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夢の重力—『マルホランド・ドライブ』的回顧録

夢とは夢の重さに崩れゆくものを『マルホランド・ドライブ』にあらねど

 
 傑作と言われるような映画にも、折に触れて何度でも観返したくなる作品があれば、また、初見時の強烈な印象をそのまま胸の奥に秘めていたい類の作品もある。僕にとって、『マルホランド・ドライブ』は後者の作品だ。

 デヴィッド・リンチの代表作の一つである『マルホランド・ドライブ』を観たのは、大学3回生の時分だった。当時所属していたアメリカ文学ゼミにおいて、「完全に僕の趣味で選んだ」という教授の一声からそのタームの課題作品となり、僕らはこの難題に立ち向かうこととなった。

 ハリウッドの光と影を妖しく描き、現実と夢、回想の場面シークエンスが複雑に入り乱れる『マルホランド・ドライブ』は、映画史上最も高評価を受ける作品の一つとも言われ、比類なきカルト映画として知られている。ときに、〈メビウスの輪〉という喩で表されるこの難解な作品に、当時の若く、血気盛んな学生たちは、みな四苦八苦しながらも果敢に挑んだことを覚えている。
 未熟な学部生らしく僕らは一様に、作中の随所に散りばめられた暗喩を解読しようとたり、物語ストーリーに整合性を持たせることに躍起になっていた。要するに、僕らはまんまとデヴィッド・リンチの術中に嵌っていたわけだ。

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 『マルホランド・ドライブ』については、一応の《正解》とされる解釈があるし、調べればいくらでも詳細な解説が見つかるだろう。けれども、この作品において、謎の一つ一つを解き明かし、物語を理路整然と理解するような見方は、おそらく本質的な楽しみ方ではない。リンチ特有の脈絡がなく、謎が謎のまま残される悪夢的展開に、感情を揺さぶられるがままに身を委ねればよいのだろう。

 ある意味で、それは映画という枠組みそのものの脱構築なのかもしれない。通常、我々は2時間程の映画のなかに、展開を読み、人物や出来事の関係性を構築し、物語を求めている。
 けれども、現実の世界においては、予定調和的な展開は稀であり、必ずしも物語が存在するわけではない。あるいは、悪夢と思えるような混沌とした状況こそ、現実のあるべき姿なのかもしれない。そうしてリンチは巧妙に、現実と夢という表裏の区別のつかない〈メビウスの輪〉を描き続けている。

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 リンチ作品の偏執狂パラノイア的世界観に〈中毒〉となる人は多数いる。観る度に新たな発見がある、と。それはその通りで、『マルホランド・ドライブ』においても、先行作品へのオマージュだとか、ハリウッドの体質やジェンダーという現代の視点からの再考など、楽しみ方は千差万別だろう。今にして思えば、本作は物語の全容を掌握するよりも、むしろ細部ディティールの質感を味わう方が魅力的なのかもしれない。

 で、僕はと言うと、それ以来この作品は観返していない。初見時に圧倒的な、ただならぬ異物感を覚えたものの、正直、ノリきれなかった感がある。デヴィッド・リンチのあの悪夢的な気味の悪さグロテスクには、以来、どうも食指が動かずにいる。個人的には、同じデヴィッドでも、フィンチャーのカルト映画、『ファイト・クラブ』は何度でも観たいし、またクローネンバーグの肉感的偏執性には恍惚エクスタシーを覚えるのだが。

 〈カルトの帝王〉、デヴィッド・リンチを好まないと言えば、いわゆるシネフィルからは嘲笑されるのだろうな。そんな苦々しさを感じつつ、かつて『マルホランド・ドライブ』を観た当時のことを思い出す。今よりも感受性豊かで少しだけ純粋だった若かりし頃。課題レポートのためにまとまらぬ思考を必死で整理し、目を細めながら不気味な場面シーンも繰り返し再生したことが、少しだけ懐かしくもある。

 さて、そんな『マルホランド・ドライブ』だが、結末ラストはなかなかエモーショナルなものがあった。ハリウッドという煌びやかな世界で成功を志すも、やがて夢破れたものの末路。理想と現実のギャップ、嫉妬や理不尽、先の見えぬまま自らの矮小さだけを思い知らされる日々。そうして、夢見たものの大きさに押しつぶされてゆく主人公の姿は、痛切だ。そしてそれは、ハリウッドという特殊な世界に何も限られたことではない。
 
 二十歳そこそこだった初見時からはずいぶんと月日が経った。30代も半ばになると、若かりし日に夢見たものの大半はすでに跡形もなく消え去っていて、今は何よりも夢を見続けることの難しさを突きつけられている。
 夢と現実の表裏一体性というデヴィッド・リンチが一貫して描く主題は、かつてと今では微妙にその意味ニュアンスが異なって感じられる。かつては、夢の大きさに現実が押しつぶされてしまうという警句だった。今はというと、夢見る力を失ってしまうと、現実そのものが色褪せ、衰退し、失われてしまうのだ、と。
 
 あれから十余年。夢の重力に思いを巡らせながら、再び『マルホランド・ドライブ』を観返すときなのかもしれない。
 

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