本を読むことについて考えるー読むはやさー
私は本を読むのが遅い。
本の厚さにもよるが、一冊を読み終わるのにだいたい三週間くらいかかってしまう。
なぜ遅いのか。
単純に読む時間がとれない、というのもある。電車通勤の時は行き帰りで読む時間があったが、今は車通勤だ。運転しながら本は読めない。それなら家で読めばいいのだが、仕事から帰ってきて家事を終わらせ、さぁ自由時間!と思って本を片手にソファに寝転んだ5分後には寝てしまっている。
夜読めないのなら朝読めばいいのだが、私は早起きが苦手だ。ぎりぎりまでお布団でぬくぬく、うとうと。体が起きなければ本を読もうなんて気も起きない。気が起きた時にはもう時間がなくなっている。
では、いつ読んでいるのか。ごはんが炊けるまで、とかやかんのお湯が沸くまで、とか生活の中のほんの隙間でちまちま読んでいる。
読み方にも問題があるのかもしれない。目だけでさぁっと読む、ということができない。頭の中で音読して読んでいる。音読だからつっかえたり舌がもつれたりして読み直すこともある。「今のこの言い回しはちょっとしっくりこないな」なんて何回も同じ行を読み直している。仕事用の書類なんかは、三行ぐらいまとめて読み飛ばしたりもできるから、小説を読むときだけの癖みたいだ。物語と自分の感覚とが重なる点はどこか、じっくりじっくり探りながら読むのに、自分の「声」で読む、という作業が必要なのかもしれない、とも思う。
ちまちま時間の中でじっくりしていると、日常の中で常に意識のどこかは本の中にとんでいるような状態になってくる。これもまたちょっとした楽しみではあるのだ。
ある時、読書好きの知人と話していて
「今、森見登美彦の『夜行』を読んでいて・・・」
「あぁ!それなら直木賞候補になった時に読んだよ!」
・・・早い!
「賞をとった本はもちろん、話題になっている本はだいたい読むよ」
早い。私にはない早さだ。
賞をとった本、話題になっている本。気にはなる。でも、今はなんだか読む時じゃない気がする。今読みかけのあの本がとても気になっているし。そもそも単行本ってちょっと高いし、図書館でも順番待ちだ。それでもやっぱり気になって、本屋さんに見に行く。人気の本は目立つところにどーんっと平置きされている。賞をとった、話題の、ピカピカの本。そのピカピカが、なんだかこわい。
伸ばしかけた手をひっこめて、私はまわり右をする。なじみのある文庫本コーナーの書架のはざまでほっと息をつく。いつか読む。いつか読むんだ。でも、今じゃないんだ。心の中で呪文のように繰り返しながら、文庫本コーナーを見てまわる。ふと気になって手に取った本は、どこかの過去で「いつか」と思ったあの本だったりする。「いつか」はきっとやってくる。だから、焦らず、私は私の読みたい時に読みたい本を読む。私だけの感覚で、私だけの「声」で。
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