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奇跡の1秒前!一本歯下駄で白山白川郷100kmウルトラマラソン完走!



2017年の9月9日。

私は霊峰白山の山頂で、日の出のご来光を眺めていた。

念願の白山登山だった。


これは山頂ではなく、黒ボコ岩です。



下山後の温泉宿の壁に、翌年の9月9日に開催される白山白川郷100kmウルトラマラソンのポスターが貼ってあった。

【一本歯下駄で出場せよ】

この言葉が、私の全身全霊に響き渡った。

啓示だと直感した。






当時、私は高齢者施設の運動指導員を勤めながら、個人的にもパーソナルトレーナーや整体師として活動していた。

年々増えて行く運動指導員としての仕事量は、

個人活動の展開を圧迫していた。

そんなタイミングで、

白山登山に同行してくれた白山麓の猟師さんに、白山麓に住まないかと誘われた。





私の個人活動は、遡る4月に達成した奥出雲100kmを一本歯下駄で完走した事を機に、

新たな流れが始まっていた。


「このまま高齢者施設に勤めていたら、運命の流れを止めてしまう事になる」

翌年の2018年5月、意を決して白山麓に住む猟師さんの家に移り住んだ。

猟師の先輩と共に、罠にかかったイノシシを引き取りに行き、

腹を捌き、内臓を引き出し、部位別にバラしながら、

人体解剖するように、内臓の構造を学んだ。

毎日毎日、ひたすらにイノシシの皮を向いた。



それはまるで、木彫りの仏像を掘り上げる作業のようだった。

分厚い脂と分厚い皮は、厳しい自然界を生き抜く鎧。

その固くて重い鎧を丁寧に丁寧に剥ぎながら、

本来の仏様の姿に戻して行く作業。

感謝を込めながら丁寧に剥ぎ、

夜は、感謝しながら内臓や肉を食べた。

東京生活で退化していた心と身体が、みるみると野性的に変化して行った





夏は、イベント会場でイノシシ肉のハンバーガーを売りながら、

お客さんに一本歯下駄を履いてもらった。

石川県では、小平 天の事など誰も知らない。

猪の皮剥きや猪肉バーガー販売の合間を縫って、地道に一本歯下駄の活動をし、少しずつ石川県内でのパーソナルトレーニングの顧客を増やして行った。






不安定な生活。

しかし、不安定だからこそ、自立へ向かって生きている実感。

人生の先行きは見えない(現実化していない)が、

私には、確固たる目的と目標、自分を信じる心、

そして何より、大いなる存在の導きが見えていた。

2017年末から始まった、十一面観音様のお導きだ。

⚫︎毎日毎日ふと時計を見ると11時11分

⚫︎イベントで行く先々の神社仏閣が、偶然にも十一面観音様に所縁が深いところ

⚫︎日光ウルトラマラソンに一本歯下駄で出場した時、いろは坂の坂番号11の地点に差し掛かった瞬間、ナンバー1111の車が4台通過

⚫︎十一面観音様を祀るお寺で、イベント参加者4人が1111のように横並びで一本歯下駄で直立している写真が偶然撮れた。

その写真を撮影した瞬間が偶然にもちょうど11時11分だった。

⚫︎私が住み込んだ先の白山麓の猟師さんは偶然にも十一面観音様を信仰しており、お店の屋号には11にまつわるイレブンという文字が入っていた。

⚫︎石川県に引っ越して一番最初のクライアントさんの車のナンバーは偶然にも1111で、誕生日が11月11日だった。

⚫︎石川県に引っ越す前に訪れた山形のお寺の僧侶に、「君を【泰】の文字のつく高名な山伏が導いているよ」と言われたのだが、

かつて白山を開山したのは「泰澄大師」という修験者で、その昔、泰澄さんを白山に導いたのは十一面観音様だった。

⚫︎白山から東京に一時帰郷したら、地元の二子玉川の駅が開駅111年で、駅から乗った車両番号が、1111だった。

⚫︎東京への一時帰郷から石川県に戻った日に、内灘の海岸に行ったら、ナンバー1111の車が4台横並びに並んでいた。

⚫︎私が石川県に移住した2018年は、北陸でお馴染みの天狗ミートの会社設立111年目だった。






2018年8月、突如として白山麓の猟師さんの家を出ることになり、行き先の無くなった私は、猟師さんの奥さんに白山の温泉旅館を紹介して頂き、そこで仲居として働きながら住み込む事になった。

