掌編小説|コーンポタージュ
はらはらと雪の降る寒い日に、わたしはひとりだった。
痛い。寒さと、身体中の殴られたり蹴られたりした痣とか、煙草を押し付けられた痕だったり、とにかく全部が痛かった。全部、実の父親がやったことだ。わたしが悪いんだろうな、と思う。でも限界だった。もうどこだっていい、ここではないどこかに行きたかった。できる限り、遠い場所へ。
いつでも逃げられるように、こっそりSuicaにお金を貯めていたけれど、 移動で使ってしまってほとんど残っていない。財布には、千円札が二枚と、わずかな小銭が入っていた。これからどうすればいいのだろう。行くあてがないし、 都会なんてなにもわからない。涙が出そうになって、思わず上を見上げた。ふと、 七階建てのビルの四階あたりに、インターネットカフェ、と書かれた派手な看板を見つけた。気づけば吸い込まれるようにそのビルに入っていた。
建物の中はあたたかくてほっとした。受付のお兄さんがわたしのことを見て少しびっくりして、それから、何時間ご利用されますか? と言った。二千円しかないんです、とわたしが言うと、それでしたらこちらですね、と料金表に指をさしながら教えてくれる。会計は後払いらしい。
個室の床に荷物を置く。そういえばドリンクバーがあるって言っていたっけ。行ってみようかな。
オレンジジュース。コーラ。烏龍茶。他にもたくさん。温かいのもある。わたしはしばらくなにも飲み食いしていなかったから、すべてが空っぽだった。ボタンが赤い、温かい飲み物の中でコーンポタージュを選んだ。 行儀が悪いけれど個室には戻らずに、ひとくち口に含んで舌でころころ転がす。
あたたかくて甘いけれど、味が薄い。わたしは少し笑ってしまった。それから、 なぜか涙が溢れてこぼれた。コーンポタージュの入ったカップを持ちながら、わんわん泣いてしまった。ドリンクバーの前で座り込んでしまったわたしのことを、誰も咎めてはくれなかった。本当は、叱って欲しかった。家を出てから誰ひとり、 わたしのことを見てくれる人なんていなかったのだ。誰か。誰か。
ねえ、だれか。
「あの、大丈夫ですか?」
急に男の人の声がして、わたしの身体はびく、と震える。見上げると、その人はわたしの目線に合わせようとしゃがんでくれた。優しそうな顔をしていて、くたびれた黒いスーツを着ている。手にはカップ。そうか、飲み物を取りに来たのか。どかないと。
「ああ、無理に動かなくていいですよ、ゆっくり……ね。はい、これ」
差し出されたのは、淡い水色のハンカチだった。
「ありがとう……ございます」
「えっと、学生さん?見た感じここら辺の子ではなさそうだけど……」
「 にげて、きたんです」
「えっ」
「ずっと、お父さんから暴力、されてて。無我夢中で、逃げてきたんです。ここ、どこかわからなくて」
「そっか、うーん……」
しばらくうーんうーん、と唸っていた彼がなんだか決まりが悪そうに喋り出す。
「……行くあてがないなら、うちに来ますか? あっ、いや……あの怪しいことをするつもりはないですし……たいしてなにもない所なんですけど……」
彼は困ったように頭を掻きながら、わたしの目を見つめて言った。はじめて、誰かと目が合った。
「行っても……いいですか」
コーンポタージュは、もう冷めていた。