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【短編】カニバ百合「今日私は友人を振った」【過去作】

 ご飯を食べて、お風呂に浸かって、髪を乾かした後だから、多分夜の10時くらいだ。そのくらいに、友人から電話が来た。ただの世間話を2時間もした。私はそれを、いつもの他愛のない、当たり話の話だとしか思っていなくて、内容は全て忘れてしまった。
そろそろ寝ようかな、私がそう切り出そうと思った時に彼女は言った。

「急になっちゃうんだけどさ、わたし、好きなんだよね。友情とかそういうのよりもっと深くで…好き。わたし、あなたのことが好き」

 中耳が皿に盛り付けて海馬がそれを咀嚼して、データが、データが大脳に送りつけられている。ファンが回ってる感じがする。頭がバグる。彼女はなんて言ったっけ、情報過多でもうわすれてしまいそうだ。

「いや……ごめん、あの、ほら変な風にさ、見られちゃうだろうし、それになんか、法律的にも……同性婚とか、なんか問題が不利な立場だからさ……あの………………ごめん」

 疑問符。
 なぜ? 何も言っていないのに、私の口から言葉が吐き出された。それは要領を得ないものだったけど、はぐらかしたとは言えないくらい明確に否定の意味を含んでいて、私はそれを望んでいなくて、でも訂正するための舌は役目を終えたようにぐったりと動かなくて、そして何もかもが消えてしまったかのようにその場が静かになった。

「そっか」

 彼女はしばらくして口を開いた。私がその言葉を反復しているうちに彼女は続ける。

「こっちこそ、ごめん。急に変なこと言っちゃって。そうだよね」

 なにがそうなんだろう。なにを考えているんだろう。ああ、役立たずの脳髄脳髄脳髄、彼女の思いを気にしてばかりで私の思いが伝わらない。しかし彼女の思いがわからないことには発声が始められないのだ、仕方なかろう。情報処理技術をもっと洗練しなくてはならない。

「違うの、私もあなたのことが好きなのよ!」
「ごめん、驚いちゃって。私も好きだよ。」
「私もずっと前から好きでした! 付き合ってください!」
「私あなたがそう言ってくれるのを待ってたの、私もあなたのことが…………」

 違う違う違う、私はこんなキャラじゃない。あれ、私はどこに……。彼女が好きで、彼女が好きな私はどこに行った。
 私は震える手で携帯を強く握ってなんとか喋ろうとした。きっと、彼女がここにいたら私の手を上から握って、震えが収まるまでそうしていてくれたんじゃないかとか、そんなことを考えながら舌を回そうとした。

「ねぇ」

 彼女はふと思い出したかのように話し出した。

「明日、ブルームーンなんだって。昔よく遊んでた近くの丘からよく見えるみたいだから、一緒に観に行かない?」

「うん、わかった」

 相手の問いにだけ返せる自分が恨めしい。

「じゃあ、明日7時集合ね。」
「他のメンバーは決まってる?」
「全然決まってないよ、さっき考えたからさ」

 彼女の声がほんの少しだけ弾んだように聞こえた。きっと、それは錯覚だ。なぜなら彼女はもう私に落胆してあるはずだから。でも、私はその錯覚にすがる他無い。口を開いた。

「じゃあさ……二人で行こうよ」

 長電話の後、なぜかもう一度お風呂に入って、髪を乾かして、部屋に戻った。
 また、お風呂に入った。髪は洗わなかった。自分の体が無性に汚れているように感じて、全身を海綿で撫でた。
 再び部屋に戻った時にはもう4時過ぎになっていた。私は気が付いた。今日、私は友人を振った。それも、私が恋愛感情を抱いている友人だった。
 あの癖毛の髪を撫でた感触を忘れない。冷たい指の温度を忘れない。優しい言葉を忘れない。プリーツスカートの溝の一つ一つの柔らかさを忘れたく無い。
 でも、私の手が妙に汚れている気がして、私の大事なものを泥だらけにしてしまったような感覚があって、世間体とか不遇とか不利とか変に見られるとか、日頃から私たちが嫌いだと話していた言葉を総動員して彼女を否定してしまったのは事実で、挽回しようにも自分が気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い中身が醜いこれが自分なのが受け入れられないから吐き出したい吐き出すなんてできないこと自分が一番よく知ってるのに。
 脳内情景が目まぐるしく変わって、あなたは悪く無いよと私に問いかけてくる。でも、問いかけているのが私なので気持ち悪い。そんな私を吐き出してしまいたい。
 でも、そんなこと出来ないって知りながらそれを口に出してるのは私だから気持ち悪い。

