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大宋宮詞〜愛と策謀の宮廷絵巻〜 北宋時代のドラマの後宮ー真宗編

 こんにちは、翎浅(れいせん)と申します。BSで北宋の時代のドラマが2本、放送されます。「孤城閉~仁宗、その愛と大義~」「大宋宮詞~愛と策謀の宮廷絵巻~」です。この二つのドラマは真宗、仁宗親子の後宮が描かれています。今回は真宗の後宮について紹介します。史実に基づくドラマのため、ネタバレが含まれています。

 真宗(968年~1022年)は、北宋の三代皇帝で「大宋宮詞~愛と策謀の宮廷絵巻~」の主役の一人です。真宗の治世は25年、妃嬪は約13人いたと言われています。真宗は北宋の皇帝で1番皇后が多い人物です。それでは正室の三人から紹介していきます。


正室

1 章懐皇后潘氏(しょうかいこうごう、968年~989年)
 真宗の最初の正室です。北宋の名将・潘美の八女、または孫娘と言われています。16歳で当時、韓王だった真宗に嫁ぎ、莒国(きょこく)夫人に封じられました。しかし、6年後に潘氏は死去。享年は22で子はありませんでした。真宗が即位すると、皇后に追贈され、諡号を荘懐(しょうかい)とされました。仁宗により夫の諡号を冠して章懐皇后となりました。
 
2 章穆皇后郭氏(しょうぼくこうごう、975年-1007年)
 真宗の2番目の正室です。郭守文(かくしゅぶん)と梁氏の間に生まれました。15歳で真宗の後妻となり、魯国(ろこく)夫人となりました。4年後に次男を出産し、秦国(しんこく)夫人となりました。他に2人の子を生みました。真宗が即位すると、息子は太子、自身は皇后に立てられました。郭氏は質素な性格で贅沢を好みませんでした。実家の郭家に厳しく、郭家が華美に着飾って皇后に面会すると、慎むように指摘しました。郭氏は古代中国の理想の女性でした。しかし、息子が9歳で早逝してしまい、郭氏は悲しみのあまり体調を崩してしまいます。息子は悼献太子と追贈されました。最後に郭氏は、真宗の巡幸(じゅんこう)に付き添い、後宮に戻ると息を引き取りました。真宗はその死を深く悼み、荘穆(しょうぼく)と追贈しました。仁宗により、章穆皇后とされました。

3 章献明粛皇后劉氏(しょうけんめいしゅくこうごう、968年〜1033年)
 真宗の3番目の正室です。父は劉通、母は龐氏。名は娥(が)とされていますが、定かではありません。容姿が美しく、性格は聡明で警戒を怠らず、知識があって政治について熟知していたと伝わっています。真宗は当時、既婚者だった劉娥に一目惚れし、側室に迎えます。(普通に引きました)しかし、真宗の乳母が父帝·太宗に密告し、太宗の怒りを買って追放されました。
 しかし、真宗が即位すると、呼び戻されて美人となりました。真宗は劉娥を皇后に立てたがりましたが、群臣は身分が低すぎると反対し、沈才人を皇后に立てるように上奏しました。真宗は同意せず、劉娥を皇后にするためにある作戦を実行します。侍女の李氏が後の仁宗となる皇子を産むと、劉娥の子ということにしました。他の后妃が産んだ5人の男子はみな早世していたため、この太子を生んだ「功績」により、皇后に立てられました。
 真宗が崩御すると、仁宗が即位して自身は皇太后となりました。仁宗は幼少だったため、垂簾聴政(すいれんちょうせい)を行い、皇帝の服を着用して太廟へ赴きました。名君と称される仁宗の治世の架け橋となる時代を築き、呂雉や武則天のように政権を掌握しましたが、二人のように悪ではなかったと称されました。死去すると、荘献明粛とされて章献明粛と追贈されました。「大宋宮詞 〜愛と策謀の宮廷絵巻〜」の主人公です。

側室

4 章懿皇后李氏(しょういこうごう、987年-1032年)
 真宗の追贈皇后で仁宗の生母です。李仁徳と董氏の間に生まれました。李氏は最初尼でしたが、劉娥に連れられて後宮に入りました。容貌が卓越しており、寡黙で荘重な性格をしていました。真宗に寵愛されて仁宗と静一帝姫を産みました。劉娥は太子·仁宗を実子として、その功績で皇后となりました。李氏は息子が大切にされていることに不満はなく、劉娥の影として生きました。
 病により死去し、宸妃(しんひ)と追贈されました。その後、仁宗は自身の生母が李氏であったことを知り、深く哀悼しました。荘懿皇后(しょういこうごう)と追贈され、章懿皇后となりました。「孤城閉〜仁宗、その愛と大義〜」はこの出来事が重要になっています。

5 章恵皇后楊氏(しょうけいこうごう、984年-1036年)
 真宗の追贈皇后です。杨知俨の子に生まれました。12歳で真宗の王府に入り、真宗が即位すると、才人となりました。楊氏は実理に敏く、寛容な性格で知られて劉娥とは姉妹のように仲が良かったようです。楊氏は共に仁宗の養育しました。劉娥が没すると、遺詔により楊氏は太后と尊称され、仁宗と家事や国事を討議しました。死後、荘恵皇后(しょうけいこうごう)と追贈され、章恵となりました。

6 昭静貴妃沈氏(しょうじゃくきひ、994年 - 1076年)
 宰相沈倫の孫娘に生まれました。賢淑と称され、贅沢を好まない性格でした。一時は群臣により、皇后に勧められますが、実現しませんでした。彼女は真宗の孫の代まで生きて貴妃を追贈されました。諡は昭静でした。

7 杜貴妃(?-1046)
 真宗の祖母の姪で、即位前に側室となりました。名は琼真(けいしん)でした。升國大長公主を生み、仁宗により貴妃に追贈されました。

8 賢妃曹氏(?-1026)
 真宗の側室で大将軍曹彬の娘で、仁宗の曹皇后は姪です。美人に封じられ、仁宗により賢妃に追贈されました。

9 賢妃陳氏(10世纪-996年)
 真宗の太子時代の妾でした。初めは女官でしたが、寵愛を受けて太子府に入りました。真宗が即位すると、美人に追贈され、最終的に賢妃となりました。

10 順容戴氏
 節度使戴興の娘に生まれました。貴人に封じられ、仁宗により順容となりました。

11 美人徐氏
 初め才人となり、仁宗により美人に追贈されました。

12 才人陳氏
 真宗の侍女。才人に封じられました。

13 宮人張氏
 仁宗の温成皇后の叔母にあたる人物。宮人ながら、僅かな名声のある人物であったと伝わります。

まとめ

 以上、13人を紹介しました。真宗には追贈皇后がすごく多くて、書くのが大変でした笑。真宗は劉娥をもっとも愛しましたが、他の女性達とも物語があります。「大宋宮詞 〜愛と策謀の宮廷絵巻〜」では、劉娥が良く映されがちですが、他の皇后達にも注目していただければ嬉しいです!以上で終わりとさせていただきます。



 


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