その旅館のある一里野高原は、かつて泰澄大師が開山した白山へ通ずる加賀禅定道の起点となる聖域の地であり、旅館の裏には泰澄大師の像が鎮座していた。

何というお導きとご縁であろうか。


私は毎日温泉に浸かりながら、9月9日の白山白川郷100kmウルトラマラソンの本番に向けて、心身を調整して行った。







本番の前日。

コースとなる白山ホワイトロード付近では数日前から大雨が続き、

大雨警報と土砂災害注意報が発令されていた。

大会前日の夜はコースの一部が通行止めとなり、

本番の朝までに警報が解除されなければ、大会は中止となりそうだった。

啓示を受けて白山に呼ばれ、

意を決して東京での仕事を全て引き上げ、

裸一貫で白山麓に移り住み、

9月9日に白山の神々との約束を果たす為に、この一年を過ごして来た。

それなのに、中止だと!?

私の運命の道は、ココで途絶えてしまうのか?

私は腐りかけていた。

奇跡が起きて大会が開催されるように祈る事もせず、

モチベーションを失い、不貞腐れていた。

人間の力が及ばない自然界の営みに翻弄されている私は、

翻弄されているだけの存在なのか。

人間は、偉大なる力に翻弄されるだけの存在なのか。





いや。

天と地という自然界の営みと、

自然界の営みの産物である、人間。

大自然と人間の営みがシンクロした結果、

今私は、石川県白山麓で本番前日の夜を迎えているのだ。

結果がどうあれ、

今ここにいる奇跡だけを強く感じながら、静かに眠りに着いた。











目覚ましのアラームが鳴る前に、ふと目が覚めた。

時間を確認すると、午前1時11分。

この一年、どれだけ1111の数字を見てきたか。

まさか。。

慌てて窓の外を見ると、星が瞬いている。

大会運営のホームページを確認すると、

「大会決行」の文字が。









スタート会場には、

石川県で知り合った仲間達が見送りに来てくれていた!!!

石川県のランナー仲間もエントリーしていた!!

仲間に見送られるのも、

仲間と共にスタートするのも、

初めてだった。







スタート後、

白川郷の合掌造りの町並みを抜け、

白山白川郷ホワイトロードの標高最高到達地点までの約20kmの距離を一気に駆け上がった!

このコースは、20km地点まで駆け上がり、
40km地点の一里野高原まで一気に掛け下った後、

100km地点まで緩やかに下って行くコース。



奥出雲100km大会は制限時間が16時間だったが、

白山白川郷100kmは、制限時間は14時間。

一般の100kmウルトラマラソンは、白山白川郷に限らず14時間制限が一般的なのだ。

私の走力で制限時間内クリアするには、一気に駆け上がり、ゴールまで一気に駆け下るこのコースしか無理だろう。

体力のある序盤で登り切り、

あとは下りの慣性の力で進んで行くしかない。







45kmを越えたあたりからだろうか、

激しい雨が打ち付けて来た。

容赦ない浄化の雨は、私のモチベーションごと洗い流して行く。

こりゃ無理かもしれない。。。



白山比咩神社を超えて、

66.6km地点の獅子吼高原のエイドステーションまでは、足首を何度も捻りかけて、ようやく到着した。

そんな時、エイドステーションで待っていてくれた仲間が励ましてくれた。

仲間が、風前の灯火を煽ってくれ、私は再び輝き出した!









ここから、

長い長い平坦のロードが100kmのゴール地点まで続くのだ。

大雨と強風の吹き荒れる中、85kmのエイドステーションまで無我夢中で走っていた私の記憶は、全くない。

ここでも、仲間が待っていてくれた。

私は腰を下ろし、ようやく補給食を貪った。

実はここまで、水以外の補給食を全く食べなかった。

ポケットに携帯していたヘンプシードオイルを原液のまま飲みながら、85kmまで走って来た。

この数ヶ月、ジビエを主食として、甘いものや糖質を控えていた私は、

今大会では脂質代謝のみで走り、甘いものは最後の最後の起爆剤として摂取する作戦だった。

砂糖の入ったチョコを貪った私は、ドカンと身体が蘇り、筋肉にもチカラが漲った!

