自画自賛を無くしてはいけない

おはようございます!

今日とんでもなく早起きをしてしまって、というかとんでもない早い時間に目が覚めてしまって本当にシャワーの効果というか、シャワーがもたらす睡眠への影響力の高さ、そしてそこに付随してしっかり準備して寝るということの重要性を二日続けてまじまじと見せつけられているwataruです。


しかしここ1、2年間の間僕は睡眠に関して結構ずっと悩んでいて、どうすれば効率よく深い眠りに入れるのかとか、無駄に長い昼寝をしてしまわないためにはどういうことを意識したらいいかとか、まああれやこれやと考えていたんですが、ここ2、3日の僕は平均睡眠時間3時間〜4時間くらいで、それでいて起きた後に眠気も一切なく一日を元気いっぱい快適に過ごせるというとんでもない状況に直面していて、これが一生続けばいいのにと心の底から思っているのと同時に、この結果をしっかりと体に染みつけて自分のものにしていこうと思います。


ということで本日は「自画自賛を無くしてはいけない」というテーマでお話しをしていこうと思います。


というのも内容的には少し昨日のストレスとかアンガーマネジメントとかの類と似ているような気がしていて、そう考えると自分は今現在ある程度大きなストレスとかアンガー的なものを背負っているんだなと客観的にみた時に感じているのですが、、、


まあそこは一旦置いておいて、よく人と話しをしていると”何自画自賛してんだよ!”とか、”自画自賛してお前が気持ちよくなってるだけじゃねえか!”というような自画自賛に対しての批判って結構一般的にあると思っていて、まあ僕自身もその例に漏れず友達とかが自画自賛している発言をしていたらすぐさまにいじってお笑いに消化してしまうし、少し小馬鹿にしたようなツッコミを入れてしまいたくなる気持ちは山々なのですが、、、(相手もツッコミ待ちなことが多いので)


ただ、自画自賛という行為は個人的に結構大事なことだと思っていて、それはツッコミ待ちでお笑いとして人に言うようのものではなく、ただただ自分の中で噛み締める、ただ自分で自分を褒めてニヤニヤするというタイプの自画自賛はだいぶ大事な行為の一つだなと思っているんです。


というのも僕自身そんなたいそうに何かを語れるような人間ではありませんが、まあ少しでもこの世の中が良くなれば良いなあとは常に思っているし、みんなが生きやすい優しい世の中になれば良いなあとは常日頃から思っているわけで、少しでもそうなれば良いと思ってたまに街中に落ちているゴミを拾ってゴミ箱に捨てたり、街中で苦しそうにしている人がいたら積極的に助けようとしたり、少しでも何か良い方向に貢献できればと思ってそういう行動をとったりする時があったりするんですね。


ただ正直そんなことをやったところで僕の本当に些細なそんな行動を見てくれている人なんて一人もいないし、例えちらっと通りかかった人が見たとしても僕のその行動を見てわざわざ褒めてくれるような人はこの世の中を探してもなかなかいないわけで、基本的に誰からも賞賛されないようなそんな行動だと思うんですね。(力を貸した人は感謝をしてくれることが多い)


まあ僕の行動の根本として誰かに褒められたいとか、感謝してほしいというような思想はあまりなくて、少しでもこの世の中が良くなれば良いなあ、みんなが生きやすい優しい世の中になれば良いなあと思っているだけなので今後も自分に余裕があったりふと気づいたらやるような行動だとは思うのですが、僕のこの行動を支えている柱に自画自賛というものがあると思うんですね。


というのも”自分のおかげで今世の中が少し綺麗になったなあ”とか”今自分がこの人を助けたおかげで世の中に笑顔が一つ増えたな”とかそういうことは実際に思っていて、”俺ってめちゃくちゃ良いことしたじゃん”というような、そんな自画自賛に浸っている時間があるのは間違いないんですね。


むしろ自画自賛をしないのであればこの行動はしないくらい僕の行動の根本にあるような気がしていて、この世の中では批判の対象となりやすいような自画自賛でも、それをひけらかしたりせずに自分の中で収めて持っていればそれはとってもプラスな方向に働くものだなと思いました。


ということで本日は「自画自賛を無くしてはいけない」というテーマでお話しをしてみました。

僕自身これからも自画自賛を原動力にしながら色々な行動をしていこうと思います。

ではまた!



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