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いろいろちがう
「イノベーション」という意味で停滞している日本の経済に、人材の育成から取り組んでいこうとしているのが、『東京大学 松尾豊教授』だそうだ。
一人一人の可能性を引き出そうとする東京大学の挑戦の様子を取り上げたNHKスペシャルを見た。
とても興味深く、社会全体の今とこれからのために尽力されている方々に、素直に「すごいなぁ」と思ったし、
頭が良くて能力が高ければそれを活かしていくらでもお金儲けできるだろうに、社会の困っている人達のためにシステム作りに奔走している人達がいるなんて、偉いなぁ、と我ながら小学生レベルな視点で感心していた。
まあ、私と東大のお話では、そんな距離感になってしまう。
ところが、番組も中盤も過ぎた頃だった。
「それそれ、そーよね。」と私のテリトリーに急接近の流れが来た。
松尾教授は、イノベーション人材の原石発掘に、元ヤンキーという若者たちにも、話を聞きに行く。
一般社団法人の『ヤンキーインターン』という取り組みがあり、中卒や高卒の若者達に営業やプログラミングを学ぶ機会を提供しているという。
松尾教授は、そこの卒業生の一人の若者をご自身の研究室へと誘った。
その若者は、途中で行かなくなってしまった中学校生活をこのように語った。
「学校で学ぶものがなんの役に立つか全然想像できなかったんで、これの勉強する意味はなんだろうみたいなのをずっと考えていて。当時の自分にはそれが見出せなかったので、おそらくでしょうけど大した人生は歩まないんだろうなみたいなふうには思われていたかもしれないですよね。」
彼は、『ヤンキーインターン』でプログラミングを学ぶと、エンジニアの職に就き、分からないことを学ぶ楽しさで、日々スキルを磨き続けているという。
松尾教授曰く
「そういう実行力がある人が強いよねっていうのが、まず起こってほしい。枠にこだわらないといろんなところからいろんな人が集まってきて、それぞれ性格も能力も違いますから、それがまた刺激しあってということですよね。」
力強いお言葉だ。
私みたいに地域の寺子屋のような学習塾で、日々いろんな子達と格闘しながら、「みんな個性、それでいいんだよ。」ってしみじみ言っているのとはわけが違う。
大きな河が流れを変えて来ているようだ。
中卒という彼が、はじめて足を踏み入れた大学が東大だった。「まだいろいろ勉強するのも、行動するのも遅くないんだぞみたいな、自分と似たような人もいろんな選択肢を選べるようになってほしい。」と締めてくれた。
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「十年一昔」という。
10年は個人単位でも、一区切りだなと痛感する。
この青年は、現在25歳。
ヤンチャをしていたという頃からちょうど10年なのではないか。
占い師の立場から語らせて貰えば
東洋の運命学では、10年の節目を大運という。
人生の季節が10年ごとに巡って変化するような感じで捉える。
特に10年の区切りの年には、人生の上でも変化が起こりやすい。
この10年運の区切りは人それぞれ異なり、生まれた時が春夏秋冬のどんな季節から始まるのかも人それぞれ違う。全て生年月日から算出する。
彼のように、小学生、中学生の頃からは想像がつかない大化けする若者を、卒塾生の中に何人も見る。
10代の10年運が、冬のような、辛抱だったり、芽が土の下に眠っている運気だったりする可能性がある。20代になって凍っていた土が解け出すような運気に入っていけば、グングン芽が出て伸び始める。
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先日知り合いの方が「娘がやっとアルバイトに少し行けるようになったの。」と安堵した感じで話してくれた。
この方のお嬢さんは現在24歳で、中学生の時から引きこもりが始まってしまい、これと言った理由もなく学校に通えなかった。
親御さんの気持ちを察すると将来が心配だろうなと思っていたので、自分のことのように嬉しかった。
今更ながら、このお嬢さんの生年月日を見てみると、まさに引きこもってしまった年に、10年運が冬の季節に変わっていた。そして昨年2024年にまた次の10年運に変わっていた。
更にここからの彼女は、きっとバリバリ働くキャリアウーマンで金運もついてくるな、と読むことができた。40歳の頃には引きこもっていたことが嘘のようになるだろう。
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東洋哲学易経に、『時中』という言葉がある。
春に種を蒔くように、今という時の兆しを察して、その時々に相応しい行動をするということ。
大好きな言葉だ。
何かに辛さを感じたり、無力感に苛まれても、きっと私にとって、今はそのタイミングではないんだと、肩の力を抜くことをこの言葉から学んだ。
人はそれぞれ、いろいろちがう。
ただ、時は幸せを運んでくれるものではない。
幸せは待っていれば棚から落ちてくるというわけではない。
幸せを他者から与えられるものとすれば、それは人生の季節とは関係ない。
人生の季節は、私たちが実りのある努力をするための適切な時を教えてくれているもの。
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何歳からであろうと、自分の春に種を蒔いて、自分の夏にしっかり世話をして、自分の秋に収穫して、その収穫物でみんなに喜びを分け合えたら、私はとても幸せだ。