あと15km、時間も余裕がある!

重い腰を上げて、ゴールへ向けて走り出した!!







ここからが本当の勝負だった。

海岸沿いの歩道のコースには、

砂浜の砂が深く積もり、

さらに大雨の影響で水を吸い上げて泥のようになり、

砂の上には大きな水溜りが形成されていた。

下駄の歯が砂に埋まり、

重い砂に足を取られそうになる。

まさに、全力を振り絞って走った。

生まれてこのかた、こんなに歯を食いしばりながら全力を出した事などない。

全力を振り絞り、

そして、水面を走るかのように、

体重がかかって砂に下駄歯が埋もれる前に、

素早く足を抜き捌いて行く。








残り10km。

ゴールを確信した後続のランナーが笑顔で抜いて行く。

街中では、狭い歩道を走らなければならない。

縁石や割れた歩道のタイルを避けながら、赤信号では一つ一つ確実に止まらなければならない。

私の状態は、満身創痍なんて言葉じゃ言い表せない程に、抜け殻と化していた。

走れども走れども、一向に進んでいる気がしない。

真っ直ぐ走っているつもりでも、右に左によろけながら走っているのだけはわかっていた。







残り5km。

制限時間的に、かなり厳しいのがわかる。

集中力を切らし、一歩でも止まったら、もう走り出す事は出来そうにない。

後続のランナーに追い抜きざまに話しかけられ、何やら色々と質問されるも、

「ごめん!今は何も答えられない!」

「先に行って!!」と、

うっちゃる。

遠くから、ゴール会場のマイクアナウンスの声が聞こえてくるも、会場はまだ見えない。

喜びと焦りが入り交じる。

「一分前!!」のマイクコールが聞こえる。

なのに、私はまだ会場の外にいる。

泣きそうになる。

目の前の信号が、赤になろうと点滅している。

この信号で止まれば、制限時間に間に合わないかもしれない。

道を渡る直前、目の前で赤に変わってしまった!!

コース案内係の人に、

「お願い!赤だけど行かせて!!!」と半泣きで叫び、

通り抜けようとする。

案内係は、イケイケ!とジェスチャーをして、

青信号で進もうとする車を止めて、私を進ませてくれた!!







ゴール会場付近に着くも、真っ暗で会場の入り口がわからない。

何でこんなに暗いんだよ!

足が止まりかけたその時!!

「天ちゃーん!!」

奇跡的に入り口で待っていた仲間が叫んでくれた!

「どこ!どっち!わからない!!」

もう、右も左もわからない。

「30秒前!」のアナウンス。

「こっちこっち!!!」

仲間が誘導してくれ、声のする方へ走り、

なんとかゴール会場へ!!

「10秒前!」

あぁぁぁぁあぁぁぁ

ゴールが、ゴールテープが、、

見えた!!

4.

3.

2.

1

.

.

.


.
.
.
.
.

