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「終りに見た街」の感想と考察

テレビ朝日開局65周年記念の特別ドラマとして9月21日に放送された「終りに見た街」。これは山田太一原作で過去に2回ドラマ化された作品である。今回は宮藤官九郎が脚本となり、このタイミングで放送された。
TVerの見逃し配信が10月6日までということでギリギリだが感想と考察について簡単にまとめてみた。
そして未視聴の方には是非見てほしい。
また、合わせてシナリオ集も発売されているため合わせて読むことを是非推奨したい。
以下、ドラマ及びシナリオ集のネタバレを含みます。






何故太一達はタイムスリップした?

正直ここについては、自分では納得のいく考察ができなかった。わざわざバイク便で届けられた「過去の紙の資料」や最後まで残る寺本Pの謎。寺本Pが犯人説、そもそもタイムスリップしてたのではなく最後のシーンに繋がるまでの太一の夢説など色々考えられるかと思うが、正直なところをいうとタイムスリップしたきっかけや謎の寺本Pの言動行動がそこまで深い意味を持ってる訳ではなく(もちろんインスタのハッシュタグややたらと使われるSDGsなんかは現代への皮肉だと思うが)、物語の序章として後半とのメリハリを付けるためのポップさ演出するためのキャラクター性を強く演出しているだけで、重要なのはそこでは無いと思っている。

タイムスリップ後の子供たち

田宮家と小島家(タイムスリップしたのは敏夫と息子の新也のみ。妻と娘は現代に残っている)は昭和19年に飛ばされてまもなく、家を燃やされ家族同様のペットを失い、いきなりその時代の現実を突きつけられることになる。宮藤官九郎脚本でここが重要になるのが、戦争経験者でもある田宮清子(太一の母)の存在だ。山田太一版では存在しないオリジナルキャラクターだが、この存在は物語の大きな鍵となる。
彼女の記憶を頼りに、空襲を受けない場所へと疎開することになるのだが、ここで少しひっかかったのが「子供たちの順応性」である。
小学生と中学生(と途中離脱する新也は高校生)の子供たちが、現実を突きつけられ、食料も満足に手に入らない中でたとえ「日本は昭和20年に戦争に負ける」という事実を知っているからと言ってあそこまで順応できるのであろうか。
ここは特にシナリオ集を読んで欲しい。ドラマでは描かれていないが、信子は特に強い反発が見える。無理もない。むしろ反発しない方がおかしいだろう。
また、途中で失踪する新也についても、ドラマのみであると無口で、ある日突然いなくなるキャラクターであるが、
シナリオ集を読むと失踪の直前に父親である敏夫と毎晩口論をしていたとある。
自分の父親が食料の為に頭を下げる姿を見ていられない、と途中手伝いを放棄する新也だが、ここでもやはり描かれていないが時代への適応に対する強い反発があったことがわかる。
当初の昭和19年への時代反発があった上で、あの環境下で「今を生きる」ことを余儀なくされた彼らだったからこそ、戦争が終わることをわかった上で生きていた親世代と子供たちで後半での「戦争」に対する考え方に大きくズレが生じたのではないだろうか。

寺本Pとはなんだったのか?

太一はタイムスリップ後、何度か見かけた憲兵たちの顔がみんな同じ顔だったと気付く。しかしその正体を確かめるのは、想定外の空襲が起きた直後である。

私は、寺本Pは「戦争は負けるし歴史が変わらないことのメタファー」だと思っている。太一の中の「戦争はくだらないし日本は負ける、歴史上そうなんだから」の安心感が揺らがないから寺本の顔も全員同じに見えていたのではないだろうか。
前述の通り荻窪で空襲という自分の知る事実と異なる出来事が起こるが、信じきれなかったからこそまだ下町で大空襲があると宣伝していたのだ。そこに現れた憲兵の顔も寺本だった。直接確かめに行くがその正体は寺本ではなかった。そこに気付いたこと=信じてた史実とは違う、ここでの太一の価値観が崩壊したことがトリガーとなり、信じていた未来とは異なる現代に戻ったのではないかと考察する。

太一が終りに見た街、最後の清子と新也

最後の衝撃的なシーン。太一は恐らく原爆と思われる爆発に巻き込まれ、今いる時代が現代だと悟る。
太一がその生命の終りの中で見たものは、幼い姿の母・清子をおんぶする新也(または、敏彦さん)であった。

個人的には最後の清子さんは太一にとっては幼く見えているが、同じく現代に戻ってきた清子と新也だと思っている。
理由としては、地下フィルターからインスタライブをする寺本Pの通知が鳴り響くスマホを踏みつぶしている行為、これを敢えてするのは新也だとしか考えられないからだ。
太一や父親である敏夫に強く反発し、軍国主義に傾倒していた新也は、「歴史は変わったし、(少なくとも太平洋戦争は太一の知る史実通りの)負け戦じゃなかった。日本は勝つと信じて動いた結果がこれなんだ」という少し誇らしげな表情で、清子を救って変わった歴史の中で前に進んで行ったように見える。
このスマホを踏み潰す、という行為は「太一の価値観を壊したメタファー」であり、「現代人への警鐘」の両方を意味していると思う。
そしてタイトルでもある「終りに見た街」。太一が終りに見たものは原爆によって破壊された現代の街。
太一は戦争は「終わる」とずっと信じていた。だが皮肉にもその戦争は終わることはなく、現代に戻っていても続いていた。終わりがあると信じていた、つまり現代で戦争など起こりうるはずがないと思っていた太一が見たのがあの結果の「終りに見た街」である。
今の現代の戦争に対する無関心さに対する警鐘が、あの衝撃的なラストに込められているのだろう。

終わりに

シナリオ集のカバーイラスト、そこには3つのひこうき雲が見える。
2つは過去に落とされた原爆、そして1つは次いつ来るか分からない原爆を表しているのだろう。
そしてカバー裏にあるのは折り鶴。当時7歳の清子が15歳の敏彦へ出征時に渡したものであり、そっくりな新也へ思いを伝える際にも折られたものだ。
この折り鶴に込められた通り、平和が続くことを願うと共に今この時代にこのドラマを放映された意味を、より多くの人が考えられるきっかけになることを願って。

















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