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『ジェーン・エア』感想
図書館から借りて読了。買うことがなさそうな本だったので、図書館が身近にあって(徒歩5分くらい)、気軽に本を借りれる環境でありがたい。
去年末に引っ越し、図書館の近くに住んでいる。
図書館は二週間に一度以上のペースで通い続けヘビーユーズしている。
自分の好きな本を読む状況というのはある意味で不自由である。自分の興味の外にある世界を知れないのだから。だから、古典的名著を読んで自分の興味の外にある世界を知る。読書とは自分を変えることなのだから。
そのため、前から気にはなっていたが、買うまでには至らないジェーン・エアを借りて読んでみた。
話が逸れたが感想である。
まず読みやすい小説だった。(以前、ドストエフスキーの悪霊を断念した……。)
現代の小説と比べると圧倒的に心理描写とセリフが長い。特に自らの心情を分析して正しく言葉にしようという姿勢を感じた。最近の小説では事やストーリーにフォーカスしており、感情をここまで言語化しようとしているものは少ないように感じる。
ジェーンは決して美人ではない。教養を持ちズバズバと鋭い批評を行い、あまり可愛げのない人である。この可愛げのなさが叔父の後妻にいじられた要因の一つだと思った。素直な部分が少なかったんだと思う。後妻側にかなり問題があるのだが。
そしてロチェスターとの出会いである。
ロチェスターの第一印象は皮肉屋でやけに喋る男、だった。古典の人物はよく喋り、自己卑下的な皮肉屋がよく出てくるように感じる。とくにドストエフスキーの作品とか。
ジェーンは敬虔深く、真面目で、芯の強い性格であり、そのことでロチェスターを巡る悲劇を乗り越えハッピーエンドに繋げることができたんだと思う。
ロチェスターも自ら述べているが、妻がある状態でジェーンと結婚しようとした罪によって、神はジェーンという最愛の人を取り上げ、その後火災によって片腕と視力を失う羽目になった。自らの行いを深く反省したことで絶望の底から最愛のジェーンと結ばれるというハッピーエンドに流れ込む。
ロチェスターの妻というのがまたすごい設定だった。狂人である。遺伝的に狂人が出る家系の娘だそうだ。その親は狂人の遺伝というものを隠して、ロチェスターと娘を結ばせた。そこには若さの勢いがあったと思う。娘は最初は普通であったが、段々と精神が狂い始めだ。最終的には屋敷を放火したり、兄やロチェスターを刺し殺そうとしたりするほどの狂乱ぶりになり、常に屋敷の一室で監禁される始末。こんな人が妻でロチェスターもかなり可哀想な境遇ではある。
出会った頃はあまりお互いのことを知らず勢いで結婚してしまった二人だが、長い結婚生活の中で初めは見えていなかったお互いの面が表に出てしまい相手のことを疎ましく思うというのはよく聞く。
結婚を決めた時、相手の精神性をちゃんと見極めて夫婦の生活がを描けるか?そんなことを考えなかったために後の不幸につながったのだ。ジェーン・エアではそんな夫婦の結婚後のすれ違いというものを極端な設定で表現したものなのだろうかと感じた。
ロチェスターの妻も最初は美しい人だったが、精神が狂い始めてから、髪を振り乱し熊のように逞しい体躯になったとあった。ここからも容姿のみに惹かれる結婚は虚しいというメッセージを感じた。
読んだ時はそんなことは思わなかったが、改めて作品について思い返すと、ロチェスターのエピソードは現実の結婚後のすれ違いを極端に描いたものだと感じた。
確かに古典では極端な設定が多い。
それはあえて現実を五割り増しに表現することで、現実では裏に潜んでしまう感情の機敏を表に引き摺り出そうとしているのか?
そんな気づきを今回得れた。
今後、古典を読む時はどんな感情を引っ張り出そうとしているのかに注目して読んでいきたい。