 好きで好きで好きでしょうがないのになんで私は好きって言えなかったんだろう。
 私は悩んだ。しかし、サイコロを投げても振り出しに戻るのマスにしか止まらない、そんな感覚だったのでもう思考は辞めた。頭を使うのは意外に疲れると言うことを学んで、それを手土産に夢の世界へ行くことにしたのだった。

 私は起床した。気分が優れない。私が、彼女を好きでなくなる夢を見た。昨日あんなことがあったからなのだろうか。いや、ずっと前にも同じ夢を見た気がする。その夢では私が普通に男の子を好きになって彼女への想いは忘れていて…………。
 どうしようもなく不安だ。もっと私を愛して欲しい。こんな不安に付け入る隙を与えないくらいに。ドロドロに溶けてもう2度と帰れないくらいに私を許容して、抱擁して、時には殴りつけて欲しくて私は泣いた。学校は行った。

 今は、季節の変わり目だ。夏は、秋へと変わる。8時まで明るかった空はすっかり定時退社の旨味を覚え、今や6時ですらやや薄暗い。電灯が疎らに付いていて、その白い光が道を照らす。アスファルトは、薄っすらとそれを反射して、表面が少し白んで見えた。私はそういう当たり前を覆すのが好きだったし、それが使命だと思っていた。今でも思っている。
 無意味に蛍光ペンをアスファルト上に滑られせ、光を緑青のものにする。何の意味が?それは私にもわからないけれど、そうやって生きていたいのだ。

 ぼんやり道を歩いた。だんだん、街灯は少なくなっていく。

 街灯が少なくなれば周囲は暗くなって、何も見えなくなってしまう。しかし、なぜだか今日はそうならなかった。月の仕業だった。月のおかげで夜は黒から濃紫色に変わった。
 腕時計を見る。薄っすらと紫色か青色か、いずれかの色を反射しながら、時刻を教えてくれた。6時40分。目的の時間まで後20分だ。時間内に間に合うかな? 不安に思い、私は走り出した。
 踏まれて朽ちた小枝の音がする。粉になった落ち葉の音がする。虫の羽音がする。私の吐息が聞こえる。全部が、夜に照らされている。

 当然、彼女もそうだった。

 彼女の髪は月に照らされて、黒から紫に変わっていた。いつも目立つ癖っ毛が無かった。長いベージュのプリーツスカートと黒いウェアでもなかった。
真っ白い、しかし紫色なオフショルダーのロングワンピースだ。
 彼女は私に気が付いた。私は、ごめんなさいと言おうと思って、上唇を少し持ち上げて口を開こうとした、彼女は自分の唇を使ってそれを止めた。
驚いて後ろに下がろうとした私の肩を抱くように受け止めて、彼女はキスを続行した。何事もなかったかのように、当たり前のように彼女は私を離さない。脳が溶け出していくのを感じる。
 私の汚い部分が彼女に伝染してしまう気がして離れようとするが、なおも離してくれない。彼女は私を抱いて、形を確かめるように触れた。耳、首筋、肩、肩甲骨、肋骨を確かめて、ようやく満足したのか私を離した。
 いままで支えられていた力が消滅したので、背中から地面に倒れこむ。背中が痛い。砂利が混ざっているのだから当たり前だ。私は無意識的に彼女に手を伸ばす。それを取ってくれるという期待からだ。
しかし、彼女は私の手を払いのけて、その手の平を踏みつけた。痛みから声を漏らす私の唇に、顎に、ぞっとするほど冷たい指を侍らせて彼女はいった。
「絶対、許したりなんかしないから」

