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ショーペンハウアーの消極的な幸福論とは?

伊豆の山の中でセカンドライフを送っているペースケです。
何をトチ狂ったのか、図書館でショーペンハウアーの「孤独と人生」と言う翻訳本を借りました。

ショーペンハウアーは、19世紀のドイツの哲人と言われる厭世的な哲学者ですが、その代表作とも言われる本書は、あまり面白くありませんでした。
だから、ほとんど斜め読みですが、ひとつだけ私の琴線に触れた言葉がありました。

残念ながらショーペンハウアーの言葉ではなく、アリストテレスの言葉を引用した部分で、「理性的な者は満足ではなく苦痛のないことを追求する」と言うものです。ショーペンハウアーは、この言葉を「すべての生活の知恵の中で最高の法則である」と言っています。

つまり、全身健康な人が、身体のどこかに小さな傷や痛みを持っていたら、その人は、自分が健康である事を意識する事が出来ず、注意力は、その小さな傷や痛みに向けられ、すべての生命感覚の快適さは失われると。

要するに、幸福とは「満足を追い求めるのでは無く、苦痛の少ない暮らしを追求する事だ」と言うのです。

ショーペンハウアーという人は「いっさいの生は苦しみである」とみなした哲学者ですから、まぁ、とにかくネガティブな事ばかりしか言いません。
まぁ、芸術や思索に生きろとは言っていますけど、それ以外は他人との社交は避けろとか、孤独であれとか、愛や友情は幻であるとか、ちょっと精神を病んでいるんじゃないかと思うくらい厭世的です。

しかし、アリストテレスやショーペンハウアーの幸福論だけは、そうかもしれないなぁ・・・と妙に納得してしまいました。
というのも、たまたま最近、ある出来事があったのです。

今現在、私は山の中でストレスの少ない平和な暮らしを送っています。
ところが、先日、右足裏に違和感を覚え、触ると痛いので、もしや悪性の腫瘍なんじゃないかと不安に苛まれていました。

もう、それだけの事で、何もやる気がせず、気分が落ち込み、気分が塞いでいたのです。ところが、思い切って皮膚科を受診し、超音波検査を受けて、腫瘍では無い事がわかった途端に、気分が晴れました。

満足ではなく苦痛でないことを追求せよ」とは、まさに、こう言う事を言っているんだと思ったわけです。
何不自由なく気ままに暮らしていても、もし、癌や認知症などの病に罹患したら、もうそれだけで不幸に突き落とされてしまいます。
しかし、なんの楽しみも無い虚しい生活を送っていたとしても、苦痛となる事案が何も無ければ、それを幸せと考えるべきだと言う事です。

確かに、どんなにお金があっても、権力があっても、多くの人から慕われていても、何かひとつでも苦痛の種を抱えていれば、人は、その苦痛に囚われ、幸せを感じる事が出来ないかもしれません。

だから、人生における様々な欲望を追求するのでは無く、苦痛の少ない人生を歩むような生き方こそが、幸せな人生への近道・・・と言うわけです。

ただ、何か確固とした生き甲斐を持っていれば、少々の苦痛があっても、それはそれで幸せな人生なのでは無いかという気もしないではありませんが、難易度から言えば、そう言う確固たる生き甲斐を持つより、苦痛を避ける人生を選んだ方が、幸せになれる確率が高いと言う事でしょうか?

あまりポジティブな考え方では無いので、釈然としない部分はありますが、現実的と言えば言えるのかも知れません。

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