私設「つぶやき」
「Joker」に、
憧れていたから。
最近おきた事件ですが、
「京王線」という電車の中で
1人の男性が、
乗客の男性をナイフで刺し、
「車両」に火をつけました。
「死刑になりたいから。」
という「理由」だけです。
この、「無差別殺傷事件」は
残念ながら、
増えてきましたね。
お怪我をされたお客様の、
一日も早い全快を
こころより、お祈りいたします。
以前にも、
「小田急線」で、
同じような事件があり、
「今回の事件の犯人」は、
「その事件を参考にした。」
といいます。
「小田急線」の犯人の
「動機」は、
「勝ち組に見えた女性を狙った。」
僕は、
「元バスの運転手」として、
「交通運輸各社」に起きる出来事。
ましてや、
「偶然乗り合わせたお客さん」が、
「犠牲者となる」ということは、
「憤り」を通り越して、
「航空」「電車」「バス」「タクシー」
「運転手」の
「名のつくもの全員」で、
「ボッコボコ」にしてやりたいですね。
「暴力」はいけませんが。
(言ってからか。)(笑)
「電車」に「火」をつけるとは、
僕も、
「電車の車両をつくっている会社」に
入ったことがあるんですが、
ひろーい工場の敷地に、
「何百人もの社員さん」がいらっしゃって、
「一丸となって」
「車両」をつくっているんですね。
「何人もの願い」は、
「安全」なんです。
「一車両」は「数千万円」するでしょう。
それを
「運転」するのは、
「運転手」です。
「全神経」をすり減らしながら、
「安全」に「安心」に、
「お客さん」を目的地まで、
お送りするんですね。
「車両」に対しても、
「愛着」というものが、
湧いてくるんです。
「全員」
「誇り」を持って仕事をしているんですね。
「会社」や「友人」の
「人間関係」が
「うまくいかなかったから。」
「死ねないので、死刑になりたかった。」
「Joker」は、「平気」で
「人を殺す」ので、「憧れた。」
「残念ながら」
「こういう人」は、
どんどん増えてくると思います。
「自分」が、
「どこにも存在していない」んですね。
「自分勝手な犯行」でありながら、
「自分」がないんです。
その、「自分」を
「恐れ」に
「明け渡している」んですね。
「会社」が受け入れてくれないから。
「他者」が受け入れてくれないから。
「社会」が受け入れてくれないから。
「アンタ」なんか知らんわ!
これを読んでいる人も、
「全員」思うとおもいます。
よく、「最近の映画」でも、
「Joker」もそうですが、
「恐れ」に
「自分」を乗っ取られて、
「コントロール」ができない。
と、いうのは、
「映画」や「物語」の世界だけではないのが、
よくわかります。
「誰でも」
「憤り」(いきどおり)を感じることと、
思います。
僕が、
「もひとつ輪をかけて腹立たしい」のは、
これは、
「個人的な意見」です。
この「犯人」が、
「他人を殺すこと」も
「自分が死ぬこと」も
「覚悟していないこと」なんです。
「事件を大きくすること」や
「自殺」をすすめている訳ではありません。
大変「誤解を招く言葉」ですが、
おそらくそうなのではないかな?
と、思います。
「覚悟」していようが、
してなかろうが、
「他者」の「迷惑」や、「ご苦労」には、
変わりありません。
「Joker」だの、
「勝ち組」だの、
「負けていることの世界」に
「自ら」進み、選んでいるのに、
「安心して、電車に乗る」という、
「あたりまえ」であり、
その
「あたりまえ」にたどりつくための、
どれだけの
「お客さん」と
「仕事をしている人」の
「信頼関係」が、
どれだけの
「膨大な想い」が、
積み上げられているか。
「一瞬」で、
「壊れてしまう」んですね。
「誰だって」
「感情」というものがあり、
それに左右されて、
「人間のこころ」は
「決定」します。
「感情」は「感情」
「エネルギー」は「エネルギー」です。
「見えないことの不安」から、
「自身のエネルギーの枯渇」から、
苦しみもがき、
目に見える
「他者のリアクション(反応)」が、
「エネルギー」だ。と、
「勘違い」してるんですね。
「満たされる」訳がないんですよ。
いつまでも。
「Joker」という言葉で、
思ったんですが、
「浄化」なんですね。
「ふざけたおっさんのシャレ」
「不謹慎」
「結構」でございます。
「この世の全て」は
「循環」していて、
「その浄化作用」でしかないのです。
「憤り」を「世間さま」に
「大発表」しても、
「この世の中の形成」は、
我々ひとりひとりに責任があると
思うんです。
「Joker」になる前に
「手」を伸ばさなかった
「本人」が悪ければ、
「Joker」になるまでに
「手」を差し伸べなかった
「周り」も悪いんです。
「当事者だけの問題」と、言いながら、
「問題が表面化していないだけ」で
「Jokerと同じような人」は
たくさんいらっしゃいます。
「他者が俺をJokerにした。」
「Jokerにならざるをえなかった。」
「誰ひとりとして、例外なく」
「鬼の因子」や
「Jokerの因子」はあるんです。
「誰ひとりとして、例外なく」
この「社会」をつくっているのです。
もちろん、
「自分」が満たされていなければ、
「他者」に「手」なんて
のばすことは、できません。
だから、
この「コロナのご時世」で、
「自分を知ろう」
「自分軸でいこう」とみんな、
「必死になって」言っているんです。
残念ながら、
「一から十まで」
「他人」が、
「変わることのお手伝い」は
できません。
「自分を生きていく」のに、
「他人はどうこうできません。」
「自分の気づき」がなければ
「変われません。」
「手」を伸ばせば、
「行動」をすれば、
「人に聞いたら」
「アドバイス」はしてくれますよ。
「アドバイスを信用しない」のも
「ご自分の選択」です。
「一日」で、「劇的」に変われないほどの、
「カルマがあるから」です。
その、「手を伸ばす」という、
「大宇宙がひっくり返るくらいの奇跡」を
「目に見えない」だけの理由で、
「信じない」ことも
「ご自分の選択」なんです。
「おいしい思いをする人」が
「勝ち組」
という考え方は
「負け組」の考え方です。
「おいしい」「まずい」
「勝ち」「負け」の言葉が出る時点で
「他人軸」なのわかりますよね?
あえて
「勝ち組」の言葉をつかうなら、
「ご自分で、辛いことも、苦しいことも
正しい気持ちで乗り越えてきた人」が、
「勝ち組に見えるだけ」です。
「勝ったら」いいじゃないですか。
「勝つのを止めている」のは、
「社会」でも「他者」でもなく、
「自分」なんです。
最近、おかげさまで、
「仕事」が
「アホ程」忙しくて、(笑)
「note」書く暇がなくって。(笑)
「何日」もたたないうちに、
「電車内」では、ありませんが、
「似たような事件」がありました。
「火がついた」
「誰かが、怪我した、亡くなったの事件」に
「目がいきがち」なのですが、
「子供達を守るマトモな大人」は、
ちゃんと「いらっしゃいます!!」
守っていただいた方々は、
「大賞賛」に値します!!
我々は、こういった「ビデオ」を
見せられているんですね。
( ビデオ?)(笑)
「ドラマ」です。(笑)
「マトモな大人」
「優しい人」
「変われる人」
「恐れる人」
「他人次第の人」
そして、
「Joker」
「どの世界のドラマ」を選ぶのも
「どの役」を演じるのも、
「自分次第」なんです!