気づくと、真上を見上げていた。

いろんな手が、僕の全身を擦っていた。

「天ちゃん!」

「天ちゃん!」

たくさんの声が聞こえた。

「なんと、最後に下駄の鼻緒が切れました!!」とマイクの声が聞こえて、

ハッと我に返った。

ゴールと同時に倒れ込んだのを思い出し、

怪我をしてないか心配になり、

足を確認した。







14時間制限時間の、白山白川郷100kmウルトラマラソン。

13時間59分59秒。

一本歯下駄を履いて、

1秒前での奇跡のゴール。








あの時、スタートに仲間がいなかったら。

あの時、エイドステーションに仲間がいなかったら。

あの時、あの信号を渡らなかったら。

あの時、会場の入り口に仲間がいなかったら。

途中で、下駄の鼻緒が切れていたら。






今 ココにいる事の 奇跡。





奥出雲ウルトラマラソンに次いで、

白山白川郷ウルトラマラソンにて、

前人未到

一本歯下駄での、

100kmウルトラマラソン2度目の完走となった。

今回使用した一本歯下駄含め、

市販で販売されている一本歯下駄は、当然、ランニング用に開発されたわけではない。

数々の一本歯下駄ランニングの経験則を踏まえ、

私は一年前から、

スポーツ用の一本歯下駄
「ippon blade369 」 の開発に着手していた。

私の経験値とアイデアをカタチにしてくれる、ランナーであり木工職人のモクエン・ワカクリ氏との運命的な出会いにより、

実現に向けて開発がスタートした。

数回の打ち合わせで、2人の経験とアイデアが見事な化学反応を起こし、

白山白川郷ウルトラマラソンの完走後、

素晴らしい一本歯下駄が完成した。

一本歯下駄でエクササイズやスポーツする事をippon bladeと称し、

活動を本格的に始動した。

ippon blade 369を販売するに先駆けて、

白山白川郷100kmウルトラマラソンの完走は、

私のランナー人生にとっての、最高潮の大一番だった。

先駆者として結果を出さずして、指導も販売も出来ないからだ。





2018年11月11日、東京神田にて、

次世代型 一本歯下駄
「ippon blade 369」

体験販売会&完成披露パーティー。

大盛況だった。



会場となった場所の目の前は、偶然にも内神田1-11だった。

会場の野菜居酒屋玄氣さんの前は、内神田1-11だった。


その後私は、東京に帰郷したが、石川県金沢に出張しながら販売会や練習会を開催し、

2019年5月12日、

ついにippon blade369を履いたリレーチーム
「TEAM ippon blade」で、金沢城リレーマラソン出場を果たした。

初めて石川県のメンバーでチームを結成。
その後も毎年のように出場している。

翌年に金沢城リレーマラソン出場した時のゼッケンは、偶然にも1111だった。

ゼッケン1111








一本歯下駄で数々のマラソン大会に出場し、

前人未到の一本歯下駄での100kmマラソン完走を2回達成。

達成するまでの苦しみは、

ippon bladeを生み出すまでの苦しみであり、

生みの苦しみは、

ippon bladeが生まれて来た喜びに変わった。

そして、

自分を喜ばす為に開発したippon bladeは、

履いた人の喜びに変わって行った。

自分がippon bladeで達成する事よりも、

ippon bladeを履いた人が喜んでくれる事が嬉しいし、

履いた人に、上手に乗りこなせるようになる喜びを味わってもらいたい。

私が100kmを完走する理由と、完走したいという情熱はなくなって行った。

・   





2019年、6月9日。

私は高野山にいました。

第3回 高野山龍神ウルトラマラソンに出場する為でした。

ランナーとしての情熱なき今、

私は大会中、何を思ったのでしょうか。







睡眠、体調、精神状態、天候、

全てがベストコンディションで高野山での本番に望み、

本番中のランニングの調子、

出場者とのコミュニケーション、

そして、リタイアのタイミングまで。

全てがベストバランスでした。





「今が常にベスト」。

私は、

走る前から既にベストなのに、

今、

なぜに頑張ってゴールを目指すのか。

苦しい想いをしてゴールした先に、 

さらなるベストがあるのか、

さらなるベストな自分が待っているのか、

さらなるベストな人生が待っているのか。

走る理由は何なのか。

そんな事を思いながら、高野山を走っていました。







そもそも、今の私にとってのベストとは、

「丁度よくバランスがとれている状態」の事。

ベストで望んだ高野山龍神ウルトラマラソン、

一本歯下駄でどこまで走れるかわからないが、

このまま走り続ければ、

ダメージと疲労が蓄積されるのはわかっている。

わかっていて、

なぜ、

何の為に

誰の為に走るのか。





人は、

自分がベストではないと感じているからこそ、

苦しみ、努力し、

ベストを目指して自分の弱さを克服しようとするのであれば、

