「信じる」
ども!
天道 馬七です!!
「人」の「言葉」と書いて、
「信」なんですね!(笑)
「自信」や「信用」なんて言いますね!
だって、「伝える」って、
「言葉」しかないですもんね?(笑)
その「言葉」が、
「あやふや」で「いいかげん」なもの
だから、
「信」が「崩れる」んですよね。
「HSPさん」や、「コミュ障さん」
なんてことば、
おっちゃん若い時には、
無かったんですけどね?(笑)
「ふむふむー、どれどれー。」と、
いろんな、「HSPさん」や
「コミュ障さん」の
「noterさん」の「言葉」を
読んでいますと、
「生きづらさ」や
「人との合わせづらさ」が、
ひしひしと、伝わってきます。
「白い白衣を着た」
「それらしい活字をずらずら並べた肩書き」
の人。(笑)
が、ですね?(笑)
「自分でセルフチェックできますよ♪」
と、「ネット」などでは、
「一方的に伝えている」んですね?(笑)
「眠れない夜」に、
「それ」を探し当て、
「うーーわっ!アタシやっぱりっ!!
HSP!(笑)だとおもった〜〜!!
か〜〜っ!HSP!!HSPっ!!」(笑)
そりゃそうなんでしょうけどね?(笑)
僕も、「当てはまるところ」
ありますよ?(笑)
「人間」
「不安」だと、
「なんたら」に「収まると」
「安心」するんですよ。(笑)
僕はむしろ、まわりの、
「波動の荒すぎる人間が増えすぎた。」
としか、思えないんですね?(笑)
「偉い研究家」が、
「一生懸命」考え、たどり着いた
「研究成果」と思います。
「全否定」もしませんし、
「僕レベル」の考え方や、「言葉」の方が
「信憑性」に欠けると思います!(笑)
「対人関係が結べない」のは、
あたりまえですよ。(笑)
「実の親」でさえも、
「ロクでもない言葉」や
「愛のない言葉」をぶつけたり。
「コミュ障」や
「HSP」といった、
「言葉の場所」に、逃げ込むのは
「当然」です。
ですが、
「文章」を見ていると、
「この人、ホントにコミュ障?」(笑)
と、思ってしまう時があります。(笑)
「立派な文章」
「自分を持った」
「しっかりとした魂」を感じます!(笑)
いいじゃないですか!(笑)
どうせ、
「波動の荒い人間」しかいないような
「人間関係」に、
わざわざ、「合わす必要」なんて無いです。
(笑)
今は、「スマホ」や「パソコン」などと
いった、
「コミュニケーションツール」があるから。
(笑)
「自分はコミュ障なんだ」
「自分はHSPなんだ」と
「責める」必要は、まったくありません。
(笑)
「過去の失敗」や
「過去の人間関係の失敗」に、
おびえて、
立ち止まってしまうこともあります。
「失敗」って、何ですか?(笑)
あなたは、
「何」を「失」ったの?
「何」に「敗」れたの?
「去っていく人」が悪いの?
「去っていく人」はあなたにとって「何」?
「去っていく人」が
「決めること」なんですか?
「失う」って、「ゼロ」ですか?
「誰」が「勝って」
「誰」が「負けた」んですか?
何の「試合?」(笑)
僕は、
「妻」も「子供」も
「離婚」して、会えなくなりました。
「友人」も「身内」も
全て、「縁」を切られました。
「自分」を何日も何度も責めました。
「空虚感」で「孤独」で
押しつぶされそうになりました。
ですが、
「たったひとつ」
「自分」は残っているんです。
この、
「役にも立たないうらめしい愛すべき自分」
は、
「必ず」残るんです!