「昔、話したよね。この世界の当たり前なんてどうでもいいものばっかだって。男の子が男の子好きでも、女の子が女の子好きでもいいじゃんって」
「でも、世間体がどうのとか、そういう事が気になっちゃうんだね、あなたは。仕方ない。仕方ないよ、当たり前だから」
「だから、あなたの当たり前を全部壊してあげる。それで一緒に幸せに暮らそうよ」

 彼女は7cmくらいのヒールで私の肩を踏みつけた。痛い。痛い。痛い。痛みのたびに喉の奥だけで喘ぐ。

「人が痛がることをしないなんて当たり前のことだよね。それはきっと人が痛みを嫌いっていうのが当たり前だからで、あなたが痛みを受け入れてくれたらもっと前へ進めると思うんだ」

「や…やめて」

 私はか細い声を出す。転倒したままでは声も出せない。

「やめてって言われたらやめるのが普通なんだろうな」

 彼女は顔色を変えずにもう片方のヒールを私のお腹に乗せながら言った。
ヒールが沈み込んで、鈍い痛みが頭を支配する。

「やめて……ごめんなさい、私が悪かったの、許して」

 あの時に出てこなかった、当たり前の定型文がスラスラ出てくる。なんでだろう。なんで、これがあの時当たり前じゃなかったんだろう。

 ああ分かった、彼女は私に取って当たり前じゃない人だったんだ。
 優しくて、私の全てを肯定してくれて、当たり前のように私を肯定してくれて……。そんな特別な相手に、当たり前の言葉だけを返せるはずがない。私はあなたが大好きなんだから。

「ねぇ」

 言葉を発する。彼女の動きが止まる。

「私、あなたのことが好き。私のことをあなたのものにしてほしい」

 これで終わりじゃない。この先だ。

「あなたに食べてほしいの。私の腕、足、心臓、肺、肝臓、脾臓、腎臓、膵臓、横隔膜、食道、眼球、脳髄も全部あなたの物にして。全部あなたにして。私、あなたの癖っ毛の髪が大好き。白い側が大好き。細くて冷たい指が好き。ちょっと出っ張ってるくるぶしが好き。目が好き口が好き鼻が好き。私、あなたが大好き」
「その一部になりたいの。」

 彼女はあっけに取られた顔をして、でも直ぐに平静を取り直して少し笑った。

「ははっ。あはは。そっか、あなたも、あなたに取っての私も、とうに当たり前なんて捨ててしまってたのね」

 彼女は掌から靴を降ろしてくれた。
 その代わり私の腕は、どこに忍ばせていたのだろうか、彼女の持つ包丁にバッサリと切られてしまった。背にした大地がまな板代わりだった。
 しかし、なんだかその感覚が愛おしい。自分の中でくすぶっていた、「当たり前とそれに迎合する自分」が切られていくようだった。矮小な当たり前人間が消えていくようだった。
 彼女が私を抑えつける。肩に置いたその腕は強い力で私の肩をまな板へ押し付けた。しかし、いつまでたっても私が抵抗しないので、安心したのか腕から力を抜いた。それは、優しさすら感じる仕草だった。
彼女は、もう死んだ私の腕に、掌に優しく手を重ねて、そして愛しく愛しく私を解体した。右腕を切る、右足を切る、左足も切る、そして腹を割き、胸の方へと包丁を回す。軌跡が綺麗な一本線から汚れた二本線へと変わっていく。

 私は遂に死んだ。最後の言葉も、お別れのキスも何もなかった。
 彼女は呟いた。 

「月は……月は綺麗だな。どうしようもないくらい。月の引力で潮は満ち引きを繰り返して生き物が生まれて、そこから人間が生まれて、当たり前という概念が生まれて。そして当たり前を破るのもまた人間なんだな。人間は綺麗だな」

 彼女は月に照らされた死体を愛撫して、愛おしそうにナイフとフォークで食べた。何もかもが、月を反射していた。

END

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