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絶対領域?

 皆さん田舎道をはしっていて後ろをくっついてくる車がいることに気が付いているだろうか?その人らは、暇以外のなにものでもないだろう。この話は有名人のブログの炎上の話にもつながってゆくし田舎の過疎化にもつながる話だ。というかどんな話でも全て話はつながっているのだが。第一に人の行動に過剰反応を示すのはいかがなものだろうか?残念ながら今のこのご時世は、言論の自由が憲法で保障されている。誰が何を言おうとも、そんなこと自由だ。大原先生(森田療法家)がよくおっしゃっていたが、お前らは若いやつはな自由と自分勝手をはきちがえるんだぞ!と怒られいたことを思い出した。その通りだと今は思う。自由とはある程度の他人のことを考えたうえでの自由という意味だ。そこが皆、わかっているようで実はわかっていない。

 なんでそんないちいち人がただの通っただけのをこのご時世にアナログで監視しにくるのだろうか?暇なんだね。あなただけが人生に割り振られた時間が長いというのか?それとも人を監視することが仕事なのか?それならば、仕方がないか。そんなもの、常時監視の装置を配備するか(地方によっては監視装置に補助金までくれるところもある)それかテルースを使えばいいのに、その情報すらないのだろうな・・・。だから、情報がないからそもそも人の行動の後に反応するわけなのだな。

 私にはそんな人の行動の監視に時間を割いているのは無為だとしか思えない。そんな時間があったら、好きな趣味の本を読んだり山や緑や自然についての本を読んでもっと突き詰めようと研究する。人の研究などしたって仕方がないと思う。なぜ建設的に考えようと思わないのだろうね?そういう人間もいるってことか。基本子供の時のまま頭の中身が止まってしまっているのかね?そんな人の話はどうでもいいか。

 そういう人間はどこにでもいるが、精神関連では「粘着気質」といって人の病気の人の気質の問題にまでなってしまうから困ったものだ。しかし、そのしつこさだって、悪い面ばかりではない。しつこさがなければ、あきらめてばかりの人間になってしまう可能性だってあるだろう。しつこさがなければ、何度も何度も起き上がって自分の納得するまでやり抜くことができない。それまたしかし、他人のことにそこまで関心を持つことは、ナンセンスだ。そんな考えは独りよがりだよ?という人がいるかもしれないが、それは、私個人の頭の中の問題なので、他人の評価など最初からどうでもいい・・・。だから、ほおっておいてほしい。わざわざ、あなたの人生の貴重な時間を割いて、わざわざ関わってくれなくていい。自分の人生の時間を、自分のために使って何が悪いのだろうか?これは、私に割り振られた時間だ。

 決めつけてはいけないとは思うが、炎上とかそういうゴシップに過剰反応している人間たちは本当の意味での人間ではない気がするほんとに大きな病気をしたことがないか、大きな怪我をして自分の限られた時間や命の尊さを、命というものやその個人に与えられた役目や貴重な時間があるという本質があるということがわかっていない方々なのか?と感じとれる。私も死に向かっていったことがある。その時は迫りくる死という物事の時間を止めてしまう絶対的なその存在は、避けることができない。お金をたくさん持っていられたとしても、取引には応じてはくれないし。問答無用で容赦なくその瞬間はただただ寡黙に迫ってくる。それを身をもって体験したことのない人は理解できない領域だと私個人は思う。しかし、私の場合は交通事故だったので、シートベルトやシートがそれなりのものに変えてあったために命までは獲っていかれることは今回はなかった。しかし、車ごと落ちてゆくその瞬間的な時間の流れの中にいたとき、私の中で何だかははっきりとはわからないが、固定観念だろうか?固定概念だろうか?が、はじけ飛んだ気がした。例えば、自分の人生の時間がもう残り少なかったとわかったとして、そんな他人ごとに時間を使っていられる人間が一体何人いるだろうか?

 よく考えてほしい。あなたの時間はあなたにしか存在しない。それに気が付いたときはだいたいが遅い。もしも運よくあなたが人よりも早くそのことに、気が付いたのであれば、その使い方を自分よく考えなくては勿体なくて仕方がない。もっともっと建設的に生きたい。私はただただ、そう思った。それからというもの、目に映るもの、耳に入ってくる音、味覚に訴えかけてくるもの、全てがなにかこう、大きなメッセージを発信しているようで、私はもっともっと自然を研究してみたくて仕方がなくなった。春には何がどういう風に生え、どういう風に生まれて、死に向かって歩いてゆくのか?冬には何が春を迎えるために人影でこつこつと努力をしてエネルギーを蓄えているのか?そんなNHKスペシャルのような課題が詰まったことの中では、個人の存在など、そもそもどうでもいいことではないのか?大きな流れとして考えてみたら、うーん、難しくて、まだまだ、今の私には言葉がみつかりそうにない。

 あなた方に嫌われようとも私はそんなことはどちらでもいい。私は私の道をただ納得するまで、歩き続けるだけだから。なぜなら、それは私の領域だからだ。だから、次の休みの朝も、私は大好きな自然の中を、緑に囲まれた山の中をただただ走って日の光に手を合わせながら、そのみつからない私なりの言葉を探していることだろう。

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