いままでお世話になった近所の方好きになった人、今の奥さん、もちろん一緒に来てくれたサーフィン仲間、いてくれたのは奥さんと家族だけでしたが半分夢なのかいろいろな人の声が聞こえました。
自分の名前を叫んでくれるんですよね。まるでなにかから引き戻すかのように。その時は全くわかりませんでした。お世話になった人は足も見えました。はっきりわかりました。でも体は見えませんでした。
不思議でしたね。
そんな不思議体験を経て2週間の入院生活は1週間で終了。回復力がよかったのとなによりいやなことは言わないという初志貫徹を貫きました。ほんと嫌なことだらけでした。
でもいやだいやだといっていてもなにも進まないなので建設的な方法を選びました。
もうここでサーフィンはやめようと思いました。母親にはたくさん泣かせてしまいましたし、兄にも大きな責任を負わせてしまいました。父親には大きな入院費を負担させてしまいました。自分のおかげで迷惑はもうかけれないと決心しサーフィンとの決別を決意したこの入院でした。
次回はサーフィンとの別れからサッカーへまたいくお話をしていきたいと思います。