私は、

一本歯下駄ランニングというジャンルにおいては、

奥出雲ウルトラマラソン完走と、

白山白川郷ウルトラマラソン完走で、

努力で得られる成果は、得られました。

達成の自己肯定感と、揺るぎない自信、

そして、

ippon bladeと、その活動。






私はもう、

頑張った自分を褒められたいのでもないし、

頑張った自分を認めたいのでもない。





私は、

一本歯下駄による大会出場を、

スッパリ辞めれる境地に至る為に、

走っていた。





白山白川郷100kmウルトラマラソンを一本歯下駄で制限時間1秒前に完走したのが、

一本歯下駄ランニングのパフォーマンスとしては、最高潮だったろう。

速さや距離では測れない、あの神がかったパフォーマンスを超えるには、、

いや。

何の為に超えるのか。

誰の為に超えるのか。

何の為に努力するのか。





もう、疑問にすら思わない。

このまま走るも、今やめるも、

迷いもしない、悩みもない。

どこまで走るかも、考えない。







完走してしまったら、達成に伴う喜びの念に依存してしまうかも知れない。

完走出来なかったら、未達成に伴う後悔の念に執着して、またチャレンジしてしまうかも知れない。

念を残さずに、スッパリとランナーを辞めるには、

完走出来るか出来ないか、

わからない丁度いいところで、

走る事を辞めてしまう事だ。





「あ、ここの景色、

この眺めが最高だな! 

ここがベストだ。

このエイドステーションで、

今日の高野山龍神ウルトラマラソンを、

いや、

我が一本歯下駄100kmランニングの、

ゴールにしよう。」







禅とは。

ひとつの相にこだわらない無相。

一処にとどまらない無住。

ひとつの思いにかたよらない無念の心境を禅定という。

かくして、

ランニングを始めて6年に及ぶ禅問答と、

一本歯下駄で走り始めて4年に及ぶ禅定道は、

高野山で、私なりの禅の境地にゴール(達観)したのです。

・ 







最初にランニングが嫌いという理由があったからこそ、

裸足やワラーチや一本歯下駄で走る喜びを知る事ができ、

苦しいランニングが嫌いな私だったからこそ、

楽に上手に走るようになる事ができ、

その努力の成果として、

オリジナル一本歯下駄
「ippon blade 369」を開発する事が出来ました。

私はこの先、一本歯下駄で100kmマラソンを完走する事はありませんが、

後進の世代が記録を更新してくれるだろうし、

私はこれからも開発者&指導者として、

さらなる身体研究開発や、練習会は続けて行きます。



・ 

私の才能は、未知数です。

ランニングを、

自分のアイデンティティを語るツールにはしたくない。

しがみつきたくない。

それが、ずっと前からの思いです。

今後も、自身の身体開発やクライアントの身体開発を続けるなかで、

これから私は、どんな事に夢中になるのか。





一本歯下駄でマラソン大会を走る人は私以前にたくさんいましたが、

ジャンルとして確立していないカオス化していたこの業界で、

私が一本歯下駄でランニングを始めて4年で、

技術開発と提供、
ランナー育成、
前人未到の記録達成、
職人と後継ぎの発掘、
商品開発、
ブランドの確立

までをやれたこと。

一本歯下駄で走り始めてたった4年、けど本当にたくさん走って来た。



私が走るのは、終わったんだな。






人の期待に応える為に、
自分の期待に応える為に

人に夢を見せ続ける為に、
自分に夢を見せ続ける為に、

ベストな辞め時を失い、

命を落とした登山家もいた。

ベストは、最高潮の事ではない。

ベストとは、「丁度のいいところ」。

引き潮ではなく、上げ潮でもなく、

失敗したタイミング、成功したタイミングではなく、

凪の時。

それが、引き際。

丁度の良さは、他人が決める事ではなく、

心と身体の釣り合いが決める。

心を犠牲にする事なく、

身体を犠牲にする事なく、

一切の念を残さずに、

役を手放し、次なるステージへ。

白山白川郷 100kmウルトラマラソン編









ここまでが、当時に投稿した文章です。

その後の私の人生は、海外進出、妻との出会いと結婚など、劇的なストーリーへと展開して行きます。

そして、まだまだ走ってるんです!

次回投稿は、番外編 ippon bladeの開発アイデアとなった2017年日光ウルトラマラソンでカラス天狗に出会った話です!

ご期待してくださる方は、フォローといいねをよろしくお願い致します!

ippon blade 代表 小平 天

ippon blade販売・運営
(株)TENARI
090-3565-0369
info@tenari.co.jp

ippon bladeに関する全ての情報はこちら👇

ippon blade公式リンク集
https://linkfly.to/51215aalBZm

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