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逃げる人

「脅迫者」や「煽る人間」が

増えるということは、

「不安感」と「逃げる人間が」

「普通の顔」して、

「善人」ぶっているからなんですね。


「見分け」がたいへんつきにくいです。


「逃げていい場合」と、

「逃げたらだめな場合」があるんです。

だいたい、

「相手の感情」を「恐れる」ことから

はじまるんですよね。

「相手の感情」を「恐れる」ということは、

こちら側に、

何か「違うエネルギー」がある場合が

多いんです。

「無視」して、「逃げたら」

誰でも追いかけますよ。

「煽り運転」も、

「交通ルール」守ってるから、

こっちは「全然」悪いことしてないよ!

それが「当たり前」やから、

「反応」もしないし、

「手」もあげないし、

「ハザード」も出さないよ!

「他人」だし、「筋合い」もないし!

そもそも何でこっちが、

「謝るような態度」とらないと

いけないんですか?

で、

「指示器」出した途端にギュッと入ってきて、

いつまーでも、

グズグズ走ってたり、

スマホの画面が見えようものなら、

煽られるの当たり前なんですよ。(笑)


「えっ?

運転のプロがそんなこと言っていいの?

煽り運転は今や重罪だよ!?」


だんだん腹立ってきた。(笑)


「そもそも何でこっちが

謝らないといけないの?」

は、

もう、「対立」なんですね。

「法」は「一切」関係ないんですよ。

わけのわからん話をするから、

「法」が動かないと

ならないようになるんです。

「指示器」を適正に出して、

「手」をあげて、

「サンキューハザード」出したら、まず、

何とも思わないんですよ。

そこに

「勝ち負けの想念」や、

「謝る謝らんの想念」を

うだうだ考えてるから、

「揉め事」になるんです。

「謝る謝らん」でなくて、

「反応するか、しないか」なんですよ。

いくら、

まっくろな「運転席」誰乗ってんねん

みたいな「車」でも、(笑)

「ハザード」さえ出たら、

「ああ、わかっとんねんな。」

で済むんですよ。

「危ねえな!!」

みたいな「運転」して、

うまーいこと「運転席」が

見えないようになってる

「車」に乗っているということは、

「感情」から逃げたいだけなんですよ。

「逃げる」から、「追われる」んです。

当たり前なんです。


「車」のことですから、「命」に関わります。

「煽り運転」を「絶対に肯定はしません。」

ですが、

大人なら、

「逃げたら、追われる」という

「原始的な仕組み」を

わかっていただきたいんです。


「車」から離れたって、

既読無視されたり、

既読すらつかなかったり、

なーんにも「反応なし」では、

怒るの当たり前なんですよ。


「怒る人」というのは、

わけわからんことで、

「怒る人」もいらっしゃいますが、(笑)

「正当に見抜いて怒る人」もいるんですよ。

「感情的」なだけで。


それをわかっていて、

見抜かれて自分が「不利」になるから、

「余計に逃げる」んですよね。

「余計に激昂する」の当たり前です。

「感情的」にもなります。


「正当に怒っている人」の影には、

「怒られる人の恐れ」があるものなんです。


実際、話聞いてみたら、

「あー思ってたよ!」

「こー思ってたよ!」

「祈ってたよ!」

「願ってたよ!」

「本当だよ!」


「しらんがな。」(笑)


「理由」があるなら、

ハッキリいったらいいんですよ。

本当に「こころの底」から、

「想ってる」「願ってる」「祈ってる」なら、

すぐさま、

「反応」してるはずなんです。


落ち着いて、

「ごめんね、こういう理由があったんです。

気分悪くしたね。」

こっちが落ち着いたら、

向こうもちゃんと、鎮まるんです。


「これ言ったら怒られる」は、

あまりにも「身勝手な想像」なんです。

「申し訳ないな、

怒らせたら余計なエネルギー

使わせちゃうな。」

「嘘」ですね。(笑)



「気が小さい」というと、

「そういう方々」は

傷ついてしまうんですかね?

申し訳ないです。

僕は、

「気が小さい人」の

気持ちがわからないんですね。

僕も「気が大きい」とも思わないし、

若い頃はきっと、

ビクビクしてましたし、

「感情的な人」を

「ものすごく怖がる人」っているんですよね。

それは、

「悪い」って言ってるんじゃないんです。

ただ、

「一方的」に怖がって、

理由も言わず「丸投げ」や、

「まる無視」をしたら、

誰だって怒るんです。

「そこに住めなくしてやろうか!」

もいいますよ。(笑)

それは、ひどいたとえ話ですが。(笑)

ましてや、

「全力」で逃げられたら、

余計に怒って

追いかけるのも当たり前なんです。

「丸投げ」や、「まる無視」や、

「逃げること」の理由に、

「みえみえのウソ」をつかれたら、

さらに怒るの当たり前なんです。

「怒る人」がかわいそうになります。(笑)

「血圧」が心配です。(笑)

だって、

1度食べたら

3度おいしいみたいなもんですよ?(笑)

ぜんぜんおいしくないよ?(笑)

それで、

怒って、泣かれたら、

「どっちが被害者?」(笑)

自分の思い通りに全てやり通してから、

謝られても。(笑)


「気が小さい人」の

「気」をかばうということは、

「言いたいことが言えない」ということは、

「辛い」のはわかりますが、

自分を守るという

「自己愛」でしかないように思います。

そこには、

「なんで、怒られなきゃいけない。」

「なんで、

この人に頭を下げなきゃいけない。」


「気が小さい人全て」に

該当する訳ではありませんが、

「負けず嫌いの表現」を

ちゃんとできてないんです。


「感情」を上手に表現できない、

「怒りのカタマリ」のような人。

目の前の

「怒りを素直に感情で表現している人」

以上に、

幼少期から「感情」を

「上手に表現」できずに、

「人間関係」のもつれから、

「怒り」を抱えて「消化」できずに

その人以上に

「怒り」を秘めているんです。

だから、

「怒りを秘めている人」

「消化できてない人」の前には、

「怒る人」が登場するんです。


誰かが、

「怒る」「追いかける」は、

もうすでに

「違うエネルギー」が流れてるんです。

「感情的な人」も

「表現方法」を考えるべきですが、

「気が小さい人」も


「勇気を出して、伝えること。」


「わかってもらえないかもしれないという、

恐れ」をどうか

がんばって、

乗り越えてください。


「人」も「自分に降りかかる現象」も

逃げても

追いかけられるだけなんです。

何度も同じことを

繰り返してしまってるのではなく、

逃げてるから

逃げれたように思えても

神様は「同じ現象」を持ってくるんです。

定期的に「怒ってる人」が登場するのは、

あなたが逃げていることに

気づいてないだけなのかもしれません。


「感情的」にならなくても、

「大きい声」で言えなくても、

「しどろもどろ」になっても、

自分のできる「精一杯の言葉」を使って、

「こころをこめていう言葉」は、

「必ず」相手に伝わるんです!!


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