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社会はどんな子どもを育てたいのか
「勉強ができる子は何が違うのか」(榎本博明、2023)を読みました。
学校で生徒に対して、家庭で息子に対して
何か参考となる情報があればいいなという思いでした。
実際に読み進めると、それだけでなく、
社会の在り方や人生の生き方と多岐に渡り考えを深めるきっかけとなりました。
アルバイト先で遅刻して店長から叱られて、逆ギレして辞めた友だちがいるという学生たちが結構いるのだが、彼らによれば、これまで遅刻しても叱られることがなかったから、「なんでそんなきつい言い方されなきゃいけないんだ!」とムカついて、我慢できなくなるのだろうという。
学校の先生たちと話しても、モンスターペアレント、いわゆるクレーマーのような保護者がいて、叱ったり厳しいことを言ったりすると文句が出るため、厳しい指導はしにくいという。規則違反を繰り返したり、授業中にいくら注意しても騒ぐのをやめない生徒を怒鳴って叱ると、「親でも怒鳴ったことがないのに、先生が怒鳴るなんて。ウチの子は先生が怖いから学校に行きたくないって言ってるんです。ほめて育てる時代になんてことをしてくれたんですか」などといったクレームが来るため、自己コントロールカを鍛えるのが非常に難しくなっているという。
学校では「社会で通用する人材を育成」なんてよく言っています。
保護者もその言葉を聞いている時には「そうよね」という顔で聞いてますが、
実際に我が子が指導されたとなると、別物なんですかね。
欧米の親は子どもに強く命じたり強い期待を示したりするのに対して、日本の親には 子どもに無理強いするのはよくない、子どもの自由にさせてあげたいといった思いがあるようだ。それが子どものためと思っているのかもしれないが、実際は子どもを将来苦しめることになりかねない。なぜなら厳しい状況に耐えたり、長期的な目標のために目の前の欲求を我慢したりできるように、自分の気持ちをコントロールする力が鍛えられないからだ。
どこでこの国は行き先を間違えてしまったのだろうか。
欧米を追従するつもりが、実は全く別のことをしてしまっている。
むしろ、かつての日本において重要視されてきたような内容が、
世界でも同様に大切にされているのではないだろうか。
失敗をして叱られたとき、「もうダメだ、見捨てられる」「またやらかしちゃった、ほんとに自分はダメだな」と感情反応に陥っていては気持ちが落ち込むばかりだが、「こりゃまずい。何とか挽回しないと」「同じ失敗を繰り返さないように注意しよう」というように冷静な認知反応ができれば、落ち込むよりも失敗を糧にしてパワーアップすることができる。
人から嫌なことを言われたとき、「なんであんなことを言うんだ、ほんとに嫌らしい」「頭に来た、もうやってられないよ」「何、あの態度、許せない」などと感情反応に陥ってしまうと、人間関係をこじらせるだけでなく、前向きの気分になれない。それに対して、「ああいう人だから仕方ないな」「どういうことなんだろう」「虫の居所でも悪かったのかな」というように感情的にならずに冷静な認知反応ができれば、人間関係を無難にこなせるし、ネガティブな気分に陥ることもない。
認知反応を心がけても感情反応をしてしまう。
まだまだ修行が足りないなと感じています。
その続きでレジリエンスについての一節。
このように、何かにつけて感情反応をする人は、嘆いたり動揺したりするばかりで、建設的な方向になかなか歩み出すことができない。一方、認知反応をする人は、たとえ一時的な動揺はあっても、気持ちを切り替えて、建設的な方向に歩み出すことができる。 それがレジリエンスの高さにつながる。そこを踏まえておき、感情反応でなく認知反応をするように心の習慣をつくっていくことが大切である。
もうひとつ大切なのは適度に自分を追い込むことである。
レジリエンスの高い人は、何らかの逆境を乗り越えた経験をもつものである。逆境に追い込まれ、立ちはだかる壁を何とか乗り越えようと必死にもがくことでレジリエンスが鍛えられる。
この文章を読むと、「順境よし 逆境さらによし」という
松下幸之助さんの言葉を思い浮かべました。
改めて、この言葉を調べていたら、
まさかの10年前の今日、PHPのFacebook記事になっていました。
思わず「すごーい」と一人で感動した次第です。
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逆境を自身の「磨き砂」として、
「艱難汝を玉にす」を心に刻み、
今日も二度とない一日を大切に生きたいと思います。