【映画評】『リトル・ワンダーズ』
子どもが冒険する映画、大嫌いだ。
『スタンド・バイ・ミー』も『グーニーズ』も全然好きじゃない。
冒険映画に出てくる子どもは、いつも私をイラつかせる。
しかし『リトル・ワンダーズ』のワルガキ3人(+1人)組については例外になってしまった。
万引きして、街の置物を破壊して、恭しく親のご機嫌を取るその姿はワルガキを通り越してクソガキそのものなのだが、なぜかどうしようもなく可愛らしいのだ。
冒頭からワルガキどもは大暴れする。
ペイント銃で武装し、倉庫に侵入。警備員の目をくらまして、物品を略奪。
欲しいものは奪い取るという原則は、一切劇中で正されることはない。
なんともそれが素晴らしい。
卵を取り返したい理由も、病気の母親を慮っているのではなく、ゲームがやりたいだけ。
子どもの欲望と、それに伴う視野狭窄は物語を推進させる装置として十分だ。
そもそもだが、なぜ私が映画に出てくる子どもが嫌いかというと、ガキのくせに大人の理屈・大人の理想で動かされているから。
大人の顔色をうかがう子どもほど、気持ちの悪いものは無い。
だが今作のガキどもは、自分に忠実だ。
利他的な行動などしないはず。
しかしながら「病気の姫を助けるため、魔女と戦う3人の騎士」という古典的な英雄譚に落とし込まれている。
脚本が見事ととしか言いようがない。
なんにも考えてないガキなのに、なにか理があるように見えてしまう。
卵が欲しいだけならば、別のスーパーで万引きすればいいのに買いに行けばいいのに。
なんにも考えてないガキだから、腹が減ったらメシを喰うし、酒があったら飲んでみるし、音楽が鳴ったら楽しく踊ってしまう。
古典的英雄譚に当てはめるならば、クライマックスのバーは最後の試練となる。
怖がっているはずなのに、うっかり楽しくなってしまい、うっかり敵を倒してしまうのだ。
これでいい、これでいいんだ。
大人が理屈を立てなくても、理想の子ども像を押し付けなくても、真に無垢な心は、巨大な敵を倒すのだ。
魔女軍団(と見せかけたカルト宗教一家)は、3人の騎士によって倒された。
そして囚われの姫はいるべき場所へ行き、病気の姫は恢復した。
これ以上何を望むだろう。
そんな幸せな空気が、映画一杯に満ちていた。