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中国皇后記1 小堯舜に愛されし皇后·光献皇后李氏(金朝)
初めに
初めまして。今回から中国の歴代皇后や妃達について紹介していく、翎浅(れいせん)と申します。以後、お見知りおき下さい。長い長い中国の歴史の中で皇帝の数だけ、その正妻である皇后がいました。皇后達は天下の母として降臨し、皇帝を支えました。
このブログでは、主に賢后や良妻と呼ばれた女性達を紹介します。作者の空想なども入りますので、そこはご了承下さい。
ブログの案内人である翎浅は、作者が書いている小説の主人公です。初回は小説内の翎浅のモデルとなった皇后について紹介します。マニアックな皇后でもありますので、興味本位で見ていただけると、幸いです。
※この皇后は、一般的に側室とされていますが、ここでは皇后として紹介します。
後宮とは?
このブログの舞台となる、中国後宮。殷や周から始まり、清王朝まで皇帝や王の妻達が暮らす場所を後宮と言いました。昔の中国は一夫多妻制で正室の他に側室が何人もいました。後宮には千人もの女性が住まい、皇帝や皇帝の妻達に仕えました。
その後宮のトップとなるのが皇后です。皇后は例外を除いて一人のみがその地位にあります。家柄が良かったり、太子の母だったり、皇帝に愛されて皇后になったりと様々な経緯で皇后となった女性達がいます。
それ以外の側室は妃嬪と呼ばれます。位が様々あり、有名なのは貴妃や貴人、夫人などがあります。このブログでは色んな位が登場します。いつか妃嬪の位についても紹介したいです。
光献李皇后って誰?
光献李皇后(こうけんりこうごう、12世紀〜1181年)は、金朝の五代皇帝・世宗の皇后であり、七代皇帝・衛紹王の母です。金は女真族の征服王朝で、南宋などの国と対立していました。世宗は小堯舜と呼ばれた随一の名君で、李氏はその側室で追贈皇后でした。
今回は彼女の人生を見ていきましょう。
世宗の妻となる
姓は李、名は不明です。南陽郡王·李石の娘として生まれました。李石の姉は世宗の母の貞懿李皇后(ていいりこうごう)。世宗とは従兄妹同士だったんですね。その縁で世宗の側室となります。これがいつ頃の事かは分かりませんが、世宗の即位前なのは事実です。
李氏は世宗から寵愛を受けて三男二女と妻の中で最も多くの子を産みました。また、他の側室が子を残して死去すると、その母となりました。これらの事から李氏は美しく、徳高いと言われた叔母の貞懿皇后のように徳に優れていたのかもしれません。
世宗が即位すると、李氏は賢妃となりました。一年後に貴妃、五年後には元妃と昇進します。元妃は側室の中で最も地位が高く、皇后に準じるものでした。世宗は最初の妻·明徳烏林荅皇后(めいとくウリンダンこうごう)を忘れることができず、生涯皇后を立てませんでした。その為に李氏は後宮のトップに君臨したのです。
李氏の晩年
時は経ち、世宗は晩年に李氏を皇后にしようと考えました。世宗に長年仕え、六人の子の母でしたから、当然のようにも思えます。それだけ世宗から深く愛されていた事が分かりますね。
しかし、それは明徳皇后出生の皇太子の地位が危ぶまれるということでした。世宗は李氏の三人の息子を寵愛しており、皇帝が寵愛の為に思いを変え、皇太子を廃す可能性があると大臣達は諫言しました。世宗はこれを受け入れ、李氏立后の話はなくなりました。
そして、李氏は世宗より先に亡くなります。死の間際、世宗は李氏の住んでいた長春宮を訪れたと言います。李氏の葬儀はそれは盛大なもので、世宗は李氏の為に朝廷を休み、太子や諸王、百官までもが彼女の葬儀に参列しました。これは皇后と同待遇の葬儀でした。世宗はその死を悲しみ、その心痛を慰める為に、臣下達が市民の娯楽を禁止させたという逸話もあります。李氏は他の妃嬪らと共に埋葬されました。
それから27年後、息子の衛紹王が即位します。李氏は光献皇后と追贈されました。追贈とは、死後に位を贈ることです。"光"は目上のものによくゆずった、"献"は気質が聡明で素晴らしいという意味を持ちます。
しかし、衛紹王は間もなく皇帝から廃されてしまいます。その母として皇后を追廃され、光献の諡も消されてしまいました。李元妃に戻ったのです。皇后を追廃されるのは、歴史の中でなかなか聞かないことです。その為、衛紹王に同情的な勢力もあったようです。史書では主に李元妃と記載されています。(同名の妃がいるため、ここでは皇后として紹介しました)
まとめ
李氏は世宗に寵愛され、多くの子供を産み、皇后に追贈されます。しかし、皇后を追廃という前代未聞の出来事が起こりました。
世宗と明徳皇后の夫婦愛が目立つ後宮ですが、李氏も世宗に愛され、皇后にはなれなかったものの幸せな人生のようにも思えました。(個人的には明徳皇后がいなければ、彼女が皇后になっていたと思います。そしたら、諡号は懿穆皇后にしてほしい…)
今回は以上とさせていただきます。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。