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本を読むことについて考える。ー流されるー

 本を読むことについて考える。
 私は、流されやすい。これといった特技もないし、子どものころから打ち込んできたような趣味もない。日々「自分ってなにかしら」みたいな、ふわふわしたことばかり考えていて、軸がなくてぐらぐらしている。だから、流される。自分よりしっかりしていると思われる人から、「あなたがうさぎだと言っているものは、実は猫なんだよ。」と、それらしい統計や円グラフ(たぶん耳の形とかしっぽの長さの)を見せられて、言葉巧みに説得されたら、圧倒されてあっさり考えを変更してしまう。多少「変だな」と感じても、「こんなにしっかりしてる人の言ってることなんだから」と信じ込んでしまう。命とお金に関わることだけは、ちゃんと判断しなければと思っているが、それすら危うい時もある。
 だから、本を読む。本を読むとだんだん自分がわかってくる。読んで何を感じたか、どの言葉が心に響いたか、響いた先にどんな景色が見えたか。「自分ってなにかしら」の答えが少しずつ見えてくる。軸は相変わらずぐらぐらはしているけれど、読んだ本が支えになってくれる。杖ほど固く強くはない。楔を打つ、とか、錨をおろす、というような大仰なものでもない。ラッコが寝るときに流されないように、体に昆布を巻きつけると聞いたことがある。例えるならそんな表現がぴったりくる。仲間と手をつないだりもするそうだけれど、私には手をつないでくれるような仲間はいないので、なるべく根がしっかりしていそうで、それでいて手触りのよい昆布を探す。体に何重にも巻きつける。息が止まらないように気をつけて。くるくる、くるくる。これで大丈夫。私は昆布によって世界につなぎとめられている。
 それでもやっぱり流されて、「人生全部黒歴史・・・」なんて、落ち込むことはあるけれど、流された先で、また新しい昆布を探せばいい。あわよくば、つないでくれる手も。


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