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午前三時の無法地帯

寝れない夜は、こうやってnoteへ頭の中にぷかぷかと浮かぶ行く宛のない鍋の中の灰汁みたい言葉たちをそっと掬い上げて別の容器に入れておきます。

さて、夜は午前三時を過ぎた頃。
平気でこの時間を迎えるようになったのも、今日さえ楽しければいいとアホ丸出しだった大学3年からなのか。それとも社会人という、名前だけの大人の肩書きを手に入れてからの気がします。

夜の午前三時より。
人の営みが静かになり、灯りは消え。景色のいい3大夜景から見下ろす脈をうつ光たち。
街自体もゆったりと路に沿って流れるそよ風とともに静かな呼吸をしていますね。
人がいないせいか、誰にも遭遇しないせいか、
街にいるのは自分だけかなと。
世界が何らかの原因で滅亡して、自分だけが生き残ったのかなと感じる。
ほんの3歩ほど足を動かすと忘れていますがね。

3歳を過ぎた子どものとき
夜が無条件に好きでした。
誕生日や祭り、何か悪いことでもするでもない、空からいきなり欲しい玩具がゆっくりと自分の目の前に現れて、優しいサンタさんがどうぞ。
なんて言ってくれるかのように。なぜか夜というだけで、楽しいことだらけのワクワク時間だと勝手に思い込んでいました。

いま、思うと。
知らないことがワクワクするって誰からも教わったことがないのに。
不思議ですね。

カップラーメンの3分間を待つまでに。
罪悪感と幸福が待っている。
夜はジャンキーな身体に悪いものが美味しくなる時間帯。
いつも不思議に思っていました。
生まれる以前から、深夜にジャンキーなものを食べると人間の身体は美味しいと感じるようにプログラムでもされているかのように仕組まれているんじゃないかと。あら、いけない。

気がつけば30分が経っている。
3年前の今日の自分は何をしていただろうか。思い出せるのは、スマホに残っている写真ホルダとカレンダーのメモ。
そして、日記が自分の人生の足跡になるってあとになって気がつきました。
3年前の自分が今の自分を想像できたでしょうか。
こうなったらいいな。あんなことできていたらいいな。って想いを馳せるだけの時間があったのはよく覚えています。
100%理想のジブンじゃないけれど、想像していた私が少しいる気がします。

最後に、3行ほど。
私が好きな夏目漱石の言葉を抜粋して終わりにしたいと思います。
冷ややかな脉(みゃく)を護りぬ夜明方
「思い出す事など」より

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