鬱になりたいという病 植木理恵
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鬱になりたいという病
植木理恵
過去に鬱で通院した経験が3回ほどある。
最初に病院へ行ったときのことは、もうよく覚えていない。
誰かに相談したわけでもなく、自分で予約して受診した。その行動力が今となっては不思議に思えるほどだ。
『鬱になりたいという病』というタイトル、その気持ちがなんだか分かる気がする。
鬱であることが周囲に知られると、仮病扱いされたり、無能だと決めつけられたりして、社会的に追い詰められることがある。
そのため、心療内科への受診をためらい、誰にも相談できないまま1人で抱え込み、状況を悪化させてしまうことが多い。
自分の経験から、鬱の症状が見える人に出会ったときには、クリニックの受診を勧めるようにしている。最初は誰もが薬を飲むことに強い抵抗を感じる。それはまるで何かが終わってしまうような感覚で、心理的な壁が非常に高い。
しかし、実際に受診して診断名をもらうと、不思議と半分くらいは安心できる。「私は病気なんだ」と認識することで、自分を責める気持ちが少し和らぎ、安心して休むことができる。診断を受けることが、身体的にも精神的にも休息を得るための第一歩になるのだと感じる。
問題は「依存」だろう。
占いと同じで、他責思考な人が多用すれば、当然危険なことになる。
あくまで暫定措置としての対症療法にしておかないと、かえって来れなくなるんです。
あくまで経験上。
本書では、「〜すべき」という鬱を誘発しやすい思考パターンがあると言っていて、周りに当てはめてみると、まさにその通りでした。
総じて社会的なバイアスを受け流せない、いわゆる常識人はストレスがかかりやすい。
持っているものを手放して、自由に生きたところで、意外と何とかなるもんだと実感するような体験ができれば良いのにと思ってしまう。
鬱の危険性は静かに忍び寄っています。もしかしたらあなたももうすぐと言う状況かもしれません。
本書は、自分のそんな状況に、なんとなく気づかせてくれるきっかけとなり得るかもしれません。
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