「魂」から出る
「自らの言葉。」
「アダム」と「イヴ」が
誕生したその瞬間から、
(アダムとイヴが本当に存在したかは、
知りませんが。)(笑)
「感情」も
「エゴ」も
「愛」も
「恐れ」も
「全て」は、
「始まった」のです。
「人間のカタチをした生物」を
「認識する」
「他者」が「存在」すれば、
「全て」は、
「始まる」んです。
たとえば、
「似たような」
「おさるさん」に、(笑)
「同じこと」思います?(笑)
「車」に乗ってて、
「アタマ」にきて、(笑)
「コイツ、絶対、ひとこと言うたる!!」と、
(笑)
「車」からとびでて、
「前の車」のとびらあけたら、
「おさるさん」(笑)
な、ワケないですよね?(笑)
お互い、
「言葉をつくして」
「感情に流されずに」
「すり合わせる」のが、
「人間関係」ですよね!(笑)
「だれ」のことも
「信じられなくなっても」
「自分」がいます。
「いちばんわかってくれる」のは、
「自分」なんです。
「いためつけたり」
「命をたったり」
しないでください。
「辛抱」は「必要」ですが、
「我慢」はしなくていいです。(笑)
もう、「有名な言葉」で、
「誰も」がおっしゃってますが、(笑)
「辛い」という字に、
「一」を書いたら、
「幸い」という字に、なります。
「リスケ」という字に、
「一」を書いたら、
「サスケ」になります。(笑)
(💢今、関係ないやろっ!!💢)(笑)
「辛抱」と「我慢」は違います。
「合わない人」に合わせて
「我慢」なんかする必要ないです。
「慢」とは、
「自分中心の思い上がりの心」
なんですけど、
「我慢しながら、合わない人にあわせる」
なんて、
「思い上がりもはなはだしい」んですよ。
「自分」にも
「相手」にも
「失礼」なんですね?
「尊厳」というものがあるんです。
「ネガティヴな感情」は、
「ヒマ」だから、
「容赦なく広がる」んです。
「煽り運転」や、
「他車へのいやがらせ」は、
「それを考える余裕があるから」
なんです。
「破水してる奥さん」病院連れて行く時、
「コンビニ」寄りませんよね?(笑)
「集中すること」は、「必要」ですが、
いつしか、
「不安」や「恐れ」にまでも、
「集中」してしまいます。
「身体」を動かしたり、
「気分転換」が必要なのですが、
それをすることが、
「不安」であったり、
「薄っぺら」に感じたり、
「逃げている」ように思うのは、
「ネガティヴを手放すこと」が、
「不安」なんです。
逆に、
「ネガティヴを見ないようにするため」に、
「いそがしくする」ことも、
「自分の成長」につながりません。
「どう考えても合わない人」には、
「我慢してまで」
「合わす必要」はありません。
それは、
「我慢」なのか?
「辛抱」なのか?
ご自分の「こころ」
「魂」に
「耳」をかたむけてください。
「自己の成長」につながるのなら、
どんな「辛いこと」も
「耐える」ことが、できますよね?
それを乗り越えたら、
「幸い」を「抱える」ことが、
できるんです!
それは、「経験」なんです!
「自分」が「中心」と、
「自分」に「忠実」は、違います。
「自らの言葉」を「信じる」こと。
「愛すべき自分」から、
「逃げない」こと。
「風の時代」と申しますが、
「土」「風」「水」「火」とあります。
「火」と「風」は、
「手」にとることが、できません。
そして、
「風」は、「唯一」
「目」にみえません。
「目にみえないもの」こそが、
「大切である時代」なんですね。
「大丈夫」に、
「根拠」や「証拠」
なんて、ないんです。
「理論」や「分析」なんか、
やっても、しょうがないんです。
「大丈夫」って言ったら、
「大丈夫」なんです。(笑)
「フォロワー」と「許可」は
違います。
「77億人の許可」なんて、
「たった1人のあなた自身の許可」がなければ、
「意味」がありません。
「自らの言葉」を「信じること」
「つべこべ」言わずに、
「経験」をつむことこそが、
「自信」になるのだ
と、思います!!